こもれびのように つきあかりのように

心の中にたくさん明るいコトバを満たしましょう。そして自分の心とつながるこの世界を明るいものにしましょう

神と偕(とも)に生きる歌5 神はあなたとともに

2022-12-26 21:14:35 | 日記
 神は、実に、いま、あなたと偕(とも)にあるのである。目ざめよ。目ざめなくとも、いま、実にあなたと偕(とも)にあるのだけれども、眼(め)を開かなければ、それが見えない、感じられないだけである。神はいまあなたの内に偕(とも)にありて、常に呼べば応(こた)え、あなたを導(みちび)いて、安全と幸福との世界に導きたまうのである。
 いま、あなたが立てるところに、いまあなたが坐(ざ)しているところに、あなたの周囲に、あなたの内に、到(いた)るところに神はいましたまうてあなたを護(まも)りたまう。そのことを常に閑(ひま)ある毎に心に念ぜよ。
 「いま、わたしの立てるところに、いまわたしの坐せるところに、わたしの周囲に、わたしの内に、到るところに神はいまして、わたしを護りたまう」
 と数分間繰返し念ずるがよいのである。

谷口雅春先生の【新版女性の365章】
第一項 神と偕(とも)に生きる歌
9ページ 神はあなたとともに より

神様は、いつも私たちと偕(とも)いてくださってます。
自分が感じられようとも、感じられずとも。
いつも神様と偕にいると感じて生きていきたいです。
もっと神様の名を呼べるようになりたいです。
そして神様のために生きていく人生をおくりたいです。




神と偕(とも)に生きる歌4 一切を拝む朝 

2022-12-26 18:59:33 | 日記
 人間であることの目覚めの朝である。人間が神の子であることを自覚する朝である。一切を拝(おが)む朝である。四方拝の朝である。万物がすべて神の顕現(けんげん)であることを知ることが出来る朝である。自己の神性があらわれなければ、対人、対物、対境が神であることがわからない。
 松は久遠生命の常磐(ときわ)に枯(か)れざる永遠の生命の象徴である。今日から私たち家族は死すべきものとは思わないのである。永遠不滅(ふめつ)の神のいのちが今此処(ここ)に生きているものだと思うのである。目出(めで)たし、目出たし。竹は中空(なかくう)である。心が空っぽである象徴である。常に私達は心が空っぽでなければならない。どんな悲しみも、心の中につかんではならない。どんな悩(なや)みも既(すで)に影(かげ)を消したのである。新しい年が来たのである。新しい日が来たのである。竹はまた「物質は本来ない」の象徴である。「肉体は本来ない」の象徴である。魂のみが人間である。魂の悦(よろこ)びのみを求めよう。其処(そこ)から肉体の悦びも、魂の悦びの反映(はんえい)として、得られることになるのである。


谷口雅春先生の【新版女性の365章】
第一項 神と偕(とも)に生きる歌
8ページ 一切を拝む朝 より

自分も、どんな方も、どんな物も、どんな対象も一切すべて神様のいのちのあらわれであるとお書きくださってあります。
(神仏を拝むように)一切を拝むと、自他が神様のように一番素晴らしくなるとかかれてあります。
私も最近、礼拝をもう一度はじめました。
元気になりました。

神と偕(とも)に生きる歌3 心の窓をひらいて 

2022-12-26 17:10:26 | 日記
 天地万物(ばんぶつ)、心の眼(め)をひらいて見れば、悉(ことごと)く神のいのちのあらわれである。其処(そこ)に無数の啓示(けいじ)と教えとがダイヤモンドの如く燦(かがや)いているのである。それを見出(みいだ)すものもあれば、見出さないものもある。

 空気も、水も、日光も、家も、着物も、天地万物ことごとく神のいのちの表現である。感謝して受ける心はこれらを浄(きよ)め、その恩沢(おんたく)を増幅(ぞうふく)するのであり、感謝しない心は、その恩恵をけがし減弱(げんじゃく)して受けとるから充分の功徳(くどく)を受けることはできない。

 窓を開いていないと光は入ることはできない。窓を開いていても夜間であれば光は入らないこともある。しかし常に窓を開いておれば、やがて朝の光、昼の光は必ず訪(おとず)れるのである。常に心の窓をひらいて必ず光(幸福)が来ると信じておれば、必ず光は訪れるのである。心の明るい者の処(ところ)へ幸福は訪れる。

谷口雅春先生の【新版女性の365章】
第一項 神と偕(とも)に生きる歌
7ページ 心の窓をひらいて

あなたも、わたしも、誰も、ノートも、パソコンも、マグカップも、ボールペンも、今日のおやつも、みんなみんな神様のいのちのあらわれです。
どんな人も、どんな物体も、人工物も、神様のいのちのあらわれです。
どんな対象に対しても感謝しているとその恵みが増えます。

また、人生において明るい時期だろうが、暗い時期だろうがいつも神様の方を向いていると、幸福は訪れるとお書きくださってます。

今の、私にとても心にひびきました。今日もこれからもがんばろう!

神と偕(とも)に生きる歌2 わが家は喜(よろこ)びの庭(にわ)

2022-12-26 16:17:42 | 日記
 よろこびよ来(きた)れ。わが家はよろこびの庭。すべての人新しき日を仰(あお)ぎ、すべての人新しき生命(いのち)を生き、さんざめきて、われら新しき年を迎う。悲しみは過去にさりたり。嘆(なげ)きの日は消えてあとなし。暗黒は光の前に、其(そ)の無をば暴露(ばくろ)したり。
 わが家はよろこびの庭。わが家は光の御園(みその)。ああ大いなる光われを包めり。天国は今此処(ここ)にあり。さんさんと日は輝けり。

 悲しみよ、わが家に入ることなかれ。憂(うれ)いよ、わが庭に入ることなかれ。この家は喜びの家、わが庭は悦(よろこ)びの園。くるしみの来(きた)るときにもわれは喜び、悩みの来(きた)るときにもわれは神を讃(たた)う。われは現象にとらわれず、ただ神のつくりたまえる実相の世界のみを見る。現象をみるときは現象のとりことなる。虜(とりこ)は縛(しば)られて自由を得ず。現象を見ず、常に実相を観(かん)ずるとき一切の禍(わざわい)は消ゆ。

谷口雅春先生の【新版女性の365章】
第一項 神と偕(とも)に生きる歌
5ページ わが家は喜(よろこ)びの庭(にわ)

元旦のためのご文章です。
前半の部分ですが、年の初めにこのように、繰り返し明るい言葉で祝福されるのは勇気づけられますし、気持ちがよいものですね。
後半の部分は、ネガティブを断固拒絶し、それを超えていける人間の力と方法をお書きくださってます。
今日アップしましたが、元旦にもう一度お読みください。