コニタス

書き留めておくほど重くはないけれど、忘れてしまうと悔いが残るような日々の想い。
気分の流れが見えるかな。

O happy dagger!

2010-01-07 00:37:04 | 
ニュースとしては旧聞(あれ、この言い方、間違ってる?)になるのだけれど、正月に実家近くの漁協の掲示板に妙な告知を見た。


秋葉原の事件の直後、あっという間にこういう事になったらしい。
ネットで検索すると沢山記事がある(賛否投票とか)から、当時話題になった筈なんだけれど、「ダガー・ナイフの禁止」と言うことまでしか記憶がない。


またか、と思う。
六一〇ハップや蒟蒻畑のことを前にも書いた

本来人間を殺すための道具を国家が推奨して作っていながら、別の目的のための道具を、“誤った使い方”の可能性があるというだけで規制してしまう。
しかも、それらは、かなり恣意的な判断によっている。
よく言われることだけれど、交通事故がたくさんあるのに自動車を禁止にしようと言うことにはならない。
事故を起こすのは自動車ではなく、運転する人だ。
わかりきっている。
万事、このことなのだよね。

前に、“下品な言葉”の話も書いた

美しい言葉、醜い言葉、と言うのが、先験的に、絶対的に、存在しているワケではない。その言葉を使い、解釈する人の心の中で美しくも醜くもなるのだ。

道具とは、そういうものだろう。
しかし、「メディアはメッセージである」という命題もまた正しい。

我々は、道具に使われている。
本来必要なかったはずの、新しい便利な何かを手に入れると、それで何が出来るだろうか、と考える。
たしかにどんどん便利になる。
そうやって、「何がしたいのか」「そのためにどんな道具があればいいのか」という筋道が全く見えなくなり、道具に奉仕するために目的を探すようになってしまった。
先日のGoogleの話もちょっと似ている。

学生たちは、PCを器用に使える。機能充実の携帯電話もお手の物だ。
しかし、それで何をしたいのか? と言うところが見えない。

パワーポイントの演出は確かに見事。
でも、中身は?

方法があって研究対象がある、と言うことはあり得ない。
方法を沢山知っておくことは大事だ。
新しい対象にであった時、ふさわしい方法を選ぶために。
調味料は、出来るだけ沢山の種類を揃えたい。
しかし、その調味料を使ってみたいから、と言う理由で料理をするわけではない。




幻のダガーはマクベスを殺人へと導き幸せのダガーはジュリエットを死なせる

道具は使いよう。

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