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コニタス

書き留めておくほど重くはないけれど、忘れてしまうと悔いが残るような日々の想い。
気分の流れが見えるかな。

だから男ってのはね。

2010-06-16 15:35:17 | 
評判の映画、「プレシャス」を観てきた。
かなりきついんだろうな、と覚悟していったのだけれど、そこはしっかり商業映画、リミッターはちゃんと効いてる。

しかも、マライア・キャリー(すっぴん)やレニー・クラヴィッツが良い感じで出てくるし。

原作のことは知らず。
教育の価値も意義も否定するようなとんでもない家庭環境でそだった、ある種、絶対弱者みたいな少女が、除籍になった中学の校長に紹介されてフリースクールに行くようになり、そこで出会った素敵な教師の「愛」で、不幸の追い打ちにもかかわらず、強く生きていくぞ、と言う話。
そのあとどうなるんだかわからないけれど、とにかく厳しい社会だ。

太った女の子が現実離れした夢を見て、でも諦めずに……、と言うのは「ヘアスプレー」で、これは、おとぎ話だけれど、とても良くできている。
ちゃんと優しい両親がいて、経済的にも困ってないし、そもそも白人だし。
体型以外は全くマジョリティに属し、ポジティブに生きている。


「ヘアスプレー」と「プレシャス」を比べるというのは無茶だ。
無茶なんだけれど、その無茶さ加減が、今の現実なのかも知れない。


文字の読み書きもままならない少女が強い教師に出会って目覚めていく話なら「奇跡の人」
しかし、プレシャスはヘレン・ケラーのように裕福ではなく、ミズ・レインは暴力をふるわない。
プレシャスの不幸は、身体的障碍ではなく、家庭環境が教育と言うことを遠ざけてしまったことにある。
ミズ・レインとの出会いで重要なのは、文字の読み書きは出来ないけれど数学は好きと言うプレシャスの潜在的な力を見いだして伸ばすことが出来た、と言うことなんだろう。
そこで、言葉と出会う。詩も書くようになるらしい。
未だ見てない映画だけれど、教師の発する問いかけ、態度が少し「パリ20区」に通じるところがある気がして興味深い。
国語は大事だよ。

ただ、それにしても、こうやって這い上がって行く事の出来る人たちがどれほどいるのだろう。
原作を実際に読めるのは「人並み」な教養があると言うことだし、映画館で映画を見るというのも、そういう「底辺」の人でも可能なのかな。
そんなことを考えつつ、『スラムドッグ$ミリオネア』を思い出したり。


この映画では、重要な役回り(殆ど悪魔)のはずの父親が、顔も出てこないうちに死んでしまう。
ちょっと気になっていたら、公式パンフレットに内田樹と言う学者がコラムを書いていて、全文ブログで読める(男性中心主義の終焉)。

これまで作られたすべてのハリウッド映画は、…………、本質的に「女性嫌悪(misogyny)」映画だった。
……
『プレシャス』はその伝統にきっぱりと終止符を打った。本作はたぶん映画史上はじめての意図的に作られた男性嫌悪映画である。


なるほど。
男性嫌悪映画ですか。

レイン先生がレズビアンだと言うことの意味。
同級生の見事なマイノリティっぷり。
では、レニクラや、幻想の恋人は?
数学の先生は?
あの女性事務職員とレニクラ看護師で何か展開アリ?
母の責任は?

色々得心のいく部分もある興味深い分析だと思うけれど、すべて納得、と言うわけでもない。

パンフに掲載された文章に続く補足説明、

アメリカの文化は「女性的なもの」へと補正されなければならないという見通しに私は深く同意する。
『プレシャス』は、その作業が「女性たちだけのホモソーシャルな集団」によって担われる以外にないと告げている。


というところで私は躓く。

“ミソジニー”(女性嫌悪)の反対、つまり“男性嫌悪”と言う言葉をしらべてみると、ミサンドリー(Misandry)と言う言葉が出てくる。
ウィキペディア(安易すぎ?)の説明では、男性や男らしさに対する蔑視や偏見、憎しみを指す語である。男性嫌悪。本来は「人間嫌い」という意味であるが、「女性嫌悪(ミソジニー:Misogyny)」という語の対照語として用いられる。

モリエールに『人間嫌い』というのがあったな、と思って検索してみたらLe Misanthrope ou l'Atrabilaire amoureuxと言うのだそうで、最初の単語がそれっぽい(なさけないけど、わかりません)けれど、勿論これは「男性嫌悪」の話ではない。


内田氏は、何を以て“女性的”と言いたいのだろう。
この映画に出てくる様々な力強いマイノリティのあり方を、「女性たちだけのホモソーシャルな集団」と言って一括りにしてしまうのはとても危険なことのように思う。
“男性らしさ”の裏返しは、“女性らしさ”ではない。

アメリカ社会だけでなく、我々が乗り越えなければならないのは、[男/女]という対立軸そのもののはずだ。


一人称の不器用な語り、身体感覚、妙にぶれるカメラ、色々工夫があった映画だと思う。
ちょっと残念だったのは、メアリー・J・ブライジも参加してると言う音楽に字幕がないこと。まぁ、ミュージカルではないのでドラマの最中は邪魔だろうけれど、エンドロールでかかる曲くらい、日本語訳が欲しかった。英語勉強しろよ、って話ですが。

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