ロシアの北都 サンクトペテルブルク紀行

2005年秋から留学する、ロシアのサンクトペテルブルク(旧レニングラード)での毎日を記します。

戦勝記念日

2007-05-09 23:55:49 | Weblog
【写真:宮殿広場に掲げられた戦勝記念日の巨大看板。よく見ると、ベルリンを陥落させるまでの行程が地図上に示してある。(2006年5月9日撮影)】

 日本へ帰国して以来ほとんど更新していなかったこのブログ。でも毎日コンスタントにアクセスがあり、見て下さる方がいらっしゃるのはありがたいことです。

 久々の更新で、留学中から書こう書こうと思っていて書かないままだった日のことを記述します。

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 今日、5月9日はロシアの対独戦勝記念日。毎年、国内各地でお祝いの祭りが催される。 
 昨年、私はペテルブルクで61年目の戦勝記念日を経験した。1年間の留学生活の中で最も印象に残る日はと聞かれたら、私は5月9日と答える。

 数日前から至る所に様々な装飾が施された街はお祝いムード。午前中から私は精力的に街を歩き、戦勝記念日の様子を具に目に焼き付けた。
 
 家を出てネフスキー大通りを歩いていると、オレンジと黒の線が交互に縦に並ぶリボンを配っている人に出くわした。後で知ったのだが、このリボンはгеоргиевская ленточка「ゲオルギーリボン」と呼ばれ、旧ロシア軍の勲章に使われたデザインのもの。リボンの配布は戦後60周年を記念して2005年から始まった。この運動の主催者側(今年2007年はロシア鉄道など、いくつかの企業が協力して行っている)は、歴史的伝統の復興、旧軍人や戦争による負傷者の補償の改善などを目的に掲げている(ロシア鉄道webページhttp://www.rzd.ru/static/index.html?he_id=1461より)。配られたこのリボンは胸のポケットの上やカバン、車のアンテナなどにつけられ、主催者の掲げる目的のためというよりは、皆でこの日を祝うという一体感を高めているように感じた。
 
 エルミタージュ美術館前の宮殿広場では、"день победы"「勝利の日」をはじめとする音楽が軍隊により演奏されていた。音楽隊が解散した後、広場は退役軍人を含む多くの人でごったがえしていたが、その中で私は最も忘れられない光景に出くわした。
 軍の学校か何かの制服を着た青年が、80歳くらいの参戦者に敬礼し、"Спасибо вам за победу." 「勝利をありがとう」と述べたのである。一瞬の出来事だったが、その一言に、私は感激のあまり涙した。
 同じ場所で、小さな5歳くらいのこどもがベテランに花を渡す光景があった。それを見たとき、こうやって戦争の記憶は受け継がれていくのだろうなということを考えた。 

 昼一旦帰宅すると、ホストファミリーらとウォッカを飲んでお祝いをした。いつものウォッカパーティーと違って、グラスをぶつける乾杯はなし。セルゲイの説明によると、戦争の犠牲者を追悼する際にはグラスをぶつけずに飲むのだという。
 テレビのニュースではモスクワ、ウラジヴォストーク、ブレスト、クラスノヤルスク等各地の様子が流れ、その後はひたすら白黒の戦争の映画が放映された。

 夕方、モスクワ駅からエルミタージュまで、長大なパレードがネフスキー大通りを埋め尽くした。主役の退役軍人達が通ると周辺の観客、建物の窓辺の人々からура!!「万歳!」Спасибо!!「ありがとう!」の声があがる。先ほどもらったリボンを胸に着け、通りで買ったロシアやペテルブルクの小さな旗を振りながら、私もロシア人達と一緒に、ベテランにエールを送った。
 お祭りは一日中続き、夜には花火が打ち上げられた。私はそれをロシア人の友人2人とともに、ネヴァ川のほとり、ピョートル大帝の像の前で眺めていた。すると近くの若者達がロシア国家を歌い始めたではないか。これには正直驚いたが、こんなところで国家なんて素敵だなと思い、私達も一緒になって国家を歌った。

 日本から来た私にとって、ロシアの戦勝記念日など一見関係ないことのようにみえる。ソ連と日本は敵どうしだった。ソ連は勝利し、日本は負けた。しかし私にとって史実が重要なのではない。
 60年以上経てもなお人々が戦争を忘れていないこと、国のために戦ったベテラン達が堂々とネフスキー大通りを行進できること、そして若い世代が彼らに対する感謝の気持ちを、言葉で、態度で表現すること、いずれも当たり前と言ってしまえばそうかもしれない。だがこれらいずれも、残念ながら私は日本で目にしたことはない。それだけに、ロシアの戦勝記念日を経験した衝撃と感激は大きい。"Спасибо вам за победу."の一言に涙しながら、熱気溢れるパレードに参加しながら、ロシア国家を歌いながら、ロシアの人々との一体感を感じた一日だった。

「ゲオルギーリボン」配布運動のスローガンは、"Я помню! Я горжусь!"「私は覚えている!私は誇りに思う!」である。このスローガンは私にも当てはまる。私はペテルブルクで体験した戦勝記念日を一生忘れることはないだろう。そして自分の国を守った人達を称え、「ありがとう」と素直に言える人々が住むロシアに学んだことを、私は誇りに思う。
 
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 その感動からちょうど1年後の今日、私は戦勝記念日のお祝いもかねてロシアの友人、ホストファミリーらに相次いで電話をしてみた。ホストファミリーも、私を別荘に招いてくれたヴォログダ州の人も元気そうだった。私と同年代の友人達と電話で議論しながら、私自身、これからどういう人生の選択をしたらよいのかということを考えさせられた。
 今年秋から日本の大学院に留学するというある友人の言葉である。「今は日本で働きたいという気持ちがある。でももしかして留学しているうちに日本が嫌いになるかもしれない。」それを聞いて私ははっとした。
 ロシアは私を大きく変えた。他人からも指摘されるし、自分自身も自覚するほどの大きな変化が、このわずか1年半ほどの間に起こったのである。ロシア留学は私にとって革命であった。留学前、21歳までの価値観が崩れ、革命後、新たな行き先を求める不安定な時期が、大学卒業後の進路選択という重要な時期と重なってしまった。第2の価値観の原点となるのは、ロシアでの1年間とロシアへの思い。今はこれが軸になると思いこんでいる。だがもしこの友人の言うように、万が一にもロシアから気持ちが離れるということがあるのだろうか。あるとしたら、自分は何を軸に生きればよいのだろうか。
 今のところ、何ら答えは出ていない。次のロシア行きが7,8月あたりに徐々に見えてきたことだけが、毎日を過ごす唯一の楽しみである気がする。

 以上、著者の近況も含めて記述してみました。また不定期に更新することがあるかと思います。今後ともよろしくお願いします。   


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