2005年09月16日
ロシア滞在16日目
【今日の写真:ネフスキー大通りの通行人。人々の服装も厚着が多くなってきた。】
今日の主な動き
06:45 起床
08:31 出発
08:37 マヤコフスカヤ駅
08:51 バシレオストラフスカヤ駅
09:02 学校
12:31 バシレオストラフスカヤ駅
12:40 ガスティニードヴォル駅
12:53 日本センター
14:40 イタリアンレストラン(ネフスキー大通り)
15:46 薬局
15:50 帰宅
18:50頃 夕食
8時過ぎ、いつものように朝食をとっていると、ナジェーダが「今は7度だ」と教えてくれた。テレビの画面に「7.4℃」の文字が出ていた。世界の天気のコーナーでは、東京の気温も表示された。それによると東京は24℃。日本はまだ暖かいようだ。
外に出る。家の中では気づかなかったが、「マジで寒い」。急ぎ足で駅へ向かう。駅の中は暖かく、ホッとして改札を通ろうとするとブザーが鳴った。「なぜだ?」と思いながら戻ってきたコインを見ると、なんと10円玉。たまたま胸のポケットに入れてた10円玉を誤って投入してしまったようだ。
寒かったためか、今日の授業はいつもより人が少なかった。先生曰わく、「まだこれくらいの気温は暖かい。12月か2月の1週間か多くて2週間、-25℃から-30℃になることがある。-5℃とか-10℃が冬の普通の気温だ」と。「まだ暖かい」発言には皆絶句した。
昼間、日本センターでブログをアップしながらニュースをチェックしていると、今日大阪拘置所で死刑の執行があったことを知った。また、同日警察庁指定121号事件被告に対する上告棄却の判決が最高裁であり、死刑が確定する方向だという。私の持論は死刑廃止であるから、これらの事実に大きな衝撃を受けた。この場を借りて若干死刑制度について私見を述べておきたい。
死刑制度には賛成、反対論それぞれにいくつかの理由がある。死刑廃止論者の中には犯罪者の人権尊重を根拠にしている人もいるが、犯罪者の人権をどう考えるかについては、私の中でまだ答えが出ていない。罪刑の均衡を考えるならば、刑法の保護する最高の法益(人の生命)を侵害した者に対して、国家がその生命をもって責任を全うさせることが必ずしも「不当な」人権侵害とは言えないのではないかと思うからである。
私の死刑廃止論の根拠は冤罪の場合、すなわち犯罪を犯していない市民が誤って死刑を執行された場合に取り返しがつかないという点にある。
犯罪を犯していないのに裁判で有罪となるのには2つの類型があると考える。一つは構成要件に該当する行為そのものを行っていない場合に、誤認逮捕や別件逮捕で拷問、自白を強要されるなどし、裁判でも有罪になってしまう場合。これは典型的な冤罪のケースで、戦後分かっているだけで免田事件、財田川事件、松山事件、島田事件の4事件の被告人が死刑確定後に相次いで再審無罪となっている。
もう一つは構成要件に該当する行為を行っているが、責任がない場合。行為当時に責任、すなわち非難可能性がない場合には犯罪性が否定され、処罰することはできない。このことは「責任なければ刑罰なし」という言葉に表される。精神病などで心神耗弱だったり、病的酩酊状態だったり(もっとも、飲酒前に犯意があれば「原因において自由な行為」の法理を適用して処罰可能とされるが)した場合には、その状態下で行われた行為につき完全な責任を問うことはできない。学説によっては正当防衛や緊急避難も責任阻却自由に当たる。
被告人が本当に構成要件に該当する行為を行ったことを立証できるのか。行為を行ったことは事実としても、行為当時に責任があったことをどうやって証明できるのか。人が人を裁く以上、裁判でこれらを完全に証明できるということはあり得ない。裏を返せば、死刑制度は無罪の市民が刑罰の名において生命を絶たれる可能性がある危険な制度なのである。短くまとめるつもりでやや長くなってしまったが、これが私の死刑廃止論の根拠である。
ちなみに、今月11日の記事で、「ロシアには死刑制度はない」というアリョーナの発言を紹介したが、より正確には「事実上の廃止」である。いずれ原文でロシア刑法やロシアの法律事情を調べてみたいものだが、まだそれが出来るロシア語力がないのでいくつかのインターネットサイトで調べたところ、ロシア刑法には死刑が規定されているものの、現在、死刑の言い渡し、執行が行われておらず、プーチン大統領も死刑廃止の考えなのだそうだ。死刑制度を廃止している国は年々増えており、今や世界的な流れになっているのである。
午後、日本センターからの帰りに先日と同じイタリアンレストランで昼食。ここはピザとスープ、飲み物のセットが安いうえ、100グラム39ルーブルのバイキングがおいしくて最近私は気に入っている。日本円で500円かけずに十分に食べることが出来る。
日本センターやこのイタリアンレストランがある辺りは地下鉄のガスティニードヴォル駅から近く、マヤコフスカヤ駅まで一駅。急いでいるときや雨の時は地下鉄に乗るのだが、家への帰り道など、特に急がないときはネフスキー大通りを歩いて帰ることにしている。今日もレストランを出て歩く。天気は良いのだが気温は低く、道行く人々も厚着だ。【今日の写真】はこの時撮影したもの。中には真冬のスキーウェアみたいなのを来ている人もいて、さすがにそれは大げさだろうと思った。
ところで、午後になって喉に風邪の兆候が現れた。私の風邪は数ヶ月から半年に1回程度、喉に違和感が生じ、この違和感が2,3日続くのである。その間、鼻水が出るなどの症状があるが、幸い気持ち悪くなったり、咳が出たりすることはまずない。今日現れた症状もまさにそれ。ここ数ヶ月出ていなかったのでそろそろその時期だと思っていた。普通に生活していればまもなく回復するだろう。今日の寒さとの因果関係は不明である。
夜、寝る前に顔を洗いに行くと、「お茶を飲むか?」と聞かれ、せっかくなのでいただくことに。前にも紹介したかも知れないが、ロシアの人々はお茶好きで、食事には必ずお茶が出る。たまにこうして寝る前にもお茶を飲みながらお菓子やつまみを食べるのである。
テーブルの上には切断された魚の頭部があり、セルゲイが何かやっていた。こんな夜中にセルゲイは魚の解剖でもしているのかと驚いたが、どうやらそれを食べているようだ。「食べてみるか?」と聞かれ、魚だけに「ギョッ」としたが、ものは試しに食べてみるとことに。セルゲイはその魚の一部を切って、皮付きのまま私にくれた。おそるおそる食べてみると、これがかなりうまい。どうやら冷凍塩漬けらしい。刺身と同じ感じ。それにしても何とも生々しい食べ方である。
寒い1日はこうして終わった。
ロシア滞在16日目
【今日の写真:ネフスキー大通りの通行人。人々の服装も厚着が多くなってきた。】
今日の主な動き
06:45 起床
08:31 出発
08:37 マヤコフスカヤ駅
08:51 バシレオストラフスカヤ駅
09:02 学校
12:31 バシレオストラフスカヤ駅
12:40 ガスティニードヴォル駅
12:53 日本センター
14:40 イタリアンレストラン(ネフスキー大通り)
15:46 薬局
15:50 帰宅
18:50頃 夕食
8時過ぎ、いつものように朝食をとっていると、ナジェーダが「今は7度だ」と教えてくれた。テレビの画面に「7.4℃」の文字が出ていた。世界の天気のコーナーでは、東京の気温も表示された。それによると東京は24℃。日本はまだ暖かいようだ。
外に出る。家の中では気づかなかったが、「マジで寒い」。急ぎ足で駅へ向かう。駅の中は暖かく、ホッとして改札を通ろうとするとブザーが鳴った。「なぜだ?」と思いながら戻ってきたコインを見ると、なんと10円玉。たまたま胸のポケットに入れてた10円玉を誤って投入してしまったようだ。
寒かったためか、今日の授業はいつもより人が少なかった。先生曰わく、「まだこれくらいの気温は暖かい。12月か2月の1週間か多くて2週間、-25℃から-30℃になることがある。-5℃とか-10℃が冬の普通の気温だ」と。「まだ暖かい」発言には皆絶句した。
昼間、日本センターでブログをアップしながらニュースをチェックしていると、今日大阪拘置所で死刑の執行があったことを知った。また、同日警察庁指定121号事件被告に対する上告棄却の判決が最高裁であり、死刑が確定する方向だという。私の持論は死刑廃止であるから、これらの事実に大きな衝撃を受けた。この場を借りて若干死刑制度について私見を述べておきたい。
死刑制度には賛成、反対論それぞれにいくつかの理由がある。死刑廃止論者の中には犯罪者の人権尊重を根拠にしている人もいるが、犯罪者の人権をどう考えるかについては、私の中でまだ答えが出ていない。罪刑の均衡を考えるならば、刑法の保護する最高の法益(人の生命)を侵害した者に対して、国家がその生命をもって責任を全うさせることが必ずしも「不当な」人権侵害とは言えないのではないかと思うからである。
私の死刑廃止論の根拠は冤罪の場合、すなわち犯罪を犯していない市民が誤って死刑を執行された場合に取り返しがつかないという点にある。
犯罪を犯していないのに裁判で有罪となるのには2つの類型があると考える。一つは構成要件に該当する行為そのものを行っていない場合に、誤認逮捕や別件逮捕で拷問、自白を強要されるなどし、裁判でも有罪になってしまう場合。これは典型的な冤罪のケースで、戦後分かっているだけで免田事件、財田川事件、松山事件、島田事件の4事件の被告人が死刑確定後に相次いで再審無罪となっている。
もう一つは構成要件に該当する行為を行っているが、責任がない場合。行為当時に責任、すなわち非難可能性がない場合には犯罪性が否定され、処罰することはできない。このことは「責任なければ刑罰なし」という言葉に表される。精神病などで心神耗弱だったり、病的酩酊状態だったり(もっとも、飲酒前に犯意があれば「原因において自由な行為」の法理を適用して処罰可能とされるが)した場合には、その状態下で行われた行為につき完全な責任を問うことはできない。学説によっては正当防衛や緊急避難も責任阻却自由に当たる。
被告人が本当に構成要件に該当する行為を行ったことを立証できるのか。行為を行ったことは事実としても、行為当時に責任があったことをどうやって証明できるのか。人が人を裁く以上、裁判でこれらを完全に証明できるということはあり得ない。裏を返せば、死刑制度は無罪の市民が刑罰の名において生命を絶たれる可能性がある危険な制度なのである。短くまとめるつもりでやや長くなってしまったが、これが私の死刑廃止論の根拠である。
ちなみに、今月11日の記事で、「ロシアには死刑制度はない」というアリョーナの発言を紹介したが、より正確には「事実上の廃止」である。いずれ原文でロシア刑法やロシアの法律事情を調べてみたいものだが、まだそれが出来るロシア語力がないのでいくつかのインターネットサイトで調べたところ、ロシア刑法には死刑が規定されているものの、現在、死刑の言い渡し、執行が行われておらず、プーチン大統領も死刑廃止の考えなのだそうだ。死刑制度を廃止している国は年々増えており、今や世界的な流れになっているのである。
午後、日本センターからの帰りに先日と同じイタリアンレストランで昼食。ここはピザとスープ、飲み物のセットが安いうえ、100グラム39ルーブルのバイキングがおいしくて最近私は気に入っている。日本円で500円かけずに十分に食べることが出来る。
日本センターやこのイタリアンレストランがある辺りは地下鉄のガスティニードヴォル駅から近く、マヤコフスカヤ駅まで一駅。急いでいるときや雨の時は地下鉄に乗るのだが、家への帰り道など、特に急がないときはネフスキー大通りを歩いて帰ることにしている。今日もレストランを出て歩く。天気は良いのだが気温は低く、道行く人々も厚着だ。【今日の写真】はこの時撮影したもの。中には真冬のスキーウェアみたいなのを来ている人もいて、さすがにそれは大げさだろうと思った。
ところで、午後になって喉に風邪の兆候が現れた。私の風邪は数ヶ月から半年に1回程度、喉に違和感が生じ、この違和感が2,3日続くのである。その間、鼻水が出るなどの症状があるが、幸い気持ち悪くなったり、咳が出たりすることはまずない。今日現れた症状もまさにそれ。ここ数ヶ月出ていなかったのでそろそろその時期だと思っていた。普通に生活していればまもなく回復するだろう。今日の寒さとの因果関係は不明である。
夜、寝る前に顔を洗いに行くと、「お茶を飲むか?」と聞かれ、せっかくなのでいただくことに。前にも紹介したかも知れないが、ロシアの人々はお茶好きで、食事には必ずお茶が出る。たまにこうして寝る前にもお茶を飲みながらお菓子やつまみを食べるのである。
テーブルの上には切断された魚の頭部があり、セルゲイが何かやっていた。こんな夜中にセルゲイは魚の解剖でもしているのかと驚いたが、どうやらそれを食べているようだ。「食べてみるか?」と聞かれ、魚だけに「ギョッ」としたが、ものは試しに食べてみるとことに。セルゲイはその魚の一部を切って、皮付きのまま私にくれた。おそるおそる食べてみると、これがかなりうまい。どうやら冷凍塩漬けらしい。刺身と同じ感じ。それにしても何とも生々しい食べ方である。
寒い1日はこうして終わった。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます