新たに生れる時が来たのである。”性”によって”肉”に受胎(じゅたい)し、もろもろの殺生(せっしょう)によって生をつなぐ汚(けが)れたる肉体の自分から脱(だっ)して、新たなる自分の自覚(じかく)に生れ変る時が来たのである。わたしは霊的存在であり、神の子である。わたしは未(いま)だ”性”の交合(こうごう)によって生れず、乱倫(らんりん)によって生れず、淫行(いんこう)によって生れず、天より天降(あまくだ)りたるものである。仮りに肉体の姿をあらわすと雖(いえど)もわたしは汚れなきものである。神聖なるものである。わたしは神の子であることを自覚したがゆえに、今日から神の子の生活を送るのである。今日より後(のち)、一切の苦しみあることなし、一切の悩(なや)みあることなし。わたしは今それを明(あきら)かに知る。まことにもわたしは霊によって新たに生れたのである。
人間は神の自己実現であるから、神は人間を通して実現したまうのである。毎日一層多く一層高く実現したまうのであるから、今までの実現が暗くとも、不完全であるとも意に介(かい)することはない。日々が進歩であり前進であり、一層よき方向への実現であるのである。
谷口雅春先生の【新版女性の365章】
第一項 神と偕(とも)に生きる歌
11ページ 今日は新生の日
生長の家では、人間はどの方も、神様の大切な子であって(神の子であって)
神聖で尊い存在です。
どんなに自分や相手を素晴らし存在と「理想化」してみてもよいのです。
あなたは、あなたをどうみますか?どう自覚しますか?