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混むの日記帳

毎日、思ったこと書くよお!馬鹿がつくほど、ビスキャッツファンの混むが書くブログ

TheBiscatsへ

2025-04-03 17:32:15 | 混む論説委員会
2021年に出会った頃、ここまでTheBiscatsが生活に必要となるとは思わなかった。
今では、Misakiちゃんの透明な声とcover動画やオリジナル曲で見せてくれるアイドルの表情とセクシーな表情。
それに後ろのバンドマンが奏でる音色に酔いしれている。ありがとう。これからもヨロシク

30年

2025-01-17 18:21:31 | 混む論説委員会
今日は、1月17日。
阪神・淡路大震災から、30年。 当時高校生だった自分は、副担任のマドンナスカイライン先生に「関西で大地震起きた」と一報を受けても今のようにインターネットが普及してなかったから、調べられず。学校から帰宅し見たニュース映像が現実のものだとは思えなかった。 しかし、日がたつにつれ起きたことの大きさがわかってきた。
さらに、現場実習へ出向いたわらしべの家で、理事長さんが副校長を務めていたマロニエ医療福祉専門学校の学生さんを神戸に派遣し、「子供たちの遊び相手になってあげよう」という企画を立て、実行なされるまでのプロセスを目の当たりにして、どれだけの人々がこの取り組みを待っているのかが、実感できた。
だから、理事長さん(当時60歳)が活動から帰ってくるのを待って、取材させてもらい、個人的に発行していた新聞に載せた。2010年のNHK番組で、阪神・淡路大震災時障害のある人が避難が遅れたり、廊下で寝たままだったり、10日間大便を我慢したと聞かされた。能登地震で避難している障がい者もだろうか?僕にできること。忘れないこと。気の置けない人々と仕事し、生活している今の環境に感謝した。
おじさん、天国で身振り手振り交えて熱く語っていて欲しいっ。
ありがとうございました。
阪神から、30年。東日本からもうすぐ14年。能登から1年と16日。誰もが、「あれから・・・・。早いね」といえる日、何年後だろう。

今日は、1月17日

2024-01-17 18:06:07 | 混む論説委員会
今日は、1月17日。
阪神・淡路大震災から、29年。 当時高校生だった自分は、副担任のマドンナスカイライン先生に「関西で大地震起きた」と一報を受けても今のようにインターネットが普及してなかったから、調べられず。学校から帰宅し見たニュース映像が現実のものだとは思えなかった。 しかし、日がたつにつれ起きたことの大きさがわかってきた。
さらに、現場実習へ出向いたわらしべの家で、理事長さんが副校長を務めていたマロニエ医療福祉専門学校の学生さんを神戸に派遣し、「子供たちの遊び相手になってあげよう」という企画を立て、実行なされるまでのプロセスを目の当たりにして、どれだけの人々がこの取り組みを待っているのかが、実感できた。
だから、理事長さん(当時61歳)が活動から帰ってくるのを待って、取材させてもらい、個人的に発行していた新聞に載せた。2010年のNHK番組で、阪神・淡路大震災時障害のある人が避難が遅れたり、廊下で寝たままだったり、10日間大便を我慢したと聞かされた。能登地震で避難している障がい者もだろうか?僕にできること。忘れないこと。気の置けない人々と仕事し、生活している今の環境に感謝した。
阪神から、29年。東日本からもうすぐ13年。能登から16日。誰もが、「あれから・・・・。早いね」といえる日、何年後だろう。

Wednesday

2024-01-10 17:43:13 | 混む論説委員会
午前8時15分に朝のヘルパーさんがやってきて軽い身支度をして、車いすへの移乗をヘルパーさんがやってくれた。通所後、オフィス通販サイトで100枚窓あり封筒を注文。なじみのお客様から300枚の封筒印刷の話しをやりはじめる。
そのころ、能登地震で被災された皆様やっとお風呂に。(^_^)/僕は、避難所や車中泊で過ごされるより、ホテルに泊まってと発災以降ずっと思っていた・・。それは、僕が身体障害者で身体を暖めないとならないから。その従業員の方も被災されているかもしれないと考えると大変やりきれない。
よく寝て、明日も、楽しむ。
全作業日265日のうち207日お仕事した。1歩、1歩いく。

「なにやっとーん」

2023-11-01 18:20:32 | 混む論説委員会
今日から11月か。
早いなあ。
午前8時50分にデスクに到着後、「事故から24年か。やつが事故に遭わなきゃ、遭ってもベルトさえしてれば骨折だけで一般就労だったよねえ。同窓会も、毎年できたよね」と考えパソコンしていた。
回想になるが、24年前の朝、友人が自分の不注意で事故り、道路に頭を打ち、後遺症で記憶をためておけなくなった。友人は、わらしべの家から家電量販店に転職。事故はその3日後22歳誕生日の朝に森高千里のCDを大音量でかけながら、進入したT字路で2つ違いのお姉さんの前でおきた。
バカ野郎。
事故の1ヶ月前ぐらいから、週末になると呼ばれ、話を聞かされていた。「あいつに呼ばれているから、ちょっと行ってくる」と電動車いすをせがむ俺。うれしかったのである。最初は、洗車場で愛車赤のNXクーペを洗いながら、缶コーヒーにストローをさして俺に水分補給してくれていた。窓を開けっぱなしで洗って、ずぶ濡れになったこともあった。
「なにやっとーん」
「しかたねえ」
乾くまでいろんな話していた。
けど、だんだん生意気に聞こえてきた。「一般就労が目的だと、こうなるのか」と考えていた。
友人は、その当時は自立していた。170cm。一緒に通った学校では、競歩の全国障害者スポーツ大会出場選手に選ばれた。学校での壮行会のことを覚えている。事故らなければ、誰かと恋愛して2022年のいちご一会・とちぎ大会にも出ていたと推測する。バカ野郎。身体的に重度だったのは俺とあいつだった。この事故から俺が得たものは、謙虚に生きようということ。(20代のころは、謙虚じゃなかった面も、あったけど)
あれから、24年。
友人は、大好きな姉ちゃんと2所帯住宅で暮らして今も、「ちゃん」付けで親から呼ばれている。おぼっちゃんは、大きいけいれんを何度か起こし、わらしべの家卒業。この状況に2人で協議し、延期にした。あいつは、「俺は生きているから、姉御も呼んで、保護者全員呼んでいつか2度目の同窓会しような」と言っていたけど虹の向こうへ行っちゃった。
出来ずにごめん!
やつは、今、けやきに週一で生活介護に通い、入浴しているよね。ホームページで確認している。何を思い、考えているんだろう・・・・・。親子で、歯槽膿漏の治療している?歯医者さんは大切だよ。俺は機械を使って立っているよ。
回想から戻って、今日も無事終えた。元気に朝を迎えられたら・・。明日、おしごと。そだねー。1日一生。

ニジイロノアメ

2023-10-31 18:23:03 | 混む論説委員会
「天才てれびくん▽盲学校の中学生と演奏会SP▽曲作り・夏の思い出🈖🈑
NHKEテレ1東京
10/31 (火) 17:35 ~ 18:00
栃木の盲学校です。撮影がありました。ぜひ、ご覧ください」
と高校の恩師の投稿に誘われて、番組を見てみた。
「自分たちの作った曲を皆さんに聴いてもらいたい」と中3生。ピュアでやる気にあふれている表情に「1992年、自分はこんな風だったかな?違うな。ドラマのことやアイドルのことを追っていたな」と思い返していた。「ニジイロノアメ」がラジオ局で流れることを願う。
最後に校長先生が出てきて「恩師でしょうか」と思ったが、違う方だった。

6年・・・

2023-04-28 17:58:02 | 混む論説委員会
あれは、2017年春。あの日も金曜日。知り合いがオペして乳がんを部分切除したことは知らなかった。でも、決戦の金曜日とブログに書いてあるのを読んでいた。でも、部分切除できた。新しいブログで放射線治療で黒くこげたおっぱいみたら、泣けてきた。戦友だね。巨乳は無駄な筋肉ではなかったね。経験談読んで、画像検索するとそう思う。
今は立派なパートのおばちゃんらしい。
【写真は、イメージです】

今日は、1月17日

2023-01-17 17:32:29 | 混む論説委員会
今日は、1月17日。
阪神・淡路大震災から、28年。 当時高校生だった自分は、副担任のマドンナスカイライン先生に「関西で大地震起きた」と一報を受けても今のようにインターネットが普及してなかったから、調べられず。学校から帰宅し見たニュース映像が現実のものだとは思えなかった。 しかし、日がたつにつれ起きたことの大きさがわかってきた。
さらに、現場実習へ出向いたわらしべの家で、理事長さんが副校長を務めていたマロニエ医療福祉専門学校の学生さんを神戸に派遣し、「子供たちの遊び相手になってあげよう」という企画を立て、実行なされるまでのプロセスを目の当たりにして、どれだけの人々がこの取り組みを待っているのかが、実感できた。
だから、理事長さん(当時60歳)が活動から帰ってくるのを待って、取材させてもらい、個人的に発行していた新聞に載せた。2010年のNHK番組で、阪神・淡路大震災時障害のある人が避難が遅れたり、廊下で寝たままだったり、10日間大便を我慢したと聞かされ、気の置けない人々と仕事し、生活している今の環境に感謝した。
阪神から、28年。東日本からもうすぐ12年。前理事長さんは88歳になられている。
誰もが、「あれから・・・・。早いね」といえる日、何年後だろう。

鎌倉殿の13人、ありがとう

2022-12-19 18:23:45 | 混む論説委員会
昨夜、放送された鎌倉殿最終回。
2022年1月に「次の大河、三谷さん脚本だから面白そう」と家族を誘ったが、面白かったのは頼朝が八重と復縁を迫る場面や、八重への義時の初恋、頼朝が女中の亀と浮気する「亀の前事件」まででそれ以降ずっとシリアスだった。若き義時の良き相談相手であった上総介さま。頼朝の呑み友達にも見えた上総介さまが斬り殺されたとき、本当に悲しかった。目上の人には、「敬語を使わないと、いけないな」と感じた。
大泉の演じた頼朝が亡くなった後、いとこ同士で政権を奪い合う鎌倉殿。そこに1年引き込まれた。りくさま、きれいだった。りくの手のひらでころころ操られていく親父さん時政。女性って怖いとつくづく感じた。
のえさんが「私のこと、見てくれていなかったから」と義時に数年間にわたって飲ませた毒。怖えー。最初から北条を乗っ取る気満々だったのえ。八重と比奈の2人だったら、丸く済んだかな?比奈は、敵の親戚で結局・・・・・・・・。
最終回、承久の乱の勝利を願うご祈祷や尼将軍とミイの会話、義時を見舞ってジョークを飛ばす義村など穏やかに進んだ。尼将軍と義時の会話でタイトル「13人」は粛清された人数と恐ろしい形で裏の意味が込められていることが分かった回。姉に見守られ逝く義時。「よかったね、本望だったね」と思ってなかなか寝付けず。「狭いよ」と思いながら、「鎌倉時代のことをあまり知らなかった。僕のなかでの鎌倉時代は鎌倉殿にアップデートされたよ。だれでも再放送を見られるようにして」と思った。
23時10分(1年前、沙也加の死亡が確認された時間)から寝た。
ありがとう

23年

2022-11-01 18:31:39 | 混む論説委員会
今日から11月か。
早いなあ。
午前8時59分にデスクに到着後、「事故から23年か。やつが事故に遭わなきゃ、遭ってもベルトさえしてれば骨折だけで一般就労だったよねえ」と考えパソコンしていた。
回想になるが、23年前の朝、友人が自分の不注意で事故り、道路に頭を打ち、後遺症で記憶をためておけなくなった。友人は、わらしべの家から家電量販店に転職。事故はその3日後22歳誕生日の朝に森高千里のCDを大音量でかけながら、進入したT字路で2つ違いのお姉さんの前でおきた。
バカ野郎。
事故の1ヶ月前ぐらいから、週末になると呼ばれ、話を聞かされていた。「あいつに呼ばれているから、ちょっと行ってくる」と電動車いすをせがむ俺。うれしかったのである。最初は、洗車場で愛車赤のNXクーペを洗いながら、缶コーヒーにストローをさして俺に水分補給してくれていた。窓を開けっぱなしで洗って、ずぶ濡れになったこともあった。
「なにやっとーん」
「しかたねえ」
乾くまでいろんな話していた。
けど、だんだん生意気に聞こえてきた。「一般就労が目的だと、こうなるのか」と考えていた。
友人は、その当時は自立していた。170cm。一緒に通った学校では、競歩の全国障害者スポーツ大会出場選手に選ばれた。学校での壮行会のことを覚えている。事故らなければ、誰かと恋愛して2022年のいちご一会・とちぎ大会にも出ていたと推測する。バカ野郎。身体的に重度だったのは俺とあいつだった。この事故から俺が得たものは、謙虚に生きようということ。(20代のころは、謙虚じゃなかった面も、あったけど)

あれから、23年。
友人は、大好きな姉ちゃんと2所帯住宅で暮らして今も、「ちゃん」付けで親から呼ばれている。おぼっちゃんは、大きいけいれんを何度か起こし、わらしべの家卒業。今、けやきに週一で生活介護に通い、入浴している?何を思い、考えているんだろう・・・・・。親子で、歯槽膿漏の治療している?歯医者さんは大切だよ。俺は機械を使って立っているよ。
回想から戻って、今日も無事終えた。元気に朝を迎えられたら・・。明日、おしごと。そだねー。1日一生。

7.26

2022-07-26 18:32:31 | 混む論説委員会
相模原殺傷事件の慰霊祭が行なわれたきょう。休み時間に改めて文春オンラインで植松の顔見た。
優しく友人には接し、障がい者には「意思疎通のできない重度の障害者は不幸かつ社会に不要な存在であるため、重度障害者を安楽死させれば世界平和につながる」という思想を持っていた。もっとも差別的な犯人の言葉と受け止める。僕らは生きてるし、支えられて生産活動もしている。あの日、亡くなられた人にもその人なりの趣味もあったろうにと思うとやるせない。でも、世の中にはこの犯人のように障害者を知らなくて、差別的な人もいる。肝に銘じておこう。
安倍元総理を射殺した犯人も、安倍さんに銃口むけずに母と死ねば良かったのにね。
1994年7月26日、道半ばで亡くなった僕の伯父。管理を任されていた川崎・あさみビルにいくと「よく来たな」と出迎えて麻雀も教わったっけ。合掌
元気に朝を迎えられたら・・。明日、おしごと。そだねー。1日一生

今日は、1月17日

2022-01-17 18:27:17 | 混む論説委員会
今日は、1月17日。
阪神・淡路大震災から、27年。 当時高校生だった自分は、副担任のマドンナスカイライン先生に「関西で大地震起きた」と一報を受けても今のようにインターネットが普及してなかったから、調べられず。学校から帰宅し見たニュース映像が現実のものだとは思えなかった。 しかし、日がたつにつれ起きたことの大きさがわかってきた。
さらに、現場実習へ出向いたわらしべの家で、理事長さんが副校長を務めていたマロニエ医療福祉専門学校の学生さんを神戸に派遣し、「子供たちの遊び相手になってあげよう」という企画を立て、実行なされるまでのプロセスを目の当たりにして、どれだけの人々がこの取り組みを待っているのかが、実感できた。
だから、理事長さん(当時60歳)が活動から帰ってくるのを待って、取材させてもらい、個人的に発行していた新聞に載せた。2010年のNHK番組で、阪神・淡路大震災時障害のある人が避難が遅れたり、廊下で寝たままだったり、10日間大便を我慢したと聞かされ、気の置けない人々と仕事し、生活している今の環境に感謝した。
阪神から、27年。東日本からもうすぐ11年。前理事長さんは86歳になられている。
誰もが、「あれから・・・・。早いね」といえる日、何年後だろう。

22年前の朝

2021-11-01 18:03:53 | 混む論説委員会
今日から11月か。
早いなあ。
午前8時47分にデスクに到着後、「事故から22年か。やつが事故に遭わなきゃ、遭ってもベルトさえしてれば骨折だけで一般就労だったよねえ」と考えパソコンしていた。
回想になるが、
22年前の月曜日朝、友人が自分の不注意で事故り、道路に頭を打ち、後遺症で記憶をためておけなくなった。友人は、わらしべの家から家電量販店に転職。事故はその3日後誕生日の朝に森高千里のCDを大音量でかけながら、進入したT字路・・。2つ違いのお姉さんの前でおきた。
バカ野郎。
友人は、その当時は自立していた。一緒に通った学校では、競歩の国体選手に選ばれた。身体的に重度だったのは俺とあいつだった。この事故から俺が得たものは、謙虚に生きようということ。(20代のころは、謙虚じゃなかった面も、あったけど)
事故の1ヶ月前ぐらいから、週末になると呼ばれ、話を聞かされていた。「あいつに呼ばれているから、ちょっと行ってくる」と電動車いすをせがむ俺。うれしかった。最初は、洗車場で愛車NXクーペを洗いながら、コーヒーにストローさして俺に水分補給してくれていた。窓を開けっぱなしで洗って、ずぶ濡れになったこともあった。
「なにやっとーん」
「しかたねえ」
乾くまでいろんな話していた。
けど、だんだん生意気に聞こえてきた。「一般就労が目的だと、こうなるのか」と考えていた。
あれから、22年。
友人は、大好きな姉ちゃんと2所帯住宅で暮らして今も、「ちゃん」付けで親から呼ばれている。おぼっちゃんは、大きいけいれんを何度か起こし、わらしべの家卒業。今、けやきに週一で生活介護に通い、入浴している?何を思い、考えているんだろう・・・・・。親子で、歯槽膿漏の治療している?
回想から戻って、僕は今日も無事終えた。元気に朝を迎えられたら・・。明日、おしごと。そだねー。1日一生。

2.4時間テレビ 誰ひとり取り残されないSDGs

2021-08-23 18:37:22 | 混む論説委員会
日テレ「24時間」を意識したnhkバリバラ2.4時間テレビ 誰ひとり取り残されないSDGs(22日午前0時~午前2時24分生放送)。昨日夕方録画したのを見た。玉木幸則さん(脳性麻痺の社会福祉士・相談支援員)が「玉金八先生」に扮して障害者とはと教えてらっしゃった。給食の食べ方、頭を下げてかき込み飯。自分もやっているなと感じた。。それをじっとみる小学生。はじめてじゃ驚くよね。その後の授業で「あれが僕の食べ方。僕も同じ人間。差別されると僕は障害者になる」。僕はその視点がなかったので涙があふれた。
その視点は、いつもお世話になっているカッパ理事長さんのほうが持っていると感じた。「私は健常者 障がい者って何 社会があえて差別しているから」とFB紹介文にドキッとしていたが、そういうことなのねと腑に落ちた。カッパ理事長は、栃木市で1番の自由人。僕はサラリーマンだよ。覚えておいて。

5年

2020-11-01 18:12:43 | 混む論説委員会
N嬢さんが考案した短期入所体験会から5年。
「ここは、お泊りの場所。支援員さんとても笑顔。介助も上手だったけど、時計もないし、社会との接点やっぱりないのかな」と思ったのは共通していたけど、あのときのひのきと2016年のひのきでは別物だった。
2015年は日中一時支援の続きのように大切に扱われ、2016年は「トイレ移乗させたら、僕の仕事終わり」みたいな感じ。2017年6月、当時の障がい福祉課長の吉沢さんと話せる機会があり2016年のひのきのこと話し、「もう短期入所いかないんけ」と聴かれ、首振った。行かないと親が死んだ後、困るから。
わらしべとこのゆびは、最初のイメージのままでいてくれている。感謝している。
ひのきにいらっしゃった野沢の先輩、支援員の秋葉さん、大塚さん、相談支援員の佐藤さん、その彼氏っぽい方、エクザイルTシャツを着ていたファンのお姉さん、元気かな?
次行くのは、最初のいいイメージのまま継続している事業所がいいな。

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