ロシアの北都 サンクトペテルブルク紀行

2005年秋から留学する、ロシアのサンクトペテルブルク(旧レニングラード)での毎日を記します。

物乞いの少年と私

2006-02-08 20:46:15 | Weblog
2006年02月04日
ロシア滞在通算146日目
【今日の写真:ホストファミリーの家の入り口には2つドアがある。2つのドアの間には窓があって暖房設備がないため、寒冷地帯となる。このように料理をおいておけば、天然の冷蔵庫になる。】

今日の主な動き
13:18 出かける
13:24 マヤコフスカヤ駅
  メトロ マヤコフスカヤ(13:32)→ガスティニードヴォル(13:35)
13:40 カザン聖堂側の写真屋
   その後ガスティニードヴォル
14:07 ガスティニードヴォル駅
  メトロ ガスティニードヴォル(14:14)→マヤコフスカヤ(14:16)
14:34 帰宅
   16時頃から、家でナスチャの誕生日パーティー
20:54 出かける
20:56 いつもの薬局
21:02 帰宅
23:41 レーナ、セルゲイらと出かける
(02月05日)
深夜 帰宅

 今日は午後から、昨日誕生日だったホストファミリーのナスチャの誕生日祝いパーティーがあるというので、出かけた帰りに毎日利用するマヤコフスカヤ駅の中にある花屋に寄る。
 どんな花が良いか店員に相談したところ、バラの花をすすめられたので、それを5本買うことに。色はどうするか聞かれて、例によって違う色を混ぜようとしたところ、色は一色にした方が良いと言われた。今まで、通常の友達には色を混ぜてプレゼントするのが無難だと思っていて、何よりもこれはロシア人の先生が言ったことだから信用していたのだが、そうでもないらしい。花の種類にもよるのかな?ともあれ、「餅は餅屋」と同様に「花は花屋」だから花屋の言うことに従い、薄いオレンジ色のバラに統一。
 包装はプラスチックが良いか、紙が良いかと聞かれたので紙を選択すると、花の先端も見えないようにすっぽりと包まれた。普通こんな包み方はしないものだが、隣に並んでいたおばちゃんが私に、「花が寒さで凍らないようにね」と話しかけてきた時初めてその理由に気づいた。そういえば外は今日も-20度前後で、花も凍ってしまいそうな寒さ。花屋の店員はそのことに配慮してくれていたわけだ。

 ところで、この花屋のあたりには一人、物乞いの少年がうろうろしていた。私が花を買っている最中も、私や付近の通行人をつかまえては金を求めていて、花屋の店員から「あっちへ行け!」と言われていた。私は見たことがない少年だったが、店員は、「彼はここに住み着いている。」と言っていたから、頻繁に出没するのであろう。
 花を買い終えてさっさと帰ろうとしていると、その少年がまた話しかけてきたので無視。それでもしつこく彼は私についてきて、ひたすら話しかけてくる。
 もう何度も物乞いに会っているから、無視して歩けばまた別の人を探しに行くと思っていたが、彼はなかなかしつこい。仕方なく「金を持ってない。」と言うと、「今花を買ったじゃないか。」と返してきた。確かに、彼は私がお釣りの50ルーブル札をもらったところまで見ている。ここはやむを得ず、1ルーブルでもあげれば退散するかと思い、とりあえずポケットにあった3ルーブルをあげたが(注:普通、任意にあげたくない場合にはあげない方がよい)、満足しないらしい。
 今度は、「俺はただの貧乏学生で、金はほんの少ししかない。」とごまかしてみるが、彼曰わく「それでも親がいるんだろう?こっちは両親がなくて、食べるものに困っている。」と、いかにも同情を誘うような話し方でしつこく話してくる。そこで「俺も似たような状況だ。」と言うと、「どうしてか?」とつっこんできたから、「親もあんまり働いてないから、収入が少ないのだ。」と適当なことを言ってみる。
 ネフスキー大通りを渡ったところまでついてきて、彼はようやく去っていった。彼の言うこと、どこまで本当なのか、嘘なのかは知らないが、彼はだいたい私の弟の前後、中学生か高校生くらいだった。物乞いをして同情を誘い、金を得るのは彼の勝手だが、得られる金などたかが知れているその時間を、もっと別のことに使ったらいいのになと思ってしまうのは私だけのロジックではなかろう。

 ナスチャの誕生日パーティーは16時頃から始まった。家族だけでなく親戚や友達数名もやって来て、とても賑やかだった。豪華料理群にとともに飲むものといったら、ここではやはりウォッカ。もっとも、主役のナスチャや友人ら数名は、ウォッカではなくワインを好んでいた。ロシアに来る以前、私の頭の中には、ロシア人は皆ウォッカというイメージがあったが、それは間違いで、ロシア人の中にも強い酒が飲めない人が少なくない。ヴォログダ州から来ているホストファミリーの友人は、ウォッカで早々に出来上がってしまい、リビングのソファーで寝込んでしまった。
 あっという間に夜になり、例によってDVDカラオケが始まる。だいたいこれが始まると飲む方は一段落。それにしても皆さんロシア語がお上手で(当たり前なのだが)、私の耳にとっては大変結構だった。

 パーティーは夕方の比較的早い時間から始まったので、いつもなら深夜2時とか3時まで続くカラオケも日付が変わる前には自然に終了。レーナが、ビリヤードに行かないかと誘ってきたので、行ってみることに。レーナ、セルゲイと彼らの友人(?)一名、それにレーナ、ナスチャの従兄弟マキシムと一緒に出かける。

 ビリヤードの場所は、家のあるジュコフスキー通り沿いのすぐ近くにあったが、空きがないらしく、断念。かわりに皆で近くのバーへ。
「ウォッカを飲むならウォッカに専念すべし。」という経験上の鉄則に従い、ここでもウォッカを飲む。冷えたウォッカは、それはそれはおいしかった。が、そのうちレーナが、「70度のアブサンを飲んでみないか?」とすすめてきた。その昔、アブサンという名前だけは聞いたことがあったが、もちろん未だかつて飲んだことはなかった。70度と聞いて始めは躊躇したが、物は試しに飲んでみることに。

 テーブルの上に置かれたのは黄緑色の液体。グラスの上に台が渡してあり、砂糖の塊があった。ウェイターがその砂糖に火をつけると、よく燃えた。奇妙なことをするものだと思って見ていると、やがてウェイターは火のついた砂糖を液体の中に入れた。するとあろうことかその液体から発火。アルコールランプ並によく燃える。数秒後にグラスの口をふさいで火は消された。
 周囲に飲むよう促されてグラスを持つと、熱い。今まで火がついていたから当たり前だが、レーナによるとアブサン自体は熱くないらしい。これは一気に飲むのが良いそうで、同じくアブサンを注文したセルゲイとともに、50ミリリットルほどを一気に飲み干す。どんな味と言われても良く分からない。とにかく説明しようのない味で、後に残ったのは先に中に入れてあった砂糖の甘さと、直後に飲んだオレンジジュースの風味。でもまずくはなかった。これをもう一杯飲んだところまでは覚えているが、実はその後、何時に家に帰ったのか記憶に残っていない。バーは家の近くだったし、ホストファミリーも一緒だったという安心感があったのだと思う。バーにあったミニディスコに行ったり、皆で写真を撮ったりして過ごした記憶は残っている。記憶は不確かでも記録は残っているもので、ここで最後に撮った写真はちょうど午前2時(2月5日)だった。

 70度のアブサン、読者の皆様も一度お試しあれ。
 


最新の画像もっと見る

8 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (mi)
2006-02-10 22:59:36
こんばんは。70度ってすごいですね。というか、飲めるなんてすごいですよね。私は最高で55度の自家製ウォッカ(самогон←この単語、ロシア人に知ったぶって言うと結構驚かれる&喜ばれますよ★)でしたが1杯で最高にハイでした(^_^;)

私もよく物乞いの子供に遭いました。最小で5歳くらいの子に地下鉄で睨みをきかされて持っていた水をカツアゲされそうになった時は本当にびっくり、というかショックだったのを覚えています。

物乞いの人たちはマフィアの闇の事業で雇われてるとロシア人から聞いたことがよくありましたが本当なのでしょうか。通行人にもらった金をかき集めてそんな事業が成り立ってるらしいですが稼げる金額なんて微々たるものだろうから、未だに不明な説です。

小さな子供を抱いて道で物乞いしてる人たちとかそうらしいです。



ちなみに、「マリナ先生」って文法の先生ですか?可愛らしい話し方をする50代くらいの・・・?

会話のНина Александровна(かなりお婆ちゃん)とかЛариса先生(学長サーシャの奥様)とか、ご存知ですか?すみません、懐かしいもので。。。
返信する
Unknown (komachi)
2006-02-13 03:18:44
>miさん



こんにちは。



70度のアブサンはさすがに強力です。ほんの試しに飲んだだけですが、木曜日、レーナと話していて、アブサン2杯はやめといた方がよかったと言われました。がぶ飲みする酒ではないらしいです。



自家製ウォッカなんてあるんですね。”самогон”という単語、初めて知りました。「自家製」だからсамо-なのかななんて思ってみたりして。55度というとだいぶ強いですが、普通のウォッカと比べていかがでしたか?



物乞いの子ども、時々本当に同情しそうになるのですが、心を鬼にして無視しています。が、水までその対象になるとは驚きです。リュックのわきのポケットにさしておいた飲料がとられたことは、いまだかつてありません。物乞い=マフィアの手下説、初めて聞いた説ですが、miさん同様、私も大いに疑問を持つところです。マフィアならもっと他の手段を使って大金を巻き上げるはず。



でも一度大金を巻き上げられそうになったことがありました。しかもmiさんご指摘の子ども連れの女性から。昨年の12月頃、メトロのУдельнаяでの話ですが、外に出たところで私に金を求めてきた子連れの女性がいて、金はないと言うと、たまたま私が手に持っていた財布から1000ルーブル札の端が見えていて、あろうことか、その1000ルーブルをくれと言うのです。今にも泣きそうな表情で、演技が上手な人だなと思ったのですが、1000ルーブルをただで貰おうなんて、なかなかの強者です。



物乞いには関わらないのが一番ですが、物乞いじゃなくて、街で時間を聞いてきたり、道を聞いてきたりする人もいるので、話しかけてくる人全てを無視するわけにはいかない。話しかけられるとつい耳を傾けてしまうというこの感覚、miさんなら分かっていただけるのではないでしょうか。



最後に、「マリナ先生」、文法だけじゃなくて会話も、読解なんかも教えてると思います。50代にはとても見
返信する
ん? (mi)
2006-02-13 18:29:19
komachiさんのコメントが途中で切れてるようですね?コメントで文字数オーバーとはさすがですね!

самогонのсамоは、ご察しの通り例の単語「自分でсам, само, сама..」らしいです。ちなみにгонはгнать(蒸留して作る)という動詞から来ているそうです。самоварも「自分でсамо、варはварить(沸く)という動詞から」だから同じ作りですよね。ロシア語も複合語ってのがたくさんあって面白いなぁと思います。

ちなみに55度も40度も変わらない!というのが私の感想です・・・。数杯飲めばふらふらですから。。



ところで物乞いで思い出しましたが、今はもうジプシーってのは全滅したのでしょうか?

私がいたころ(2003年のペテルブルク300周年まで)は、まだ町のいたるところで見られ、日本人はよく狙われて物を盗まれていたようです。



あとロシア人が犬に対しても優しいとは意外でした!ロシアには野良犬ばかりで猫はカフェとか高級デパートの靴売り場とかでぬくぬく昼ねしてるのに犬はいつもボロボロで痛々しいな~、と思ってたので。

個人的にはロシア人は猫派だと決め付けていたのですが。まぁ、人それぞれですよね。

宮殿前の氷、美しいですね!

返信する
失礼致しました (komachi)
2006-02-13 21:08:07
>miさん

あ、確かに途中で切れてますね。コメントに字数制限あるの、初めて知りました。お恥ずかしい限りです。ちなみに、前のコメントの続きは、「50代にはとても見えないので別人かと...」ということと、「残念ながら他のお二方も存じ上げません。」ということでした。もし「この人知ってるかも」というのがあればまた教えて下さい。意外なところで共通の知り合いがいるかもしれませんから!



さて本題ですが、гонはгнатьという動詞がもとだったのですか。実はmiさんのコメントを拝見した後当然гонも調べたわけですが、適当な訳が見つからず、疑問に思っていたところでした。ありがとうございます。ご指摘どおり、ロシア語は複合語が多いから、新出でも見ただけで意味が分かるものがありますよね。学習者にとってはありがたいです。





返信する
Unknown (komachi)
2006-02-13 21:14:24
>miさん

続きです(また途中で切れるといけないので)



ジプシーって、聞いたことあるのですが見たことがありません。(というか、正直どんな人たちなのか分かりません)。

日本人に限らず、盗難の被害はかなり多いようです。私は昨年のデジカメ盗難以来とられた物はありませんが、先日ネフスキー大通りを歩いていて、いつの間にかリュックが開けられていました。カザン聖堂とガスティニードヴォルの間です。あの辺は窃盗犯がうようよしてるみたいですね。



ロシア人の動物好き、もちろん好みは人によるでしょうが、そもそもデパートとかアパートの中で野良犬が休憩してるのを放っておくこと自体、動物に寛容なのだと思います。時々えさなんてあげてる人もいますからね。そんな光景を見ると、この犬や猫たちは日本に生まれなくて良かったよなと思います。



宮殿前の氷、実物をご覧になりましたか?確か入場料300ルーブルだったような気がします。ちょっと高いですが行ってみようかと思っています。



返信する
シプシー (mi)
2006-02-16 11:38:22
ロシアにいたジプシーは元々南インド地方出身らしいです。肌は浅黒く髪の毛も真っ黒、ボロボロでやたらカラフルな布切れをつなぎ合わせたような服を着て、いつも親子連れで5~10人くらいの集団でネフスキーを歩いていました。(なぜか大人の男性シプシーは見たことがなかったけれど。)

混雑したバスなどに乗り込み、すりを働くのでいつも追い出されていました。

私の友達はみな1度は被害にあったらしく、取り囲まれてポケットやバックに手を入れられたりもしたそうで、普通のスリよりも性質が悪いです。また、追っかけられた子もいました。対象は外国人にとどまらず、普通にロシア人も狙われていたらしいですが私は幸い被害を受けたことはなかったのでよっぽど金持ってなさそうに見られたのでしょうか。

とにかく、彼らの存在は当初かなりカルチャーショックだったのですが、ペテルブルク300周年を目前に政府がジプシー一掃計画を実行したらしく、それ以降全くいなくなったみたいです。一体どこに追い出されたのか?気になるところですが・・・。赤子から子供までたくさんいたので。



私も氷の展覧会に行きましたが当時は宮殿広場ではなく、プレハブが建てられてその中でやってました。CIS諸国からの作品が展示されていて面白かったです。



先生で覚えているのが、あとは会話のウラジーミル(自他共に認めるレーニン似)、読み物のエレーナ、新聞のミーシャ、ラリーサは3人とも習いました。結構もう忘れちゃいました・・・。



写真のサラダ、Саледка под шубой、見た目も綺麗で美味しいでしよね!好物です。

返信する
スペルミス (mi)
2006-02-16 11:43:00
すみません、Селедкаの間違いでした。
返信する
Unknown (komachi)
2006-02-16 21:44:05
>miさん

ジプシーってそういう集団なんですね。ただでさえ人通りが多いネフスキー大通りなんかを、集団で歩いて窃盗を働かれたらたちが悪い事極まりないですね。

私は、実物は一度も見たことがありません。おそらくmiさんが書かれた、政府の一掃計画が功を奏したのだと思います。ただ、私はモスクワへ一度しか行ったことがなく、モスクワとペテルブルク以外にロシアの大きな街を見たことがないので、もしかすると他の町に逃げているのかもしれません。だとしたらある意味もっとたちが悪いです。

今度ヴォログダなど、ペテルブルクから離れた周辺の街にも行く予定なので観察してきます。



写真のサラダ、名前は初めて知りました。食べ物の名前を聞いても、その場でメモしないと忘れてしまうもので...。これ美味しいですよね。私も気に入ってます。



ところで、先生の名前、私もいろいろな先生に会っているはずなのに、一向にmiさんと一致しないのでおかしいなと思っていたら、確かmiさんはスモーリニーでなかったでしたっけ?私はペテルブルク大学なので、ペテルブルク大学の先生でないと残念ながら分かりません。スモーリニーで勉強してる人もいるので、今度そっちに聞いてみますね。先生以外だと共通の知り合いがいるかもしれません。



返信する

コメントを投稿