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8月9日(水) 第1週・6日目
今日のティク・ナット・ハン師の法話はアッパーハムレットで、質疑応答形式で行われました。
最初は小さな子供たちが、そのあとティーンエイジャー、大人と希望者が順番にタイ(ティク・ナット・ハン師)の横に座って質問をします。
タイ(ティク・ナット・ハン)は質問をするにあたって、こんな内容のアドバイスをされています。
「よい質問はみんなのためになるものです。だから仏教に関する質問はやめて下さい。サマーリトリートは仏教の勉強会ではないのです。マインドフルネスの実践の場です。心からの質問をして下さい」
質問のための質問、知識の多さを誇示するような質問もよくある日本の瞑想会でも、参考にしたいアドバイスです。いや、個人的にはマニアックな仏教に関する質疑応答も好きなのですが……
質問は小さな子供の「幸せってなんですか」といったピュアなものから、大人のパレスチナ問題に関するヘビーなものまで幅広く出ました。
タイの素晴らしいところは、質問を表面的にとらえず、質問者がその質問をした奥にある苦しみや願いまで深く洞察して、回答されるところです。そして質問者にとどまらず、聞いている他の人の学びとなるように語られます。だから、「その質問は、私には関係ないわ」とはならないのです。その苦しみ、悩みは質問者だけのものでなく、ここにいる全ての人につながっているのです。まさに、タイの教えであるインタービーイング※1が体現されたような質疑応答でした。
※1インタービーイング:相互存在。 innter とbeingを合わせてタイの造語。あらゆる存在は単独では成り立たず、他のものと不可分につながっているという意味を表す。漢訳では相即相依に相当する。
今回は私たちのファミリーの一員、トレイシーとの質疑応答を紹介します。
彼女はアメリカ南部のアラバマ州から参加した若い白人女性。オーガニック料理のシェフをしていて、完全菜食主義者です。いつも元気に声をかけてくれて、彼女の明るさに私は何度も励まされました。
また、ニューハムレットの近所を歩く瞑想で巡ったとき、食用の牛が放牧されている牧場で彼女は立ち止まり、みんなが先に行っても祈るような姿で、ずっと牛とともに留まっていた姿が忘れられません。
そんな、心優しいトレイシーの切実な質問です。
トレイシー
「人間は動物の苦しみに気づいていません。動物を助ける、もっといい方法はないでしょうか?」
ティク・ナット・ハン師(要約)
「私たちは苦しみすぎると、だれかを助けたいと思っても、助けることができません。まずは自分の苦しみを和らげるためにも、幸せを育みましょう」
「『私はベストを尽くしていますか?』と、自分自身に問いかけてみて下さい。自分の生き方は苦しみを増やさないようにしているのか。消費の仕方、職業、全てを通して世の中の苦しみ、動物たちの苦しみを減らすベストを尽くしているのか自問してみましょう。あなたの人生は、そのままあなたのメッセージです」
トレイシーと放牧牛
これからは、タイと呼びます
ところでティク・ナット・ハン師の呼び方ですが、日本にいる時の私は、タイ(ベトナム語で先生)と呼ぶことに抵抗がありました。サンガのメンバーではない自分がそう呼ぶには慣れ慣れしいように感じていたのです。
でも今週、師から直接お話を聴き、歩く瞑想をするなかで、師はあえて特別の近寄りがたい存在ではなく、みんなと同じ人間である「先生」と呼ばれることをよしとされているのではないかと感じました。実際、法話や質疑応答では、聞き手を導くのではなくて、伝えていこう、育てていこうという思いがひしひしとと伝わりました。
そこでこの頃から、私も尊敬と親しみを込めてタイと呼ぶようになり、このブログでもそう書くようにいたします。