問い合わせのやりとり、続報。
* 引用は余分な改行を詰めます。挨拶も省略。
お詫び
:以下のやりとりの中で、大島建彦先生に関して、私の思い違いがありました。
推測とはいえ、無礼を申し上げました。
発信済みのメールの引用であり、
削除や訂正をするのも却って混乱しそうですので、
この場を借りて、お詫びします。
メールの相手には修正情報をお送りしました。
こういう情報は細心の注意が必要ですね。
以後気をつけます。
まずは縛られ地蔵一件。
小二田様の情報を元に、こちらで引き続き調査しているのですが、「3つめのしばられ地蔵」に関する情報はやはり全く見つかっていない状況です。
また、実際には「この地蔵は大岡とは関係ない」ということでしたが、誰かが大岡伝説にこじつけて作ったということを前提で、「大岡越前としばられ地蔵の伝説」について書かれた文献を探しております。
小二田様の論文で「大岡美談」に“大岡越前が地蔵を捕らえて木綿を取り返したエピソード”が書かれているということだったので、「大岡美談」の所在を探しております。
しかし、「大岡美談」は全30巻の上、全国各地に数冊ずつあるようなので、「そのエピソードに関する記述がある巻」の所在を特定できずにいます。
もしご存知でしたら、「大岡美談」のどの巻に“大岡越前が地蔵を捕らえて木綿を取り返したエピソード”が書かれているのか教えて頂けたらと思います。
またもし小二田様の他に、“しばられ地蔵”や“大岡美談”にお詳しい方をご存知でしたら、教えて頂けたらと存じます。
お忙しいところ申し訳ありません。宜しくお願い致します。
私の返事
>小二田様の情報を元に、こちらで引き続き調査しているのですが、「3つめのしばられ地蔵」に関する情報はやはり全く見つかっていない状況です。
三つ目の、というのは、大岡と関わる、と言う意味だと、やはり難しいのではないかと思います。
>また、実際には「この地蔵は大岡とは関係ない」ということでしたが、誰かが大岡伝説にこじつけて作ったということを前提で、「大岡越前としばられ地蔵の伝説」について書かれた文献を探しております。
正直、文献を比較研究した例は東洋文庫の辻氏の解説と、私の以外には無いのではないかと。
あとはこまめに古い伝説集の解説を探すしか。
伝奇伝説事典の類はご覧になっていますよね?
>小二田様の論文で「大岡美談」に“大岡越前が地蔵を捕らえて木綿を取り返したエピソード”が書かれているということだったので、「大岡美談」の所在を探しております。
や、失礼しました。拙稿に底本を示していないのですね。
なにぶん調べたのは20年以上前、修士論文の時で、コピーも取っていない物ですから、メモに間違いがあるといけませんが、一応てもとの情報。
筑波大学付属図書館の タ500/47『大岡美談』巻之九・十
京都大学法学部図書館、小早川文庫の 319/.6/Oo『大岡美談』巻之十
には確実にあると思います。
都内ですと、都立中央図書館加賀文庫にもあるようなんですが、中身は別かもしれません。
配置や請求記号は変わっている可能性があります。
メモによると京大の本はは貸本屋の口上が付いていて面白い本のようです。
これらは、東洋文庫(←帝国文庫)など、明治時代の活字本と同じ本文と言って構わない物です。
まぁ、TV等で使う場合にはビジュアル的に江戸時代の写本である方がいいわけですよね。
活字本の古い物で、ビジュアル的に使えるのは、「今古実録」というシリーズ
( http://koneeta.hp.infoseek.co.jp/sonota.html#bukai-09 参照)
にあります(画像添付)。
これは私の物ですので、必要があればお使い頂けます。
本文は一緒です。
>またもし小二田様の他に、“しばられ地蔵”や“大岡美談”にお詳しい方をご存知でしたら、教えて頂けたらと存じます。
地蔵については、拙稿でも引いている大島建彦と言う先生が超大物なのですが、多分お亡くなりになっていると思います。
あとは、やはり拙稿に登場する、西田耕三先生。今は近畿大だと思います。
西田先生なら、小二田から聞いた、と言うことでお訊ねになれば大丈夫です。
あとは、、面識ありませんが、國學院大學の岡田哲先生。http://www.kokugakuin.ac.jp/juken/nyuugaku/shutugan/nichibun_okada.php
ということで、真剣にがんばっていらっしゃるご様子。
拙稿の説明不足も露呈しました。
20年以上前のルーズリーフを引っ張り出しましたよ。ははは。
しかし、このテーマは面白かったなぁ。
番組も、大岡にこだわるんじゃなく、壬生地蔵とか、板倉とか、話の遺伝子の方に持って行った方が面白いのになぁ。
次、謎の言語文化学科質問一件。
質問者からの第二信。
私は、受験生です。
言語文化学科を志願しています。
趣味として、短歌を詠んでおり、日本文学を研究したいと思ってます。
再度お聞きしますが、短歌や俳句は研究対象になりますか?
お忙しいところ、すみません。
私の返信(二)
来ましたね。
「研究対象になるか」という質問に対しては、「はい」です。
あなたが「文学」だとは思わないようなものも含めて「言語文化」は研究対象です。
ただし、「専門家として研究対象としている人がいますか」あるいは、「「研究対象とした授業がありますか」と言われれば、現在は「いいえ」です。
大学は、高校までと違って、教員は特定の分野の専門家ですから、幅広く何でも、と言うのではありません。ただし、学生が自主的に研究する手助けは出来ます。
近代小説の先生達も、短歌や俳句はお好きなようです。
古典和歌の専門家もいますし、私は江戸時代の俳句なら勉強しています。
安心して受験して下さい。
受かったら名乗り出て下さいね。
しかし、今年の志願者であれば、出願前に訊いておくべき事ですよね?
もし、「いいえ」だったらどうするのでしょう。
似たようなこと、オープンキャンパスで訊いてくれた人もいましたよ。
なお、私のポリシーとして、こういうやりとりは個人情報を特定できないようにしつつ、ブログで公開することにしていますので、ご了承を。http://blog.goo.ne.jp/koneeta/e/ce8184000dde004834846a8887ffce80
なぜ公開するか、と言う理由は、教室の私語に対する考えと似ています。
http://blog.goo.ne.jp/koneeta/e/017f4f04a1c678aa706b1daa1d53eba4
http://blog.goo.ne.jp/koneeta/e/eb90753921764056ae1b7fa6d8fe4984
参照。
では、がんばって下さい。
今朝来た第三信。
おはようございます。
わかりました。ありがとうございます。
パソコンメールに不慣れなもので、すみませんでした。
これから、さらにやる気がでてきました。
春に静岡大学で言語文化で学べるように、がんばります。
本当にありがとうございました。
やっぱり受験生でした。
後期日程の受験者なんでしょうね。
幸い、私は今年度直接判断に関わらない立場なので、苗字と思われる名前も黙っていましょう。
やる気出てくれたか。
嬉しいなぁ。
そういえば……。
AO入試をやめようと言う流れが出来てるらしいけれど、こういうやりとりをしていると、大学入試の制度の中で、オープンな環境で受験生と教員が沢山連絡を取り合い、相互理解を深めながら入学できる仕組みをもっともっと追求できないかなぁ、と改めて思う。
この手の話は、別のところでしたこともあるのだけれど、就職のミスマッチ防止策と同じ手法を入試に導入することで、入試のいろんな弊害をなくせると思うのだよね。
この件はまた、別の機会に。
しかし、受験生というのは、私達の思いも寄らないような疑問を持つのですよねぇ。
短歌や俳句が研究対象ではないかもしれないと言う発想があるんだ、と言う前提で学科の説明をしないと。
実際に、今の日文の卒業論文リストを見たら仰天するだろうなぁ。
ちなみに小二田研の分はこちら。
でも、おかげで、教員と授業、学生の研究の関係について、簡単に触れる機会がもてたのはありがたい。
大学の教員と話をすると、自分の専門の話を授業でしたことがない、と言う人はかなりいます。
そんな中、実は、来年度の授業で、久しぶりに「大岡政談」の話をすることにしたのです。
これも何かの巡り合わせですねぇ。
もう一つ、個人的に送ったメールなのに公開するな! と言う意見もあるかもしれませんが、このブログで何度も触れているように、授業中の私語や、授業後の質問同様、教員・研究者である小二田に発せられた質問は、メディアがどうであれ、原則としてパブリックな性格を持っていると考えています(プライベートな質問はもちろん公開しません)。
こうして公開することで、理解を共有できるのは、インターネットの利点でしょう。
授業のように質問も公開の場でお願いしたいのですけれど、BBSは荒らされてしまうので今のところこういう形しかないかな、と。
* 引用は余分な改行を詰めます。挨拶も省略。
お詫び
:以下のやりとりの中で、大島建彦先生に関して、私の思い違いがありました。
推測とはいえ、無礼を申し上げました。
発信済みのメールの引用であり、
削除や訂正をするのも却って混乱しそうですので、
この場を借りて、お詫びします。
メールの相手には修正情報をお送りしました。
こういう情報は細心の注意が必要ですね。
以後気をつけます。
まずは縛られ地蔵一件。
小二田様の情報を元に、こちらで引き続き調査しているのですが、「3つめのしばられ地蔵」に関する情報はやはり全く見つかっていない状況です。
また、実際には「この地蔵は大岡とは関係ない」ということでしたが、誰かが大岡伝説にこじつけて作ったということを前提で、「大岡越前としばられ地蔵の伝説」について書かれた文献を探しております。
小二田様の論文で「大岡美談」に“大岡越前が地蔵を捕らえて木綿を取り返したエピソード”が書かれているということだったので、「大岡美談」の所在を探しております。
しかし、「大岡美談」は全30巻の上、全国各地に数冊ずつあるようなので、「そのエピソードに関する記述がある巻」の所在を特定できずにいます。
もしご存知でしたら、「大岡美談」のどの巻に“大岡越前が地蔵を捕らえて木綿を取り返したエピソード”が書かれているのか教えて頂けたらと思います。
またもし小二田様の他に、“しばられ地蔵”や“大岡美談”にお詳しい方をご存知でしたら、教えて頂けたらと存じます。
お忙しいところ申し訳ありません。宜しくお願い致します。
私の返事
>小二田様の情報を元に、こちらで引き続き調査しているのですが、「3つめのしばられ地蔵」に関する情報はやはり全く見つかっていない状況です。
三つ目の、というのは、大岡と関わる、と言う意味だと、やはり難しいのではないかと思います。
>また、実際には「この地蔵は大岡とは関係ない」ということでしたが、誰かが大岡伝説にこじつけて作ったということを前提で、「大岡越前としばられ地蔵の伝説」について書かれた文献を探しております。
正直、文献を比較研究した例は東洋文庫の辻氏の解説と、私の以外には無いのではないかと。
あとはこまめに古い伝説集の解説を探すしか。
伝奇伝説事典の類はご覧になっていますよね?
>小二田様の論文で「大岡美談」に“大岡越前が地蔵を捕らえて木綿を取り返したエピソード”が書かれているということだったので、「大岡美談」の所在を探しております。
や、失礼しました。拙稿に底本を示していないのですね。
なにぶん調べたのは20年以上前、修士論文の時で、コピーも取っていない物ですから、メモに間違いがあるといけませんが、一応てもとの情報。
筑波大学付属図書館の タ500/47『大岡美談』巻之九・十
京都大学法学部図書館、小早川文庫の 319/.6/Oo『大岡美談』巻之十
には確実にあると思います。
都内ですと、都立中央図書館加賀文庫にもあるようなんですが、中身は別かもしれません。
配置や請求記号は変わっている可能性があります。
メモによると京大の本はは貸本屋の口上が付いていて面白い本のようです。
これらは、東洋文庫(←帝国文庫)など、明治時代の活字本と同じ本文と言って構わない物です。
まぁ、TV等で使う場合にはビジュアル的に江戸時代の写本である方がいいわけですよね。
活字本の古い物で、ビジュアル的に使えるのは、「今古実録」というシリーズ
( http://koneeta.hp.infoseek.co.jp/sonota.html#bukai-09 参照)
にあります(画像添付)。
これは私の物ですので、必要があればお使い頂けます。
本文は一緒です。
>またもし小二田様の他に、“しばられ地蔵”や“大岡美談”にお詳しい方をご存知でしたら、教えて頂けたらと存じます。
地蔵については、拙稿でも引いている大島建彦と言う先生が超大物なのですが、多分お亡くなりになっていると思います。
あとは、やはり拙稿に登場する、西田耕三先生。今は近畿大だと思います。
西田先生なら、小二田から聞いた、と言うことでお訊ねになれば大丈夫です。
あとは、、面識ありませんが、國學院大學の岡田哲先生。http://www.kokugakuin.ac.jp/juken/nyuugaku/shutugan/nichibun_okada.php
ということで、真剣にがんばっていらっしゃるご様子。
拙稿の説明不足も露呈しました。
20年以上前のルーズリーフを引っ張り出しましたよ。ははは。
しかし、このテーマは面白かったなぁ。
番組も、大岡にこだわるんじゃなく、壬生地蔵とか、板倉とか、話の遺伝子の方に持って行った方が面白いのになぁ。
次、謎の言語文化学科質問一件。
質問者からの第二信。
私は、受験生です。
言語文化学科を志願しています。
趣味として、短歌を詠んでおり、日本文学を研究したいと思ってます。
再度お聞きしますが、短歌や俳句は研究対象になりますか?
お忙しいところ、すみません。
私の返信(二)
来ましたね。
「研究対象になるか」という質問に対しては、「はい」です。
あなたが「文学」だとは思わないようなものも含めて「言語文化」は研究対象です。
ただし、「専門家として研究対象としている人がいますか」あるいは、「「研究対象とした授業がありますか」と言われれば、現在は「いいえ」です。
大学は、高校までと違って、教員は特定の分野の専門家ですから、幅広く何でも、と言うのではありません。ただし、学生が自主的に研究する手助けは出来ます。
近代小説の先生達も、短歌や俳句はお好きなようです。
古典和歌の専門家もいますし、私は江戸時代の俳句なら勉強しています。
安心して受験して下さい。
受かったら名乗り出て下さいね。
しかし、今年の志願者であれば、出願前に訊いておくべき事ですよね?
もし、「いいえ」だったらどうするのでしょう。
似たようなこと、オープンキャンパスで訊いてくれた人もいましたよ。
なお、私のポリシーとして、こういうやりとりは個人情報を特定できないようにしつつ、ブログで公開することにしていますので、ご了承を。http://blog.goo.ne.jp/koneeta/e/ce8184000dde004834846a8887ffce80
なぜ公開するか、と言う理由は、教室の私語に対する考えと似ています。
http://blog.goo.ne.jp/koneeta/e/017f4f04a1c678aa706b1daa1d53eba4
http://blog.goo.ne.jp/koneeta/e/eb90753921764056ae1b7fa6d8fe4984
参照。
では、がんばって下さい。
今朝来た第三信。
おはようございます。
わかりました。ありがとうございます。
パソコンメールに不慣れなもので、すみませんでした。
これから、さらにやる気がでてきました。
春に静岡大学で言語文化で学べるように、がんばります。
本当にありがとうございました。
やっぱり受験生でした。
後期日程の受験者なんでしょうね。
幸い、私は今年度直接判断に関わらない立場なので、苗字と思われる名前も黙っていましょう。
やる気出てくれたか。
嬉しいなぁ。
そういえば……。
AO入試をやめようと言う流れが出来てるらしいけれど、こういうやりとりをしていると、大学入試の制度の中で、オープンな環境で受験生と教員が沢山連絡を取り合い、相互理解を深めながら入学できる仕組みをもっともっと追求できないかなぁ、と改めて思う。
この手の話は、別のところでしたこともあるのだけれど、就職のミスマッチ防止策と同じ手法を入試に導入することで、入試のいろんな弊害をなくせると思うのだよね。
この件はまた、別の機会に。
しかし、受験生というのは、私達の思いも寄らないような疑問を持つのですよねぇ。
短歌や俳句が研究対象ではないかもしれないと言う発想があるんだ、と言う前提で学科の説明をしないと。
実際に、今の日文の卒業論文リストを見たら仰天するだろうなぁ。
ちなみに小二田研の分はこちら。
でも、おかげで、教員と授業、学生の研究の関係について、簡単に触れる機会がもてたのはありがたい。
大学の教員と話をすると、自分の専門の話を授業でしたことがない、と言う人はかなりいます。
そんな中、実は、来年度の授業で、久しぶりに「大岡政談」の話をすることにしたのです。
これも何かの巡り合わせですねぇ。
もう一つ、個人的に送ったメールなのに公開するな! と言う意見もあるかもしれませんが、このブログで何度も触れているように、授業中の私語や、授業後の質問同様、教員・研究者である小二田に発せられた質問は、メディアがどうであれ、原則としてパブリックな性格を持っていると考えています(プライベートな質問はもちろん公開しません)。
こうして公開することで、理解を共有できるのは、インターネットの利点でしょう。
授業のように質問も公開の場でお願いしたいのですけれど、BBSは荒らされてしまうので今のところこういう形しかないかな、と。
http://blog.goo.ne.jp/koneeta/e/ddd2db3a2b36368b25a997949c93ebf3
の例題、答えと解説。
遠江「とおとうみ」
古典的な仮名遣いでは「とほたふみ」です。
「近江」(おうみ)に対して「遠江」があるのは知っている人も多いと思いますが、じゃあなぜ「オーミ」なのかは調べないとわからないですよね。
「あふみ」は淡水の海、「あはうみ」が縮まったったことばです。hau→hu。だから、近い遠いに関係なく、湖のこと。湖の代名詞、と言えばいいのかな。
その上で、遠くにあるもう一つの大きな湖が、「遠くの湖」という意味で、「遠つ淡海」(とほつあふみ」→「とほたふみ」と言うわけです。
こうやって考えると「トー」と読むのに表記が違うのも納得できると思います。
その記事のタイトル、「こんにちわ、たういところからやふこそ。 よゐてんきですね。」
正しくは
「こんにちは、とほいところから、ようこそ。 よいてんきですね。」
でしょう。
「は」は助詞ですからOKですね。
似た間違いに「せざるおえない」があります。
「為ざるを得ない」です。
「遠い」は「とほし」。
「尊い」は、「たふとし」。この言葉は「太し」という言葉と関係があるそうです。
「ようこそ」「よい」は、両方とも「良し」の活用形が音便化した物なので、「や」ではなく「よ」。ワ行やハ行で表記する必要もありません。
「漸う」が「やうやう」なのは、「やや」「やうやく」から来ているので「や」です。
ただし、江戸時代には随分こういう例があります。
間違える時も現代人と同じ感覚なんですねぇ。
面白い。
んー。ちょっと自信なくなってきた。
私のコメントに間違いがあったら教えてください!!!