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コニタス

書き留めておくほど重くはないけれど、忘れてしまうと悔いが残るような日々の想い。
気分の流れが見えるかな。

次は「過去問」一件。

2007-08-20 19:30:21 | 
このニュースも、特ダネとかじゃなくて、少しずつ小出しに出てきたという感じ。

入試過去問題活用宣言と言うのに、ウチも入っている。
ただし、みんな横並びで様子見中、というところらしい。


新聞記事はリンクが切れるといけないので全文引用します。御容赦。

センター試験、「過去問」出題を解禁へ

 大学入試センター(本部・東京都目黒区)は、毎年1月に実施している大学入試センター試験について、過去に出された問題(過去問)を今後出題する方向で最終的な検討に入った。

 これまで出題を控えてきた、教科書に掲載されている題材も出題対象にする。出題の範囲を広げることで、良質な問題を作成する狙いがある。

 同センターは、文部科学省や国立大学協会などと協議した上で、今年度中にも過去問の活用を宣言する方針で、早ければ2010年1月のセンター試験から、過去問が登場する可能性が出てきた。

 センター試験の問題は、大学教員など約400人が2年がかりで作成。センター試験は、現在、国公私立の780大学・短大が入試に利用しているほか、各大学が入試問題を作成する際の参考にすることも想定されるため、学習指導要領に基づいた良質な問題を出すことが求められてきた。

 一方で、過去問については、問題を解いたことがある人とない人で不公平が生じることを避けるため、1979年から始まった前身の共通一次試験を含め、一度も出題されたことはない。また、教科書に載っている題材も出題しないことが慣習になっていた。

 しかし、問題作成の過程で、センター試験や他大学の過去問、教科書との重複をチェックするのに多大な時間を割かれる状況が年々、深刻化してきた。特に、国語の古典では、「枕草子」などの著名作品について、教科書や予備校の模擬試験で使われている可能性が高いとして出題を避けており、「高校生が読める程度の難易度で、興味を持つような内容の題材を探すのは限界がある」との声が上がっていた。

 このため、同センターは05年以降、大学や高校の関係者を集め、過去問の扱い方を検討。「良問ならば繰り返し出題されても構わない」「代表的な古典からの出題は大学側にとっても望ましい」など、肯定的意見が相次いだことから過去問を認める方向でほぼ一致した。

 出題対象をどこまで広げるかについて、現段階では、「教科書に掲載されたり過去に出題されたりした題材の中から、引用場所が重ならない範囲で出題する」という案から、「引用場所が重複しても構わない」「設問や選択肢まで同じでもいい」という案まで幅広く検討されている。

 ただ、受験生の間の公平性を確保する観点から、「選択肢の表現まであえて同じにすることは避けるべき」といった声もあり、今後、重複をどの範囲まで認めていくかなど、細部を詰める予定だ。
(2007年8月20日3時0分 読売新聞)


これも、大学や入試センターの手抜きか、と言うと、実はそうでもない。
私がかつて関わっていた古文では、新しい文章は生産されないわけだから、出題暦のない文章を探してくるのに本当に苦労した。
現代文でも、入試に出しやすい、適度に難解で、しかし論理的、修辞的な整合性はきっちり保っている文章、更に言えば、思想的にも穏健、なんて言う文章は、何処にもない状況だ。

余談だけれど、皆さん、入試問題を作る立場で最近の小説でも、論説文でも、丹念に読んでいただきたい。何処にも綻びのない文章が、なんと少なくなったことか。
センター試験が鴎外を出した時には、私も驚きつつ、この文章の美しさに改めて息を呑んだのを思い出す。


で、実は、我々は、国語をやめる暫く前、出題歴を気にしながらではあったが、教科書に掲載されている有名な文章を入試に出す、と言うことを試みている。

背景には、学力低下と言うこともあったし、古文の基礎学力はそう言う文章でこそ問える、と考えていたからだ。

その上で、出題の工夫、と言うことについては、随分意見交換をしていた。

そのころのことは、ホームページに残っているので是非ご参照を


何はともあれ、出題歴の有無にかかわらず、いい問題が沢山出てくることを祈る。
予想屋さんが繁盛して、器用な受験者が良い点を取るような状況を助長しないように。

話が散漫になってきた。

ここのところの、一連の、入試や授業に関するあれやこれやに通底するのは、大学乃至大学教師が、何処を向いているのか、と言う問題だとおもっている。

学生も悪い、高校も悪い、学生を受け容れる企業にも、もう少し考えて欲しいことがある。
それにしても、大学が、世間の顔色を窺っていないで、自信を持って、学問の喜びを、そこに至るために必要の学力のあり方を、自分から提示して見せなければいけないんじゃないのか、と。

大学には「憲章」とか「綱領」みたいな物がある。学部にあるところもあるだろう。
しかし、多くが、固有名詞を換えてしまえば通用するくらい個性がない。

突飛な物、奇抜な物が良いわけではないこと、勿論だけれど、もう少し、自分の言葉を持ってくれないと。

組織は面倒だ。

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