ロシアの北都 サンクトペテルブルク紀行

2005年秋から留学する、ロシアのサンクトペテルブルク(旧レニングラード)での毎日を記します。

危うく写真400枚注文!

2005-09-20 19:23:46 | Weblog
2005年09月18日
ロシア滞在18日目
【今日の写真:マラソン大会(?)で走る人々】

今日の主な動き
(起床時刻不詳)
13:40 出かける
13:43 薬局
13:51 マヤコフスカヤ駅
13:58 ガスティニードヴォル駅
14:15頃 洗濯屋
14:56 写真屋
15:18 イタリアンレストラン
15:48 ガスティニードヴォル駅
15:55 マヤコフスカヤ駅
16:05 インターネットカフェ
16:56 マヤコフスカヤ駅
17:01 ガスティニードヴォル駅
17:16 洗濯屋
17:35 ガスティニードヴォル駅
17:43 マヤコフスカヤ駅
17:56 薬局
17:59 帰宅

 私の風邪は末期になると喉から鼻に来る。本当はあまり動きたくないところだが、せっかくの休みなので最低限やろうと思っていたことをやる。
当初の計画では、冬物の服と、デジカメのデータを収録するCD-Rを買いにガスティニードヴォルへ行く予定だった。朝食の時にそのことをホストファミリーに話すと、ガスティニードヴォルは高いからと別の店を教えてくれた。そして、服を買いに行くときは詐欺師がいるので出来れば一人で行かない方がいいと言われ、今日は服を買うのはやめることに。

 午後から行動開始。まずは洗濯屋へ行く。全部ロシア語ではまだ難しいので、英語の助けも借りつつコミュニケーションをとる。若い男の店員は、「どこから来たのか?」と聞くので「日本から」と答え、ペテルブルク大学でロシア語を勉強していることを説明した。すると彼は「日本は素晴らしい国だ。日本人がロシア語を勉強することは嬉しい」と言ってくれた。彼はまた、「私はこの国とこの町に誇りを持っている」とも話していた。彼の名はアントン。握手をして、また来ることを伝えると、「どれくらい来るのか?」と聞かれ、「1週間に1回」と答えた。彼と仲良くなれた上に、おかげで英語で言えばhow oftenにあたる、頻度を聞くロシア語の表現とその答え方を新しく知ることが出来た。

 洗濯屋を出て歩いていくと、ネフスキー大通りでマラソン大会みたいのをやっていた。警官が多数出て交通整理にあたっていた。【今日の写真】に掲載したのはその時撮った写真。適度な気温で気持ちいいだろうなあと思いながらしばし見物した。

 その後カザンスキー聖堂の横にある写真屋へ。今まで撮影した写真を友達にあげるためにプリントしようと思ったから。カウンターのおばちゃんにとりあえずCDを見せ、「写真が欲しい」と話してみた。「今日中だと9ルーブル、明日だと7ルーブルだ。」と言われ、特に急がないので明日受け取ることにした。
 それからおばちゃん、「1枚か?」と聞いてきた。「1枚か?って、まだ何も注文してないのにどういう質問なんだろう?」と私は意味を理解しかねたが、たぶん「注文する写真を1枚ずつプリントする」という意味だろうと解釈し、話を先に進めるために「そうだ」とうなずいてみる。するとおばちゃん、注文用紙に「全部1枚」と書いたではないか。いやいやそれはまずい。何せこのCDには日本出発直前からの写真425枚が入っているから全部プリントされたらえらい金額になる。文字が読めたのが幸いし、何とか全部プリントされる危機は回避された。
 が、それからの説明が難しかった。写真を選びたい。「選ぶってなんだっけ?見るで通じるのかな?」など考えながら頑張って話すとようやくパソコンにCDの内容を表示してくれた。よし、あとは選ぶだけだと思っていたが、なんとおばちゃん、1枚1枚スライドショーにして表示し始めた。そんなことをしていたら時間がかかりすぎる。「うーん、前の画面に戻って」と言うとようやく分かってくれたらしく、縮小版の表示にして選ばせてくれた。「これを6枚」「それじゃなくてこっち」「別のフォルダにいって」などなど、最近覚えたばかりの単語もフルに活用しながら何とか写真を注文し終えた。仕上がりは明日の午後2時だそうだ。

 写真屋を出てから、例の格安セットのイタリアンレストランで食事をしたり、インターネットカフェに行ったりしている間に洗濯が終わる時間になった。洗濯屋に戻って洗濯物を取り終えた頃には17時半近く。今日は18時からスティーブンの両親と弟が家に来ることになっており、それまでには帰りたいところだ。CD-Rを買うのは別の日にして、さっさと帰ることに。

 スティーブンの家族は18時10分頃に到着した。前にも書いたとおり、彼らはスイスの中でもフランス語を話す地域に住んでいるが、母親がスコットランド人のため全員英語、フランス語を話せる。何語で話すのが興味深かったが、母親が「Bonjour!」とフランス語で挨拶してきたので私も一通りフランス語で挨拶と、簡単な自己紹介をする。フランス語が話せると思われてボロが出る前にさっさと英語に切り換え、コミュニケーションを維持。ナジェーダ、セルゲイとスティーブン、彼の両親と弟、私のわずか7人だったが、英語、ロシア語、フランス語が交互に飛び交う面白い夕食だった。
 全員2カ国語が使えるスティーブン一家、どういう風に英語とフランス語を使い分けているのか聞いたところ、普段はフランス語なのだそうだ。「でも母親が怒ると英語になる。だから母親が英語を使うときは怒っていることが分かるのだ」と弟のブライアンが教えてくれた。スティーブンもそうなのだが、彼の両親、弟ともに冗談が好きな明るい人々で、何度も笑わされた。
 スティーブンの父親は弁護士で、刑事、民事の両方を担当するのだという。せっかくの機会なので、スイスの裁判はどんなシステムになっているのか教えてもらった。それによるお、スイスには26個の地方裁判所があり、共通の連邦法はあるが、日本で言えば訴訟法にあたる手続法は26の地域全てで異なるため、複雑なのだという。スイスでは地域によって使用する言語が異なる(フランス語、ドイツ語、イタリア語)ために、最高裁判所にもそれぞれの言語を話す裁判官がいる。最高裁で使う公式の用語は何なのか尋ねると、どこの地域で起こった訴訟なのかによって使用する言語を決めるのだという。法律も3カ国語で書かれたものが用意されているそうだ。ちなみに、日本では三審制だが、スイスでも、事案の種類によって異なるものの、最低3回は裁判を受けることができると彼は説明してくれた。日本の感覚からすれば、統一の言語を持たない国というのは想像し難いが、それぞれの国の事情に応じた裁判制度があるんだなということを知って大変興味を持った。
   
 夕食後、ナジェーダにいつものように日記を見てもらっているとき、話し言葉と書き言葉の違いについて教えてもらった。その際「これは前置格?」と確認すると、「文法はよく分からない。」という答えが返ってきた。日本人が日本語を話すとき文法を意識しないのと同じく、ロシア人も文法を意識することなくロシア語を使っているというわけだ。それでもってこの複雑な言語を正確に操れるのはすごいことだ。

 私達には「文法を意識することなく」ロシア語を学ぶことは不可能だ。明日からまた学校。地道に勉強するしかない。
 
 


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2 コメント

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Unknown (tama)
2005-09-21 08:11:59
カメラが盗難にあったことは残念やけど、危害加えられたりしなくてよかったよかった。私はほぼ学内で生活してて、町にはまだ出てないけど、気をつけます。今はまだ神経張り詰めてるけど、慣れた頃がさらに危ないね。



スティーブン一家の言語の使い分けの話が興味深いです。元々言語には興味があるけど、こっちにきてからさらに湧いてきました。エジプト人のルームメイト曰く、エジプトでは最低でも英語またはフランス語が流暢であることが求められるらしい(母語はアラビア語)。half Taiwaneseの別のルームメイトは、母親との電話(in Chinese)の最後に"I love you"の代わりに中国語で同じことを言ってた。外国語を学ぶことが「特別」なのは、日本くらいのものなのかもしれません。
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Unknown (komachi)
2005-09-23 18:48:27
>tama

そうそう、慣れた頃が危ないよ。寮は学内にあるのかな?tamaのところはどれくらい都会なの(変な質問でゴメン)。街に出る時は十分注意して!手に持っている携帯なんかも盗まれる事あるらしいから。



後ほどアップする記事にも書くけど、先日スティーブンの友達のスイス人と映画を見に行き、その後夕食を食べながらお話しました。彼はドイツ語と英語が話せるんだけど、英語は日本で言えば中学校の頃にはじめたんだって。スイスではそれぞれの地域の言語(フランス語、ドイツ語、イタリア語のいずれか)に加え、英語を話す事は"common”だって言ってたから、日本とはだいぶ違うね。

tamaのルームメイトのエジプト人もすごいと思う。なんてったってアラビア語は日本語と並んで最難関の言語に指定(byアメリカ国務省)されてますから。

tamaの言う通り、外国語へのハードルが高いのは日本だけかも知れないね。
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