ロシアの北都 サンクトペテルブルク紀行

2005年秋から留学する、ロシアのサンクトペテルブルク(旧レニングラード)での毎日を記します。

ディスコの熱気

2005-11-12 00:31:11 | Weblog
2005年11月09日
ロシア滞在70日目
【今日の写真:「雪印牛乳」と書かれたトラック。カザンスカヤ通りにて。この町では、時々日本語が書かれた車を見ることがある。日本では役目を終えても、こうしてロシアで働く車もあるのだ。】

今日の主な動き
06:20頃 起床
08:48 出かける
08:56頃 マヤコフスカヤ駅
09:06 バシレオストラフスカヤ駅
09:17 学校
12:24 バシレオストラフスカヤ駅
12:33 ガスティニードヴォル駅→乗り換え ネフスキー通り駅
12:41 セイナヤプロシャチ駅
12:52 洗濯屋
12:57 洗濯屋向かいのレストラン
13:33 日本センター
15:21 洗濯屋
18:26 ネフスキー通り駅
18:39 マヤコフスカヤ駅
18:52 帰宅
22:37 出かける
23時過ぎ ディスコ

 11月に入って初めて洗濯屋へ行くことに。今日はセイナヤプロシャチ駅経由で行ってみた。
 セイナヤプロシャチ駅でメトロを降り、エスカレーターで上へ行く途中、隣のエスカレーターで、二人組の青年が何やら忙しそうにしていた。よく見ると、彼らは広告のシールをエスカレーターの手すりの横のスペースや、ライトのスタンドに貼っていた。エスカレーターに乗っていれば勝手に進んでいくので、適当な間隔をおいてペタペタ貼っていく。エスカレーターの速度が速いために、シールは斜めになり、時々しわがよったりするが、彼らはそんなことは気にしない。メトロのエスカレーターには、このようにして貼られたと思われる広告シールがたくさんある。確かにエスカレーターに乗っている時間がだいぶ長いから、多くの人の目にとまるだろうが、これを剥がす人は大変だろうなあと思った。

 洗濯屋に行くと、混んでいて2時間待ちだと言われたので、先に日本センターへ行き、その後再び訪れる。洗濯をしている間、暇なので宿題をやったり、火曜日に読む長文の予習をしたりして過ごす。
 洗濯が終わり乾燥機を回そうとしていた頃、聞き覚えのある声が聞こえてきた。声の主はスウェーデンからの留学生、ニコラス。2時間待たされたことが幸いして、久々に彼に会うことができた。彼もこれから洗濯だというので、その間約1時間ほど語る。
 北欧の歴史や地理、共通の友達のことなど、話題は多岐に及んだ。新しいこともいろいろ知った。例えば、18世紀の「北方戦争」という英単語を私は知らなかったので、これまでこの話をするときは勝手に"Northern War"と言ってきたが、正しくは"Nordic War"だということを彼は教えてくれた。また、ペテルブルクがヨーロッパで4番目に大きな都市だということも初耳だった。ちなみに、順序は忘れてしまったが、ペテルブルクより大きなヨーロッパの都市はパリ、ロンドン、モスクワだそうだ。後から、ニコラスの友達で、スウェーデン出身のアンドレアスという青年もやってきた。

 彼らと英語で話しながら、私はまずいことに気づいた。それは私の英語が退化しているのではないかということ。以前より、文のビルドアップの速度が遅くなった気がする。さらに、時々簡単な単語が出てこないことがある。例えば、日本とスウェーデンの天皇や国王の話になったとき、「日本では、憲法により天皇は日本国民統合の象徴になっている」と話そうとして、「統合」という英語が出てこなかった。「あれ、以前なら簡単に出てきたはずなのに...」と思ってしばし考えるが思い出せない。私がたまたま「統合」を意味する”единство(エディンストヴァ)”というロシア語を知っていたので、ニコラスの持っていた露英辞典で調べる。そこでようやく「あ、そうだ、”unity”だ!」と思い出す始末。

 まだまだ下手だが、最近はロシア語が頭の中でフルに回転している。学校でも、韓国、台湾出身のクラスメイトと話すときはなるべくロシア語を使うようにしている。そのためか、相対的に英語がお粗末になりつつあるのかもしれないが、これは大変いただけない。第2外国語をやる者が英語を使えるのは当たり前の真ん中の話。「ロシア語は出来るけど英語はちょっと」では話にならない。私に限らず、英語圏以外に留学している人にとって、当該の外国語を上達させるのはもちろんのこと、並行して英語力の維持、向上にも努めなければならないわけで、このタスクは非英語圏留学者の宿命でもある。

 幸い、とても不思議なことだが、英語で話しているときに格変化をさせてしまったり、語順がおかしくなったりすることはない。また、その逆に、ロシア語で話している時に英語の文法が混ざることもない。頭が自然に言葉の違いを認識しているからなのだろうか。 ともあれ、「ロシア語だけ」「英語だけ」など、「~だけ」はよろしくない。「二兎を追う者一兎も得ず」という諺があるが、「一石二鳥」という言葉もある。せっかくの留学の機会、「一石二鳥」になるように、欲張りに、積極的になることが重要であると思う。
 
 夜、ホストファミリーのナーシチャ、その友達のアーニャと共にディスコへ行く。ディスコなどというハイカラな場所へは日本でも行ったことがなく、これが初めて。
 うるさい音楽が好きではなく、もともと踊りなんか出来ない私は、どう考えてもディスコに適性があるとは思えないが、何事も経験である。
 ディスコの入り口には金属探知器のゲートがあり、厳重な警戒のようだった。が、中はものすごく賑やか。音楽に合わせて若者達がガンガン踊りまくっていた。中にはだいぶ酔っぱらっていたのか、まともに踊れてない人もいて、ビールを飲みながら様子を見ているだけでも楽しかった。
 私は当初踊るつもりはおよそなかったが、ディスコに来て踊らないのは、東京駅まで行って新幹線を見ないのと同じである(これを要するに、もったいないということ)。そこで、勢いに乗ってその輪に参加してみる。意外となんとかなるもので、頭で心配するよりは体が先に動くということが分かった。中には、ロシア人だけではなくアジア系の人、アフリカ系の人、コーカサス系の人などいろいろな人種の人々もいた。

 長い冬を迎えたペテルブルクだが、普段厚着をしてポケットに手を突っ込み、背中を丸めて街を歩く姿からは想像がつかないほど、ディスコに集う人々は軽やかだった。外の寒さのことなんかふっとび、見ているだけでも元気が出そうな風景である。
 ディスコの熱気に、北都に暮らす若者達の、溢れんばかりのエネルギーを感じた。

(なお、ディスコの写真は日付が変わった後に撮影したため、11月10日の【今日の写真】に掲載予定。)    

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2 コメント

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Unknown (tama)
2005-11-13 21:52:26
komachiがディスコ…失礼ですが、想像できません(笑)まぁ何でも試しちゃえ、っていうのは留学の1つの醍醐味かもね。かくいう私も、体型を気にしないアメリカ人を真似て(?)ミニスカート(少なくとも日本では着ない)なんか履いたりしてるし。



そして言語のこと。英語が使えた上での「第二外国語」やもんねぇ。いくら、「英語だけできればいいってもんじゃない」と言い張ったところで、今の時代やっぱ英語は最低限必要。…とはいえ、私の英語力は停滞、韓国語だけが日々上達してます。困った。
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Unknown (komachi)
2005-11-14 20:36:17
>tama



日本にいたら絶対ディスコとは無縁の生活をしていたと思います。でもロシアにディスコなんていうハイカラなものがあると知っただけでも大きな発見だったし、その活気を見て、「どこの国の若者も元気があっていいなあ」なぁんて、年寄りみたいなことを考えてました。

俺の踊りたるや、「タコ踊り」の様相を呈していた(かどうかはわからない)かもしれないけど、面白かったよ!



第2外国語については、tamaの言う通り、英語が出来る事が前提だと思う。英語は十分条件じゃないけど、必要条件。昨日、ロシア人、スウェーデン人と一緒に郊外にある、昔の皇帝のお庭に観光に出かけ、彼らとはずっと英語で話してました。ロシア人の英語はとてもきれいなのに、私の英語が途切れ途切れ。歴史や宗教の用語を、自分はまだまだ知らなすぎなんだなと思いました。



tamaはアメリカにいるのに韓国語が上達って、英語が上達するよりすごいことだと思うよ。韓国語への情熱のあと1万分の1でも英語にまわしたら、きっと英語も上達するはず。



3ヶ国語習得への道のりは長いけれど、お互い焦らず、その旅路を楽しみましょうや!
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