昨夜、久しぶりにブログを書き掛けたんだけど、どこか誤ったキーに触れたらしく、記事が消えてしまったのでふて寝。
今朝、改めて編集画面を開いたら普段は気にしない広告に目がとまった。
言葉美人になろう!「美しい言葉」をめぐる悲喜交々
gooブログとATOKの連携企画なんだそうだ。
なるほど。
美しい言葉、正しい言葉……。
私は一太郎愛用者で、MSのナントカ言うのよりATOKの方が機能的に優秀だと思っているのだけれど、“正しい日本語”を強要されるのには屡々辟易している。
日本語入力を補助する便利な機能は、日本語の豊かさを摘み取り、日本人から日本語の表現力を削ぎ落とすことになるのではないかと思う。
こういうことは、誰か、ちゃんとした人がしっかり発言してくれないとまずいんじゃないかな。
さて、“言葉美人”サイトで紹介されているのは、オリジナル記事(「「ご苦労様」は目上の人にはNG」とか、まだやってるのか……)もあるようだけれど、多くは一般のブログのようなので、個別にリンクしてどうこう言うのは好ましくない、とは思うのだけれど、公開されているわけだし、一つだけ例を。
母娘で露天風呂に出かけ、そこで聴いた老婦人の「美しい標準語」に感銘を受けた娘さんのブログ。
分析の結果、
「そうだね」「これだよね」「きれいだね」といった表現から「だ」を抜くと、「そうね」「これよね」「きれいね」、となり、女性的、即ち「とてもやわらかく上品な印象の言葉になる」。
また、「美味しいね」「嬉しいね」「楽しいね」「良かったね」などに「わ」を加えると「美味しいわね」「嬉しいわね」「楽しいわね」「良かったわね」と、「かなり柔らかでゆったりとした雰囲気の言葉になる」。
そういう印象の変化に気づいた母娘はこれに“「だ」抜き「わ」入れ言葉と”命名し、「日々少しずつでも意識しながら美しい言葉が使えたらと思っている。」のだという。
佳い話だと思う。
賛同者のコメントが多いのも頷ける。
この筆者は、非常に細かい気遣いの出来る人で、一々(あくまでも私と母の印象)、と言うような但し書きを入れているのも好感が持てる。
多分、この人は“解っている”。
しかし、なのだ。
「きれいだね」「おいしいね」は、“下品”で、使用がはばかられる言葉なんだろうか。「きれいだわね」はNG?
問題は、全然別の所にある。
そこに気づかない人たちが、こういう記事の細かな気遣いを飛ばして、表層だけを祭りあげてしまうんじゃないか、というのが私には心配で……。
文学概論で、私の定番教材『うんこ』を使った時、感想の中に「下品な言葉」という指摘があったので、次の時間にそれを話題にした。
その時のプリントからそのまま引用(誤字一字訂正)。
それよりもえらくショックだったのは「少し下品な言葉もあったが」という発言。私、下品なことを言いましたか? まさか「うんこ」のこと? 「うんこ」は下品ですか? 困りましたね。「下品な言い方」なら謝りますが、「下品な言葉」って、なんですか? ここにいる人は、言語文化学科に、少なくとも1年半以上居るのだから、言葉そのものに上品も下品もないのだ、と言うことは、共通認識として持っていて欲しいです。言葉狩りだけでなく、多くの差別は、そういう形で、本質を見ない思いこみによって蔓延しています。文学を学ぶこと、言葉を学ぶことは、そういう偏見がなぜ発生し、継承されるのかを見極めることに他なりません。「下品」なのは、その言葉ではなく、その言葉を発し、或いは受け取る人の心です。
で、ついでに授業開始時間前後、10分間くらい、『ら抜きの殺意』のビデオを見せた(副社長の“女言葉”のとこね)。
カタチから入るのは、多分とても大事なことなのだと思う。
美容整形で卑屈な心が変化することもあるのかも知れない。
しかし、いつか、心が伴うようになるためには、“なぜ”という問いかけを続けなければならないし、問いかけるだけでなく、実践の中で「だから!」を見つけられなければ、身につく物ではない。
あ、またお茶の話になりそうだ。
茶道をやってればみんな上品、というわけじゃないぞ!
美しい(とされる)言葉だけを選んで使っていたら美しくなれるのかどうか。
それで、「伝わる」のかどうか。
あぁ、『ら抜きの殺意』、気になる人は本買って、全部読んで下さい。
途中だけ、というのはあまりに危険。
言語文化の学生、受験生は全員読んだ方が良いと思う。
今年の授業が終わった途端に風邪を引いてしまった。
幸いインフルエンザではないようなのだけれど、今日は一日養生(とか言って、夜は忘年会だけれど)することにして、少し記事を量産しようかと思っております。
今朝、改めて編集画面を開いたら普段は気にしない広告に目がとまった。
言葉美人になろう!「美しい言葉」をめぐる悲喜交々
gooブログとATOKの連携企画なんだそうだ。
なるほど。
美しい言葉、正しい言葉……。
私は一太郎愛用者で、MSのナントカ言うのよりATOKの方が機能的に優秀だと思っているのだけれど、“正しい日本語”を強要されるのには屡々辟易している。
日本語入力を補助する便利な機能は、日本語の豊かさを摘み取り、日本人から日本語の表現力を削ぎ落とすことになるのではないかと思う。
こういうことは、誰か、ちゃんとした人がしっかり発言してくれないとまずいんじゃないかな。
さて、“言葉美人”サイトで紹介されているのは、オリジナル記事(「「ご苦労様」は目上の人にはNG」とか、まだやってるのか……)もあるようだけれど、多くは一般のブログのようなので、個別にリンクしてどうこう言うのは好ましくない、とは思うのだけれど、公開されているわけだし、一つだけ例を。
母娘で露天風呂に出かけ、そこで聴いた老婦人の「美しい標準語」に感銘を受けた娘さんのブログ。
分析の結果、
「そうだね」「これだよね」「きれいだね」といった表現から「だ」を抜くと、「そうね」「これよね」「きれいね」、となり、女性的、即ち「とてもやわらかく上品な印象の言葉になる」。
また、「美味しいね」「嬉しいね」「楽しいね」「良かったね」などに「わ」を加えると「美味しいわね」「嬉しいわね」「楽しいわね」「良かったわね」と、「かなり柔らかでゆったりとした雰囲気の言葉になる」。
そういう印象の変化に気づいた母娘はこれに“「だ」抜き「わ」入れ言葉と”命名し、「日々少しずつでも意識しながら美しい言葉が使えたらと思っている。」のだという。
佳い話だと思う。
賛同者のコメントが多いのも頷ける。
この筆者は、非常に細かい気遣いの出来る人で、一々(あくまでも私と母の印象)、と言うような但し書きを入れているのも好感が持てる。
多分、この人は“解っている”。
しかし、なのだ。
「きれいだね」「おいしいね」は、“下品”で、使用がはばかられる言葉なんだろうか。「きれいだわね」はNG?
問題は、全然別の所にある。
そこに気づかない人たちが、こういう記事の細かな気遣いを飛ばして、表層だけを祭りあげてしまうんじゃないか、というのが私には心配で……。
文学概論で、私の定番教材『うんこ』を使った時、感想の中に「下品な言葉」という指摘があったので、次の時間にそれを話題にした。
その時のプリントからそのまま引用(誤字一字訂正)。
それよりもえらくショックだったのは「少し下品な言葉もあったが」という発言。私、下品なことを言いましたか? まさか「うんこ」のこと? 「うんこ」は下品ですか? 困りましたね。「下品な言い方」なら謝りますが、「下品な言葉」って、なんですか? ここにいる人は、言語文化学科に、少なくとも1年半以上居るのだから、言葉そのものに上品も下品もないのだ、と言うことは、共通認識として持っていて欲しいです。言葉狩りだけでなく、多くの差別は、そういう形で、本質を見ない思いこみによって蔓延しています。文学を学ぶこと、言葉を学ぶことは、そういう偏見がなぜ発生し、継承されるのかを見極めることに他なりません。「下品」なのは、その言葉ではなく、その言葉を発し、或いは受け取る人の心です。
で、ついでに授業開始時間前後、10分間くらい、『ら抜きの殺意』のビデオを見せた(副社長の“女言葉”のとこね)。
カタチから入るのは、多分とても大事なことなのだと思う。
美容整形で卑屈な心が変化することもあるのかも知れない。
しかし、いつか、心が伴うようになるためには、“なぜ”という問いかけを続けなければならないし、問いかけるだけでなく、実践の中で「だから!」を見つけられなければ、身につく物ではない。
あ、またお茶の話になりそうだ。
茶道をやってればみんな上品、というわけじゃないぞ!
美しい(とされる)言葉だけを選んで使っていたら美しくなれるのかどうか。
それで、「伝わる」のかどうか。
あぁ、『ら抜きの殺意』、気になる人は本買って、全部読んで下さい。
途中だけ、というのはあまりに危険。
言語文化の学生、受験生は全員読んだ方が良いと思う。
今年の授業が終わった途端に風邪を引いてしまった。
幸いインフルエンザではないようなのだけれど、今日は一日養生(とか言って、夜は忘年会だけれど)することにして、少し記事を量産しようかと思っております。
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