コニタス

書き留めておくほど重くはないけれど、忘れてしまうと悔いが残るような日々の想い。
気分の流れが見えるかな。

捏造された祝祭

2009-07-06 23:36:59 | 
SPAC春の芸術祭2009おわりましたねぇ。
あっという間にSPACトップページからのリンクが消えてます。


この週末は、『ふたりの女 ~唐版・葵上~』『スカパンの悪だくみ』。
このシーズン私が見たのは、
『プ・レ・ス』
『シータ姫、大地に還る』
『ブラスティッド』
『マルコ・ポーロ~東方見聞録のヒミツ』
『じゃじゃ馬ならし』
とあわせて7演目。
ここまで来たら全部見たかったなぁ、と思う物の、お金も時間も無いからねぇ。

このうち、『ブラスティッド』については2回に分けて書いた()。
『じゃじゃ馬ならし』のことは、煮え切らないながらも、やっぱり書いたのは『ブラスティッド』の影響だろうなぁ。
『プ・レ・ス』・『シータ姫、大地に還る』・『マルコ・ポーロ』のことをまだ書いてないのは、“まだ”なだけのつもり。
基本的に、芝居でもコンサートでも美術でも、行ったら感想を書く、というのは、学生にも推奨しているし、自分の課題にもしている(ペナルティなし)。

でも、何となく後回しで良いか、という気持ちが自分の中にあるらしい。
それは、印象の善し悪しとは関係なく、自分の目下の問題意識との絡み方の問題。
たぶん、この週末に観た『ふたりの女』と『スカパンの悪だくみ』を先に書く事になるだろうなぁ。

で、それは予告しておくとして、先にまとめ。

この記事の標題は宮城氏のお言葉。
こんにち、演劇になお有効性があるとすればそれは〈捏造された祝祭〉としてではないか
出典は『ふたりの女』当日配付資料「演出ノート」。

演劇を仕事としたときに、「祝祭」のほかに「こころざし」というモノサシを持たねばならなくなった
これも。

プロの世界は厳しいのだぁ。


それにしても、このシーズンの盛況ぶりはちょっと、目を見張る物があったと思う。
“お祭り”になってた。

静岡は、正直、“文化”に冷たい土地柄だ。
前知事は、文化通を気取って立派な施設を作り、大物監督を呼んで、信じられないような予算でイベントを立ち上げたけれど“大衆”の多くは歓迎しなかったように思う。
いや、みんながどうだったのか、私は知らないんだけれど、今年、私の周りには“俄演劇ファン”を名乗る人たちが妙に多い。
意外な人が、芝居にはなじみがなかったと仰る。

『転校生』以降、といっても良いのかなぁ。
話題性のある芝居を観て、面白さに目覚めて通うようになった?

んで、“芝居の面白さ”って、何?
なんで観に行くんだろう。


私の場合は、学生の時は文楽と歌舞伎ばっかりで、現代演劇といっても『子午線の祀り』とか、やっぱり古典つながり。
アングラやテントや舞踏も、学祭に来ていたけれど自分から見に行きはしなかった。
あぁ、院生の頃はお金もあったし、連れもいたからバレエやオペラも行ったなぁ。
今は無理。

で、現代物、洋物は静岡に来てからだと思う。

第2回のシアター・オリンピクス(1999)も、結局それほどたくさんの舞台を見たわけではない(音楽系中心に観ていた)。
ただ、何度も書いたけれど、翌年「春の演劇祭」に、“有度”でク・ナウカの『メデイア』を観たのは本当に衝撃だった。

その間、何度かSPACの制作の人の営業攻勢にもあっているのだけれど、どうもピンと来ないまま、『転校生』に至り、今シーズン、やっと、良い関係が築けそうかもしれない、というところ。


でもねぇ~。

なあなあの関係にはなりたくね~な~、と、強く思う今日この頃。


さて、「捏造された祝祭」。
芝居の面白さ、楽しみ。
現代に於ける存在意義。
しかし、カーニバルを官がお金を出してやるって言うのは妙な話だ。


昨日、『スカパンの悪だくみ』を観て、もう一回、“祝祭”、と言うか“カーニバル性”というやつを、気負わずに、奇を衒うこともなく、正面から扱っていいんじゃないかと強く思ったのでありました。


大盛況、おめでとうございます。
新知事も、演劇祭のパンフにインタビューを載せてたくらいだから、急に予算を減らすようなことはしないでしょう。
今後が楽しみ。

なんだけど、いつか、“公共”の力なんか借りずに、民衆の力によって、本当の祝祭を取り戻さないと。

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