こもれびのように つきあかりのように

心の中にたくさん明るいコトバを満たしましょう。そして自分の心とつながるこの世界を明るいものにしましょう

神と偕(とも)に生きる歌8 新たに生れるとは

2022-12-29 17:28:14 | 日記
 新たに生れるとは、人間自身の自覚を「物質人間」の自覚から、「霊なる人間」への自覚へ転換(てんかん)することである。「肉体なる人間」の自覚から「生命なる人間」への自覚に生れ変ることである。出発点が大切である。「肉体」が人間そのものだと感じたならば、「肉体」ばかり可愛(かわい)がる人生が出発する。「肉体」は個々別々の存在であるから、人間を単なる「肉体的存在」だという人生観に立てば個人主義に堕(だ)し、利己主義や快楽主義がそこに生れる。霊を無視(むし)した利己主義、快楽主義の生活は、結局、人間の没落(ぼつらく)であり、人間の堕落(だらく)である。
 人間は神の子として、あらゆる善を既に内部に与えられているのである。神は”霊”であって物質ではない。だから神からの賜(たまもの)も”霊”であって物質ではない。物質でないから、兎もすれば肉眼(にくがん)でみえないので、それに感謝を怠(おこた)りがちなのである。しかも”感謝の念”こそ神からの”霊的な賜(たまもの)”を現象界に映し出すために必要な、唯一(ゆいいつ)の”心の波長”であるということを知らねばならない。

谷口雅春先生の【新版女性の365章】
第一項 神と偕(とも)に生きる歌
12ページ 新たに生れるとは より

”感謝の念”こそ神からの”霊的な賜(たまもの)を現象界に映し出すために必要な、唯一(ゆいいつ)の”心の波長”であるということ
これは、知りませんでした。びっくりいたしました。
感謝が重要なんですねぇ。霊的な賜とは、推測するに、健康、調和、豊かさ、美しさなどいろいろあるでしょうが、感謝がないと神様からの善きものが現象界にあらわれないのですなね。
生長の家は、感謝の宗教と言われています。(キリスト教は愛の宗教、仏教は知恵の宗教だそうです)特に感謝を重要視しているのでしょう。
皆さんも年明けに向けて、感謝で心を整えてみてはいかがですか?
お父さんへの感謝、お母さんへの感謝、家族への感謝、知人友人への感謝、ペットへの感謝、今日のお食事への感謝、住んでる家への感謝、新しく年を迎えることに感謝……


神と偕(とも)に生きる歌7 今日は新生の日

2022-12-27 15:53:26 | 日記
 新たに生れる時が来たのである。”性”によって”肉”に受胎(じゅたい)し、もろもろの殺生(せっしょう)によって生をつなぐ汚(けが)れたる肉体の自分から脱(だっ)して、新たなる自分の自覚(じかく)に生れ変る時が来たのである。わたしは霊的存在であり、神の子である。わたしは未(いま)だ”性”の交合(こうごう)によって生れず、乱倫(らんりん)によって生れず、淫行(いんこう)によって生れず、天より天降(あまくだ)りたるものである。仮りに肉体の姿をあらわすと雖(いえど)もわたしは汚れなきものである。神聖なるものである。わたしは神の子であることを自覚したがゆえに、今日から神の子の生活を送るのである。今日より後(のち)、一切の苦しみあることなし、一切の悩(なや)みあることなし。わたしは今それを明(あきら)かに知る。まことにもわたしは霊によって新たに生れたのである。
 人間は神の自己実現であるから、神は人間を通して実現したまうのである。毎日一層多く一層高く実現したまうのであるから、今までの実現が暗くとも、不完全であるとも意に介(かい)することはない。日々が進歩であり前進であり、一層よき方向への実現であるのである。

谷口雅春先生の【新版女性の365章】
第一項 神と偕(とも)に生きる歌
11ページ 今日は新生の日

生長の家では、人間はどの方も、神様の大切な子であって(神の子であって)
神聖で尊い存在です。
どんなに自分や相手を素晴らし存在と「理想化」してみてもよいのです。
あなたは、あなたをどうみますか?どう自覚しますか? 
 

神と偕(とも)に生きる歌6 来る朝毎に

2022-12-27 08:37:06 | 日記
 毎朝眼が覚めたとき、昨日までの一切の葛藤(かっとう)、不快(ふかい)、不調、争いなどというものを忘れてしまって、今日は新年であり、元旦であり、新しき日の出発だと思うがよい。そして明るい希望をもって出発するのである。それは恰(あたか)もテレビの”善(よ)き番組”に波長を合わした如くでなければならない。テレビは或(あ)る”善き番組"に波長を合わしたならば、過去にどんなスリラーの恐(おそ)ろしい番組が出ていたにせよ。、それはもう「無い」のである。そのように貴方の過去がどうあろうとも今はもう「無い」のである。今日一日、明るい悦(よろこ)びと希望をもって生活せよ。
 一日じゅう、自分の心をどんな種類の想念感情が占領(せんりょう)しているかということによって其(その)人の運命がきまるのである。人を審判(さば)く心をもってはならない。尖(と)がった心を起してはならない。暗い心を起してはならない。自分のオーラ(後光(ごこう))が明るい色彩の、調和した色彩のものにならなければならない。明るい心を起すこと。調和の心を起すこと。感謝の心を起すことである。

谷口雅春先生の【新版女性の365章】
第一項 神と偕(とも)に生きる歌
10ページ 来る朝毎に より

この章にも、どんな想念感情をもって一日を過ごすのが大切か、お書きくださっています。
毎日毎日、ネガティブな感情を忘れてしまって、テレビの”善き番組”波長をあわす如く、明るい悦びと希望をもって生活せよとお書きくださっています。
今日も、明るいコトバ(想念、感情、表情)であなたの世界を満たしましょう。



神と偕(とも)に生きる歌5 神はあなたとともに

2022-12-26 21:14:35 | 日記
 神は、実に、いま、あなたと偕(とも)にあるのである。目ざめよ。目ざめなくとも、いま、実にあなたと偕(とも)にあるのだけれども、眼(め)を開かなければ、それが見えない、感じられないだけである。神はいまあなたの内に偕(とも)にありて、常に呼べば応(こた)え、あなたを導(みちび)いて、安全と幸福との世界に導きたまうのである。
 いま、あなたが立てるところに、いまあなたが坐(ざ)しているところに、あなたの周囲に、あなたの内に、到(いた)るところに神はいましたまうてあなたを護(まも)りたまう。そのことを常に閑(ひま)ある毎に心に念ぜよ。
 「いま、わたしの立てるところに、いまわたしの坐せるところに、わたしの周囲に、わたしの内に、到るところに神はいまして、わたしを護りたまう」
 と数分間繰返し念ずるがよいのである。

谷口雅春先生の【新版女性の365章】
第一項 神と偕(とも)に生きる歌
9ページ 神はあなたとともに より

神様は、いつも私たちと偕(とも)いてくださってます。
自分が感じられようとも、感じられずとも。
いつも神様と偕にいると感じて生きていきたいです。
もっと神様の名を呼べるようになりたいです。
そして神様のために生きていく人生をおくりたいです。




神と偕(とも)に生きる歌4 一切を拝む朝 

2022-12-26 18:59:33 | 日記
 人間であることの目覚めの朝である。人間が神の子であることを自覚する朝である。一切を拝(おが)む朝である。四方拝の朝である。万物がすべて神の顕現(けんげん)であることを知ることが出来る朝である。自己の神性があらわれなければ、対人、対物、対境が神であることがわからない。
 松は久遠生命の常磐(ときわ)に枯(か)れざる永遠の生命の象徴である。今日から私たち家族は死すべきものとは思わないのである。永遠不滅(ふめつ)の神のいのちが今此処(ここ)に生きているものだと思うのである。目出(めで)たし、目出たし。竹は中空(なかくう)である。心が空っぽである象徴である。常に私達は心が空っぽでなければならない。どんな悲しみも、心の中につかんではならない。どんな悩(なや)みも既(すで)に影(かげ)を消したのである。新しい年が来たのである。新しい日が来たのである。竹はまた「物質は本来ない」の象徴である。「肉体は本来ない」の象徴である。魂のみが人間である。魂の悦(よろこ)びのみを求めよう。其処(そこ)から肉体の悦びも、魂の悦びの反映(はんえい)として、得られることになるのである。


谷口雅春先生の【新版女性の365章】
第一項 神と偕(とも)に生きる歌
8ページ 一切を拝む朝 より

自分も、どんな方も、どんな物も、どんな対象も一切すべて神様のいのちのあらわれであるとお書きくださってあります。
(神仏を拝むように)一切を拝むと、自他が神様のように一番素晴らしくなるとかかれてあります。
私も最近、礼拝をもう一度はじめました。
元気になりました。