雑誌に学ぶ 「江古田文学(日芸大)」

2019-04-14 22:53:54 | 日記

江古田文学83(日芸大)                               201904

文学は生き残れるか                富岡幸一郎 佐藤洋二郎

僕が学生の頃、日大で秋山駿先生が非常勤の先生で講義とゼミを持っていた。ぼくは秋山さんの評論が大好きでしたから偽学生として秋山ゼミに入っていた。ゼミは単に講義というよりいろんな小説を読んで感想を言ったりしていた。

今、僕は大学で教える他、鎌倉文学館長をやっている。鎌倉文学館はもともと加賀前田家の別宅だった。昭和58年に鎌倉市寄付された。立派な洋館で大きな家です。そこで昭和60年から文学館を始めた。僕も鎌倉に住んで25年になり鎌倉に縁があるので館長を受けた。文学館もそうだけど今図書館もダメ。民間会社に任せたり天下りが館長になったり。司書も勉強していなくて貸本屋みたいになり勝ち。文学とか図書館とかは利益とちょっと違う。本屋におかない本も入れなきゃいけない。そういうことにおいて図書館は大事だけどそういう図書館が少なくなってきている。

 

千葉県なんか不毛の地。文学館もないしいい図書館もない、浦安図書館はよかったけど初代館長が離れたら途端ダメになった。やっぱり目利きできる人がいないとダメなのだ。文化とか歴史とか地域に還元する知をと言う意味で図書館は大事だと思うが。やっぱり長年本に親しんでいる人が図書館の事務職に居るのが大事になってくる。職員の中に本に対する知識や思い入れがある人がいないとだめ。特に大学図書館はそうである。次に崩壊するのは大学図書館だと思う。プロを育てることを組織がやらなくなってきた。それは出版社にも言えると思う。出版社で本が売れなくても今は違う。文化事業という意識がなくなった。

 

大学では国文学科とか日本文学科もどんどんなくなっていく。文学研究雑誌もなくなっている。ITとかで空間を拡張する。でも結局、文化とは時間である。空間ばっかり膨張して時間が消滅している。文楽や文化はなりたたなくなっている。だから日本語を知らない人が増えている。日本語を勉強するには近代文学や古典文学にどこかで触れていないとダメなのだ。日本は日本語で何でも勉強できる国だ。言葉の力が弱くなると考える力が弱くなる。感受性が弱くなるということだ。言葉が人格を作るのだから言葉をちゃんと組み立てられることが大事になる。人間形成という意味で人間が文字をしっかり読むということは単純なことだけと重要といえる。物を考えるというのはものすごく忍耐がいる。どんなアルバイトより苦しい。しかしそういう訓練は楽しいともいえる。楽しんで理解して言葉を味わう。文学が生き残るヒントはそのあたりにあるのではないだろうか。