コニタス

書き留めておくほど重くはないけれど、忘れてしまうと悔いが残るような日々の想い。
気分の流れが見えるかな。

期待したい

2005-07-24 17:18:00 | 
で?

今日は知事選挙。現職有利は動かない、と誰もが言って、投票率は上がらないんだろうな。
昼過ぎに行ったらガラガラだった。10%台。

で、投票に行け、と言う趣旨の、一見中立を装いながら現職を持ち上げる薄汚い社説を載せた某ローカル新聞の態度は、もう慣れっこで、こういう土地柄だから何を言っても仕方ない、って、これじゃ同じ論理だな。

それはさておき、その社説の中に、大事な一票をよく考えて投じることを(正確な引用ではありません)「期待したい」とあった。

よくある表現です、私が某学会誌の運営委員をやってたときは、投稿呼びかけ文の末尾「意欲的な投稿を期待する」とかに変えて貰ったんですが、戻っちゃいましたね。いつもじゃないみたいだけど。


*十年後の世界は平和ですか?

・そう考えたい。
・そう思いたい。

なかなかねぇ、現実は厳しいから、そうはならないかも知れないけどねぇ。

そのようであると思ったり考えたりするのは困難な気がする、でも、思いたい。
それは、「そう思う」「そう考える」と断定するのとは全く立ち位置が違う。

さて、「期待」とは何か。
思いたい未来を期して待つ事じゃないのか。
それは、未来がどのようなモノと予測されようが、自由に思い描き、そのようであれと願うことのはずじゃないのか。

「期待する」となぜ言えないのか。

十年後の世界は平和である期待する。「期待したい」じゃなくて。

曖昧表現だの、誤用だのと、若者や老人の生きた言葉をあげつらって記事にする連中が、こういう言葉遣いをする。これじゃ、静岡の未来は期待したくても出来ないね。


私も、言葉を商売道具にしながら、随分ぞんざいに、垂れ流していると言う自覚がある。
でも、だからといって、だれが、どんな言葉を使っても黙って笑っているわけにはいかない。

25年くらい前、私はジャーナリストになりたかった。
それがどんな物なのかも分からなかったけれど、その後、沢山の本も読んで、頭の中に、形が見えてきた。
いま、そういう職業の人と知り合う機会が増えて、良いな、と思える人もいない訳じゃない。
でも、現実は厳しすぎるな。特に、その社説のとこね。

あんた、その仕事、楽しいかね。

は? 仕事はそんなもんじゃないってか?
勝手に言ってろ。
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