コニタス

書き留めておくほど重くはないけれど、忘れてしまうと悔いが残るような日々の想い。
気分の流れが見えるかな。

スポイル

2007-09-20 10:06:17 | 
私はここに、イベントの告知をする。
ここは毎日およそ60人くらいの人(ロボット?)が見に来るだけだから、宣伝効果は疑問。
このブログの存在は、私の授業のプリントや名刺に書いてある。
勿論、私の本名で検索すればたどり着ける。

イベントの告知は授業プリントにも書き、授業でも言う。

それでも個別に誘わないと来ない人ばっかり。

企画に魅力がない。いや、参加者からはいつも好評なものばかりだ。
提示に魅力がない。それはその通りだろう。

しかし、企画の曖昧なタイトルだけからでも、動く人は動く。
少なくとも、内容を探る。

「提示」は批評家の言葉だ。
その重要性を認めた上でなお、その奧をかぎ分ける能力が必要だ。


傲慢な言い方を承知で、私にはその力があると思っている。
実現する力も、まとめる力もないけれど、見つける力、関連づける力が、今の私を作っているのは確かだ。

そう言う力は、高度な情報検索が出来れば不要なのか、と言うと、逆だろう、と思う。


後期に向かってイベントの整理をしながらこんな事を考えていたのだけれど、これにはもう一つ、日頃くすぶっている不満がある。


発表ジャーナリズム・記者クラブ制。
私は子供の頃、「ジャーナリスト」にあこがれていた。
学生の頃、本田靖晴に惹かれた。

いま、イベントの現場で、あるいは記者クラブで会う連中の殆どは、自分で餌を探す目を持っていない。ゲージの中で、定期的に落ちてくる腐りかけた餌をたいして洗いもせずに口にする。


誰が、そうしたのか。

前に「教えて下さい」という記事にも書いたけれど、そう言う「教養」をよしとするシステムを考え直さないと。


ここ何年か、私は自分の学生を積極的に引っ張り回してきた。
結果、餌を待つ習性をつけさせてしまったらしい。

何度も何とかしないと、と思いながら、しかし、そこに水があることだけは知らせてやるべきだと思ってきたのだけれど、水の傍まで連れて行くのはもうやめよう。

授業プリントにはイベントのタイトルのみ。
詳細は可能な限りここに掲載。
個別の勧誘はしない。

後期からそんな感じで。

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