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コマメディア ー史上最弱の仏弟子 コマメー

仏教ファン、瞑想バカのフリーライター森竹ひろこ(コマメ)の仏系ブログ。最弱なので、おてやわらかに!

山下良道師の友人の朴さんが書かれた、祈りの言葉をシェアします

2015-01-28 | 仏系(わりと真面目)
昨日、「後藤さんの解放を祈る宗教者の集会」に参加しました。
その報告は後ほど掲載いたしますが、
まずは、仏教のアップデート運動で注目される山下良道師の友人・朴さんが書かれた、
素晴らしい祈りの言葉をシェアします。
(掲載は山下師から了解済みです)

この言葉のベースには、
ベトナム戦争の平和運動の指導者であり、
現在、医療からビジネスまで広い分野で関心が集まる
”マインドフルネス”の提唱者でもある、
禅僧ティク・ナット・ハン(タイ)の詩「私を本当の名前で呼んでください」があります。
朴さんはそのタイの思いを深く理解し、
現在の私たちの心にストレートで届く言葉で祈りの言葉を書かれました。


私もISIS(イスラム国)の一連の事件に触れるなかで、
ベトナムのボートピープルの少女と、
彼女を死に追いやった海賊に自分の姿を重ねたタイのその詩が、
胸にやどり続けていました。

私がもしシリアに男子として生まれ、
大切な人が米軍の無差別攻撃で命を落としていたら、
ISISの戦闘員になっていたかもしれない……
私がもしアメリカの貧しい家庭に生まれたいたら、
大学の学費を得るために米軍に入隊していたかもしれない……

以下、朴さんによる「私を本当の名前で呼んでください 」2015年版です。

私を本当の名前で呼んでください。

私は後藤 健二。
私は湯川遥菜。
私は処刑を担うイスラム国の兵士。
私はイスラム国へ空爆を行う米軍パイロット。
私は空爆で死んだ数千人の人々の一人。
私は行き場を失い逃げ惑う難民の一人。
私は...。私は...。私は...。
後藤さんが再び祖国の地を踏み、家族の元へ帰れますように。
イスラム国の存在する地域に住む、兵士を含めたすべての人々に安らぎが訪れますように。
このとてつもない苦しみのさなかにおいて、すべての人々に慈悲の扉が開かれますように。




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森林の高僧、智慧の贈り物を残して逝く。

2014-08-29 | 仏系(わりと真面目)
(本来は合宿の続きを書くところですが、期間中の出来事でもあるため先に掲載させていただきます)



 日本人のタイの僧侶プラユキ・ナラテボーさんの師匠である、スカトー寺の前住職、ルアンポー・カムキアン師が8月23日午前4時45分、スカトー寺にて逝去されました。
写真はプラユキ師と、元気なころのカムキアン師です。


 坐禅合宿の3日目の8月24日は、日の出を拝むため早朝に起床し、お寺のある山の頂上に向かいました。私の携帯は本堂付近では電波が弱く、頂上で前日分のメールをまとめて受信したのですが、そのなかにカムキアン師の訃報を知らせる関係者様からのメールが。ちょうどのタイミングで東の雲を赤く染めて昇る朝日を見ながら、師の冥福を祈るとともに、生きとし生けるものの幸せを祈ることができました。
 もしカムキアン師がいなければプラユキさんも、スカトー寺のパイサーン住職も出家されることはなく、またカンポンさんがあのような境地に行かれた可能性も少なかったかもしれません。すると、現在のように日本でタムレンレン(遊ぶように)と明るいタイの上座仏教を身近に学ぶことはできなかったでしょう。そういった意味ではお会いすることはかないませんでしたが、師は私の大恩人でもあります。



ルアンポー・カムキアン師の死のニュースを伝えるバンコク・ポスト(タイで最も権威のある英字新聞)のウエブサイトです。
「森林僧は智慧の贈り物を残した」


また、スカトー寺と長い交流がある、タイの大学教師の浦崎雅代さんが、カムキアン師の死を偲んで関連の記事を連続でアップされています。

なかでも、師の素晴らしい最期と、笑顔溢れる葬儀の紹介をされたエントリー
「ルアンポー最期の瞬間-自ら死に水を取る。」はぜひお読み下さい。

 ・ルアンポー・カムキエン師、最期の説法。
 ・ふたりの手-師が支え、師を支える。
 ・葬儀は、自らの気づきを試す場。
 ・ルアンポーの育成術-徳をもって、叱る。
 ・ジャータカ物語に、死の受け止め方を学ぶ。
 ・開発の意味-ルアンポー・カムキエン師のドキュメンタリー。
 ・ルアンポーは、もう逝くよ ー気づきをもって去っていく。
 ・何ものかである、ものはない ーマイ・ペン・アライ・カップ・アライ
 ・心を開いて辛抱する ールアンポー流、危機の過ごし方。
 ・必ず当たる宝くじ ールアンポーが遺したもの。
 ・ルアンポー最期の瞬間-自ら死に水を取る。
 ・気づきは高尚な理想ではなく、ただ率直に知ること。




ルアンポー・カムキアン師のご冥福を心よりお祈りいたします。






欧州最大の僧院、南フランスのプラム・ヴィレッジで1ヶ月の夏接心(サマーリトリート)

2014-07-09 | 仏系(わりと真面目)

 6月上旬には再開すると告げておきながら、7月もだいぶたってしまいました。
 実は現在、来年来日予定のベトナム出身の禅僧、ティク・ナット・ハン師の本拠地である南フランスのプラム・ヴィレジに滞在中です。7月初めから4週間行われるサマーリトリートに参加しています。

 急に参加が決まったため、比較的余裕のあるはずだった6月は、7月に納品予定の原稿などを早めに仕上げることになってしまい、相変わらずあわただしく過ごしていました。このブログも告知通りに更新できずに、申し訳ありません。

 プラム・ヴィレッジはネット環境が不便なため、更新も最低限のお知らせ程度にとどまりそうです。再会は帰国後の8月中旬以降の予定ですが、もしお気持ちがあれば引き続きよろしくお願いいたします。



それでは、お知らせだけでは寂しいので、今回はプラム・ヴィレッジの私が滞在している寮の猫、ムーニーの写真をどうぞ!





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沖縄で三十三観音霊場巡りをしてきました@沖縄山 長谷寺

2013-12-28 | 仏系(わりと真面目)





先日参加した瞑想合宿の会場「沖縄山 長谷寺」の岡田弘隆住職は、もとは東京のお寺でご住職をされていましたが、観音様のお告げを受け、沖縄戦で亡くなられた戦没者と戦災犠牲者をご供養するために、沖縄の地に長谷寺を開山されたそうです。
敷地内には沖縄初の西国三十三観音霊場のご本尊様をお奉りする「潮平三十三観音霊場」があり、高低差20メートルのついた千三百坪の敷地の遊歩道を巡りながらお参りができます。ゆっくり巡って30分、急ぎ足なら10分のコースで、遊歩道にはしっかりとした手すりもついていますので、気軽にお参りができます。
そこで私も、合宿の自由時間に三十三観音霊場巡りをしてみました。




長谷寺は小高い山の上にあります。




ここから三十三観音霊場巡りが始まります




手前が第一番札所の「青岸渡寺」。その奥に第二番札所「紀三井寺」、第三番札所「粉河寺」と続きます。




サンゴが発達した石灰岩の地盤に、南国の草木。他の三十三観音霊場では見ることのできない沖縄ならではの光景です。




草花には説明文の書いてあるプレートも。勉強になります。




途中には、糸満の街とその先に海が広がるビューポイントも。




8番は本堂のご本尊様をお参りください↓




ご本尊様は現代の名仏師、松本明慶さんの手による像高4.5メートルの十一面観世音菩薩立像です。




回廊からはお近くでお顔を拝見することもできます。この角度からは、とてもお優しい表情をされています。




斜面を巡るコースは、まるで大人のアスレチック。




「日本の平和と発展の為」。それぞれの札所には奉納された方の思いが記されています。




わかりやすい道案内がありますので、迷うこともありません。




第三十三番の華厳寺。これで満願達成です。




三十三霊場には番外が3つあります。これはそのひとつ、西国三十三所を創設したとされる徳道上人が隠棲された「法起院」。




岡田住職は弁護士の資格をもつ多才な方。沖縄県内全体に三十三観音霊場を開きたいという願いのもと、日々奮闘されています。




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「アンパンマン」の主題歌が、かなり仏教的だったりする

2013-11-15 | 仏系(わりと真面目)

アンパンマンのマーチ



一月前に亡くなられた、やなせたかし先生はサンリオの「いちご新聞」で親しんだ世代。
なので、アニメ「アンパンマン」が放送開始されたころはもうチビッコではなくて、生意気にもテーマソング「アンパンマンのマーチ」の歌詞に突っ込みを入れていました。

例えば、
そうだ うれしいんだ生きるよろこび/たとえ胸の傷がいたんでも
→えっ、胸の傷が痛むんだったら苦しくない?嬉しいとか、喜びとかないよ、とか、
愛と勇気だけがともだちさ
→って、アンパンマンって友達いないの、みんなと仲良くしているのは表面だけの関係? とか……

でも訃報を知り久しぶりに聞いてみたら、とても深く、そして仏教的でビックリ。
ちなみに作者のやなせ先生自身はクリスチャンです。アンパンマンがお腹を空かせた人に自分の顔を食べさせて助ける設定は、たしかに自己犠牲や奉仕の精神を尊ぶキリスト教的でありますが、一方、ブッダが前世でウサギだった時に自ら火に飛び込んで聖者に自分の肉を捧げたという仏話も彷彿させます。


そこで、仏教目線で「アンパンマンのマーチ」の歌詞を読み解いてみました。(記載しているのは、歌詞の一部分です)

そうだ うれしいんだ生きるよろこび/たとえ胸の傷がいたんでも
→胸の痛みがあっても、それは一つの現象であり、痛み=苦しみではありません。
だから痛みがあっても、心次第で喜びとともに生きることは可能。(Mの意味ではなくて)

今を生きることで 熱いこころ燃える/だから君は行くんだほほえんで
→今を生きるとは、まさにマインドフルネス(念、気づき)の世界。今ここを気づいて生きてこそ、煩悩を燃やすこともできるのでしょう。

なにが君のしあわせ なにをしてよろこぶ/わからないままおわる そんなのはいやだ
→以前この部分を聞き、怠惰に生きている自分を指摘されたようでショックを受けました。”わからないままおわる”とは死を指すように思えますが、まさか幼児向けアニメで死を意識させられるとは!子どもにも死を隠さず、誰もがいつかは死を迎えるという事実を意識させるのは、とても仏教的態度です。
そういえば、スリランカのグナラタナ長老が説法で「『死』こそが、人生の謎『何の為に生きるのか』という問題を説く鍵なのです」と説かれています。→「仏教から見る死」
この長老の言葉はさらに、
なんのために生まれて なにをして生きるのか/こたえられないなんて そんなのいやだ
という歌詞の部分とも、共鳴します。

そうだ おそれないで みんなのために/愛と勇気だけがともだちさ
→かつて、やなせ先生はテレビ出演された時にこの歌詞を、「戦う時はけして仲間を巻き込むことはせず、愛と勇気を友にして(=胸に秘めて)戦うことを意味している」と説明されたそうです。
ブッダ曰く「犀の角のように、ただ独り歩め」や、「自灯明」にも通じますね。

時ははやくすぎる 光る星は消える/だから君は行くんだほほえんで
→前半は無常を詩的に表現しているようです。そして後半ではそれを嘆くのではなく、ありのままを微笑んで受容する、仏教者が理想とする態度……演歌によくある、人の世の無常を恨むのとは対極的な態度です。

などなど、かなり仏教的なエッセンスが詰まった歌詞と言えるのではないでしょうか。(やや強引?)


2011年の東日本大震災発生後、各地のラジオ局に多くの「アンパンマンのマーチ」のリクエストが寄せられました。特に避難所ではこの曲が流れると子どもたちは喜び、大人たちは涙を流したそうです。
やなせ先生は「アンパンマンのテーマソングはぼくの作詞だが、幼児アニメーションとしては重い問いかけになっている。ぼくはお子様ランチや、子どもだましの甘さを嫌った」と語っています。
たしかに「アンパンマンのマーチ」は応援ソングでありますが、ただ口当たりのよいだけの応援ソングではなく、胸の傷の痛みとともに生きていく、独りぼっちでも善き道を歩んでいく……私たちにそんな覚悟を問いかけてきます。そして、それでもこの世界は喜びとともに生きていくのに値するというメッセージが、心に傷を負った人たちに深く響いたのでしょう。

これからも多くの人がこの曲に励まされ続けるでしょう。かく言う私も久しぶりにこの曲を聴いて涙が出そうになり、また勇気づけられました。言葉尻をとらえて突っ込みを入れていたころよりは、少しは大人になったようです。


(おまけ)
何度顔を食べられても、またジャムおじさんに焼いてもらい再生し続けるアンパンマンは、全ての生きものを救済しようと転生を続ける菩薩とどこかダブり、「アンパンマンのマーチ」は菩薩道のテーマソングにも聞こえてきます。そういえばアンパンマンのまん丸の顔は、お地蔵さん(地蔵菩薩)そっくりです!









9月11日に生まれて。今日は私の誕生日、またこの1年を最後の1年と思い暮らしていきます。

2013-09-11 | 仏系(わりと真面目)





今日は私の誕生日です。
1年前、誕生日をむかえた時に、「この1年を最後の1年だと思って生きてみよう」と決意しました。
で、この1年間、そのように生きられたかというと、日々の瞑想は「瞑想師範学校」が満期修了したこともあり、サボりぎみ。お酒を飲み過ぎて、宿酔いで心身にダメージを与えた日も多々……と、決して自慢できるものではありませんでした。
それでも、タイの日本人僧侶プラユキ師の公式サイトの管理人や、瞑想会やリトリート(瞑想合宿)の主催、このブログの開設など次々と新しいことを始めることができました。今までならみんな、たとえご縁をいただいても荷が重過ぎて、尻込みしていたであろうことです。その深層心理は、「失敗して恥をかきたくない」だったりするのですが……
でも、最後の1年なら、そんな保身的なことを言っていられません。「良いものを伝えたい、瞑想や仏法をもっとみんなの手の届く所に届けたい」そんな願いが勝ります。
「『私、無理、できない』と言っていたら、本当にできない人になってしまいますよ」というプラユキさんの法話での言葉にも背中を押され、1つ1つなんとかこなしていくことができました。

また、仕事や子ども達の支援活動などにおいても、一期一会の気持ちでより丁寧にかかわるようになり、パフォーマンスも上がったように感じます。

最後の1年だと思い、まずは今やるべきこと、やりたいことと向き合い取り組んでいく。そうやって自分で自分に与えていた枷を少しずつ開放したことで、多くの人とのよき出会いがある充実した1年になりました。
また、これからの1年も最後の1年と思い、時に放逸になりながらも、気づきとともに暮らしていければと思います。ああ、お酒はもう少し控えめになるといいのですが……


(おまけ)
冒頭の写真は、夫ドラジさんの整体塾の生徒さんから誕生日プレゼントにいただいた、手作りのチェック欄付きメモロールです。水色の木製ビーズも手作り。こういうの、すごく嬉しいです。ありがとうございました!



ネコもくつろぐ。仙厓さんの気配が残る日本初の禅寺・聖福寺に行ってきました

2013-09-06 | 仏系(わりと真面目)




以前、一目見て釘付けになった絵があります。それは布袋さんと子どもを迷いのない筆でおおらかに描いた、江戸時代後期の臨済宗の仙厓義梵(せんがいぎぼん)和尚の「指月布袋画賛」です。
 ※所有される出光美術館のサイトからはコピー不可でしたので、
  直接サイトでごらん下さい「仙がい 出光コレクション」

なんて奔放、そしてにチャーミング。見ているだけでホワンと肩の力が抜けてきます。
書き添えられた賛は「お月様 幾つ 十三、七つ」。この禅画は有名なだけに月を悟りに見立てて様々な解説がされていますが、まあ、そういう講釈は一先ずおいて、まずは素直に味わいたい。仙厓さんは子ども達にも多くの絵を描かれたので、もしかしたらこれも子ども達を喜ばすために、愉快な布袋さんと童子の絵に童歌を添えて描かれたのかもしれません、よ。

先日、福岡に行く機会があり、その仙厓さんが住職を務めた博多の聖福寺(しょうふくじ)を訪ねました。
仙厓さんは美濃国の農家の次男に生まれ、19歳で出家して横浜や京都で修行。その後、国に帰りますが、悪政を行う家老を批判をして国を追放されます。そして40歳の時に請われて、博多の聖福寺の住職になりました。



聖福寺は博多の中心部にありながら、一歩足を踏み入れるとそこは緑豊かな別世界。雨模様の平日ということもありますが、参拝者の姿もなく静かでした。でも閑散ではなく、禅寺特有の凛としながらも、不思議と温かい気配に包まれた空間……まるで権力者には厳しく、子どもやお百姓さんを大切にした仙厓さんのお人柄が、今も漂っているようでした。

ネコにとっても居心地がよいのか、門のところでノンビリお昼寝をしていたり、中に入ると2匹の子ネコがじゃれ合っていたり。その時、広い境内には私と夫のドラジさんしかいませんでしたので、2人対3匹、人間よりネコが多いことに!寺好きのネコ好きには、夢のようなシチュエーションです。
その後、買い物袋を下げて境内を横切る女性に聞いたところ、この日は雨のためあまり姿が見えませんが、お寺にはもっと多くのネコがいるそうです。仙厓さんはネコの絵も残してますので、ご縁があるのでしょうか。


サカリのついた猫の鳴き声を「南無妙法蓮華経」に例えています。(この絵を所蔵する九州大学のサイトから借用しました)



聖福寺は1195年に宋で禅を修めた宋西(ようさい)が創建。後に後鳥羽天皇により「扶桑最初禅窟」(日本最初の禅寺)の額を賜わった、正真正銘の日本初の禅寺で、境内全体が国の史跡に指定されています。門の左下には昼寝をするネコがいますが、わかりますか?



仏殿には古来の禅宗様式を残した丈六の三世仏(釈迦、弥勒、菩薩)が安座されていました。



聖福寺の周りには幻住庵をはじめいくつもの塔頭があり、こんな風情のある小径を巡って散策ができます。



小径を隔てた幻住庵には、仙厓さんが隠居されていた「虚白院」もありますが……



残念ながら拝観は不可でした。


日本で一番お寺が多いのは京都、そして2番目はあまり知られていませんが福岡だそうです。聖福寺周辺にも興味深い寺院が点在していますが、ガイドブックにはあまり紹介されずにもったいないことです。でも、他の寺院では感じたことのない聖福寺境内の独特な気配は、観光地化されていないからこそ保たれているのかもしれません。
ニャンコもおちおち昼寝をしていられませんしね。


(おまけ)



今回は仙厓さんの禅画は見られませんでしたが、「指月布袋画賛」をはじめ仙厓さんの代表作がこの秋開催される、東京の出光美術館の「仙厓と禅の世界」で鑑賞できます。
おっ、ポスターの図案も猫ですね!




善友リンク! プラユキさんとカンポンさん

2013-08-24 | 仏系(わりと真面目)


プラユキさん(左)とカンポンさんの貴重なツーショット
(写真はプラユキさんから借用しました)


このブログでもおなじみのタイで出家された日本人僧侶のプラユキさんと、9月に初来日されるカンポンさんは、タイの有名な瞑想指導者カムキエン師に師事され、スカトー寺でともに修行もされていた、”気づきの瞑想の同士” だそうです。また、カンポンさんの著書「『気づきの瞑想』で得た苦しまない生き方」の日本語版は、監訳をプラユキさんがされています。
そこで、お二人の心温まるエピソードを紹介します。

カンポンさんはスカトー寺を訪ねた人たちに、よくこんなことを言われたそうです。
「何か辛いことにぶっかったとき、僕のことを思い出してごらん。『体がぜんぜん自由にならないカンポンさんに比べれば、大したことないや』。そう思えて、きっと楽になるよ」
プラユキさんは一時帰国中に、階段を踏み外して足の骨を3カ所も折る大ケガを負われたとき、この言葉を思い出し、素直に言われたとおりにされてみました。すると、確かに「大したことないな~」と思えて、気持ちが楽になったそうです。
タイに戻って、カンポンさんにそのことを伝えると、
「そりゃ、よかった、お役に立ててうれしいよー!」。
満面の笑みで喜んでくれたそうです。

ブッダは「善き友をもち、善き仲間とともにあることは、聖なる道のなかばに当たるのではなく、まったく、その全てなのである」と言われています。” 友 ” という言葉から、私たち日本人は「同格」の間柄をイメージしますが、仏教では先生も先輩も、そして後輩も友達認定。その友のなかでも善き友(善友)との出会いは、悩み苦しみから開放されていく大きなきっかけを与えてくれます。

カンポンさんは今回の来沖でも、多くの悩める日本人たちの善き友となられ、善友のリンクがますます広がっていくことでしょう。






魔法の言葉「ブータン行きてぇ~!」→ とりあえず、ブータン料理を食べてきました

2013-08-15 | 仏系(わりと真面目)

「サンガジャパン13号 特集・言語と仏教」に、タイで出家された日本人僧侶のプラユキ・ナラテボー師が執筆された「たかが言葉、されど言葉 ──無力にして強大な、不思議な言葉の力──」が掲載されています。
その冒頭に、仕事が超多忙になると「もう死にてぇー!」と口にする旦那さんを持ち、その言葉を聞くたび不安感をかき立てられていたAさんのエピソードが紹介されています。Aさんは旦那さんがその言葉を口にする時は、「この場を離れ、どこか遠くへ行ってしまいたい気持ち」であることを知ると、これからはそんな気持ちになった時は「死にたい」ではなく、旦那さんが行ってみたいで場所である「ブータン行きたい」にしてもらえないかと提案します。
旦那さんは快諾し、その後、忙しくストレスが溜まった時は「ブータン行きてぇー!」と叫ぶようになると、Aさんは不安になることもなくなり、また旦那さんも言葉を代えたことで「死にたい」と漏らしていた頃とは違い、忙しくても前向きに希望が持てるようになったそうです。

読後、これはいいかもと、私も多忙でストレスが溜まりそうな時は「ブータン行きてぇー」と言うことにしました。すると、気持ちがホッとゆるまって、なかなかいい感じです。ちょっとしたマントラ、もしくは魔法の言葉と言えるでしょか。
ブータンという言葉は、まず語感がユーモラス。そして「世界一幸福な国」という美しいイメージや、秘境の仏教国というロマンも与えてくれます。ブータンを選んだAさんの旦那さん、ナイスです!これが、「ラスベガス行きてぇー」じゃ欲を刺激しすぎてダメですし、「安曇野行きてぇー」では1泊2日で気軽に行けるので日常的すぎます。

そんな「ブータン行きてぇー」を愛用している私に、先月、mixiのプラユキ師のコミュニティーの管理人Sさんが主催された「ブータン料理を食べる会」のお誘いがあり、期待いっぱいで参加してきました。世界一幸福な国の人たちが食べている料理なら、世界一幸福な味に違いありません……たぶん。



代々木上原の「ガテモタブン」
手作り感いっぱいの、かわいらしいお店です。12人の予約で貸し切りになりました。
お店にあったブータンの観光パンフレットの食事の項目には「ブータンでは唐辛子を野菜として大量に利用するため、おかずは基本的に非常に辛いです」と解説が……
ナヌッ!日本人の平均よりは、やや辛いものが大丈夫な私ですが、ここは気を引き締めて食していかねば!!




まずは前菜として、左はキュウリ、玉ねぎ、トマトなどの野菜をカッテージチーズで合えたサラダ。唐辛子は少なめですが、山椒がきいてピリピリします。
真ん中と右はモモ(ブータン風蒸し餃子)。真ん中はチーズがたっぷり入って子どもさんが喜ぶ優しい味、そして私も喜ぶ味でした。右はシンプルなモモ。肉と野菜と塩の素朴な味付けでバランスよくおいしい。横に付いてるタレは激辛ですが、量を調節すれば大丈夫。




野菜の唐辛子炒め料理です。素朴な塩味で、クセがなくて日本人にも馴染みやすい味です。干しなすも入っていて、ここいらへんががブータン風、でしょうか?まだ、余裕の辛さです。




手前は干し肉と唐辛子(緑色の具も唐辛子です)とチーズを煮込んだもの。スープは口に入れた瞬間こそクリーミーですが、その後スープに溶け込んだ唐辛子の辛さが迫ります。クリームシチュー系で激辛って新鮮、けっこうクセになるかも。
ご飯は赤いブータンのお米と、白い日本米のお目出度い2色盛り。
奥は牛の胃(ハチノス)を炒めたもの。こちらも当然、唐辛子がきいてます。
どちらのおかずもご飯と食べれば、まだまだいけます。




次は、干し肉とジャガイモと唐辛子の炒め物。ジャガイモより多いのではないかと思うほど、大きな赤唐辛子がたっぷり。そうでした、ブータンでは唐辛子は薬味ではなくて、野菜だということを確認!唐辛子と他の具をバランスよく食べようとすると、唐辛子の辛さが勝り、ちょっとキツくなってきたかも。





バーン!! 真打ちはブータン料理を代表する「エマダツィ」が登場!唐辛子とチーズのスープだけのシンプルな料理。私はがんばって(=見栄を張って)、青唐辛子1本、赤唐辛子1本食べました。口が辛いを通りこして、痛くなりました。




〆にブータン焼きそば。これはマイルドな味付けだそうですが、ここまでくると口の中が辛くて辛くて、すでに、この料理が辛いのか、そうでないのかさえわかりません。




最後はお楽しみのデザートです。
盛りつけもかわいらしい、バニラアイスとレモンシャーベット  ……と、油断して食べたらレモンシャーベットは青唐辛子入り。最後まで容赦なしです!


ブータン料理は辛いとはいえ、素材を生かしたシンプルな味付けの好ましい料理でした。食べていると体が活性化していくのを感じ、次の日の目覚めやお腹の調子もよく、自分には心身ともに合っていたようです。
でも、なにより「世界一幸福な国」の料理をこの平和な国で食べられる私たちは、世界でもかなり幸福な部類に入るのではないでしょうか。「終戦の日」の今日、この文章を書きながら、ふと想いました。





「正法眼蔵」をラノベ超訳!「キミが気づきの道を学ぶってことはねェ、自分自身のことを学ぶことなんだョ」

2013-08-11 | 仏系(わりと真面目)




「サンガジャパン13号 特集・言語と仏教」に、ドイツ人僧侶のネルケ無方師による「正法眼蔵」の中の一巻である「現成公案」の英訳が掲載されていますが、これがとても興味深い。例えば有名な一文「自己をならふといふは、自己をわするゝなり」は「To study yourself means to forget yourself」と超シンプル。ストレートすぎて行間を読む楽しさこそ減りましたが、原文の意図がスッキリと伝わりやすい。
さらに師が「日常生活の言葉」を意識されながら、この英文を格調ある現代の日本語に再訳されたものも合わせて掲載されています。

最近、大学生が超・口語訳した日本国憲法「日本国憲法を口語訳してみたら」が出版されて話題になっていますが、私もネルケ師の英訳文をもとに、「現成公案」の一部を口語訳、それもライトノベル風にしてみました。

英文はネルケ師の近著「道元を逆輸入する」の肝の部分であるため、著作権なども考慮して載せていませんが、ポイントとなる単語だけ記しました。
また、師がご指摘のように、原文が鎮西(ちんぜい)が在家の弟子・光秀(こうしゅう)に宛てた手紙であることも考慮して、相手に語りかける文体を意識しました。
具体的なキャラ設定は、わずか12歳で坐禅により独自の境地を得たことで、見た目が少女のまま成長が止まって100年ほど生きている鎮西尼僧と、なぜか彼女に気に入られ勝手に弟子にさせられた平凡な高校生の光秀(みつひで)。合法ロリと、巻き込まれ型無気力男子というベタなコンビで……

原文からの口語訳は困難でもネルケ師の英訳文からなら可能かも、と挑戦したものの、道元思想に関しては超初学者のため、的をはずした部分もあるでしょう。というか、ラノベ風にしちゃたところで、もうアウト? どうぞ熱帯夜の戯れ事として、お読み下さい。


【原文】
仏道をならふというふは、自己をならふ也
自己をならふといふは、自己をわするゝなり
自己をわするゝとうふは、万法に証せらるゝなり
万法に証せらるゝといふは、自己 の心身および他己の心身をして脱落せしめるなり

仏道=awakened way 自己をならふ=to sutudy yourself
万法=the ten thousand things



【ラノベ風・超訳】

キミが気づきの道を学ぶってことはねェ、
自分自身のことを学ぶことなんだョ

で、自分自身のことを学ぶってことはねェ、
自分のことを意識しなくなることなんだョ

でね、自分のことを意識しなくなるってことはねェ、
宇宙の森羅万象の支えによって、キミの存在が実現するということなんだョ

そしてね、宇宙の森羅万象がキミの存在を支えているってことはねェ、
自分や他人のことで ”もう、悩まない!” って、ことなんだョ





信州・松本で、お寺の湧き水巡りをしてきました

2013-06-05 | 仏系(わりと真面目)

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街の周辺を山に囲まれ、地下に豊富な伏流水を蓄えている松本は、環境省の名水百選に「まつもと城下町湧水群」として認定された水の街。はじめは珍しさでカメラを向けても、すぐにあたり前の光景として気にしなくなるほど、いたる所に湧水や井戸があります。


そこで、仏教関連の水処を巡るミニコースを設定して、歩いてみました。

1善昌寺(ぜんしょうじ) → 2妙勝寺(みょうしゅじ) → 3伊織霊水 
 → 4瑞松寺(ずいしょうじ)
(+源智の井戸、中村眼科の湧水)

歩いてまわるだけなら15分もかかりませんが、参拝をしたり、水を飲み比べたり、ベンチで休んだりと、ゆっくりと水巡りを楽しみました。


1 天台宗・善昌寺(ぜんしょうじ)



その名も清水町にある天台宗の善昌寺です。竜の口から勢いよく水が流れ、周辺のベンチは門徒さんや、散歩途中の人の憩いの場に。「ここの大黒さんは、お話上手のよい人だよ」など、地元ならではのお話をうかがうのは楽しいものです。

なおこちらは、他の紹介した寺院のように、松本市・松本観光コンベンション協会が製作する観光マップ「まつもと水巡り」には湧水、井戸処として記載されていません。どうぞ、観光ではなく参詣者として、マナーを守って訪ねてください。


2 真宗大谷派・妙勝寺(みょうしゅじ)




立派な東屋のある井戸。かつて庶民の生活用水として活用されていました。
もとは江戸時代初期に開山された天台宗・念来寺(ねんらいじ)でしたが、明治維新の廃仏毀釈で鐘楼だけ残して廃寺となり、その後、この地に真宗大谷派・妙勝寺が再興されました。



宝永2年(1705年)に建立された鐘楼は、廃仏毀釈でも難を逃れ、大正時代まで松本城下に時を知らせていたましたが、梵鐘は太平洋戦争で軍へ金属供出されてしまいました。

ところが、今年の「時の記念日」の6月10日に、「時の鐘」を92年ぶりに再現するそうです。ただ、実際に鐘を撞くのではなく、市内の寺の鐘を録音したものを鐘楼に設置したスピーカーから流すそうです。
↓市民タイムス「松本の街に響いた『時の鐘』」
http://www.map-color.co.jp/times_news/archives/11801.html

この日は、旧念来寺だけでなく、松本・大北地域の38の寺院も明け方の午前6時(明け六つ)と夕方の午後6時(明け六つ)に、現代の「時の鐘」をともに撞く(こちらは録音ではなく生音)そうなので、近辺にお住まいの方はこの時間帯、耳をすまして下さい。


3 伊織霊水



貞享3年(1686年)、自身と一族にの命を課して、農民一揆に関わった農民達の助命をした武士・鈴木伊織の墓の入口に湧出。死してなお、松本の市民を潤しているかのようです。
写真は長野県公式観光ウェブサイト「さわやか信州旅.net」から借用しました。



4 曹洞宗・瑞祥寺(ずいしょうじ)







江戸時代に「当国第一の名水」と称された、「源智の井戸」の並びにある瑞祥寺にも井戸があります。写真では手前が源智の井戸、その奥が瑞祥寺の山門です。




この辺は湧き水の群集地帯なのか、お向かいの眼科にも湧き水処があり、通行する人に開放しています。お医者さんらしくシンプルモダンなデザインが新鮮です。




瑞祥寺には湧き水を使用した飲み物などを提供する、ステキな喫茶店「半杓亭」があります。水巡りの締めは、こちらでいたしました。
店内の小さな図書館「おおいど文庫」から何冊か禅関係の本を手にしましたが、なんだか読書気分ではなく、外を流れる清流の音を聞きながら、のんびり玄米コーヒーをいただきました。
「半杓亭」はこちらで、もう少し詳しく紹介しています→「松本 小ネタ集


ところで訪問したお寺は歴史のある街にありながら、どこも本堂などは近代以降に建設された新しいものです。松本では全国では例がないほど廃仏毀釈の嵐が吹き荒れ、明治以降に再興や移興されたためです。旧念来寺の鐘楼は、今もその傷跡を残しています。
一度は徹底的に破壊され廃寺になっても、信心深い人々の力により、多くの寺院が再興されました。もし、今の日本で廃仏運動が行われても、明治時代のようにお寺を必要とし、復興に力を尽くす人がどれだけいるでしょうか……
水巡りとともに、近代・現代の日本仏教について、いろいろと考えさせられるルートとなりました。



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