ロシアの北都 サンクトペテルブルク紀行

2005年秋から留学する、ロシアのサンクトペテルブルク(旧レニングラード)での毎日を記します。

ペテルブルク案内記9-2日目:ペトロパブロフスク要塞-

2006-07-04 20:18:48 | Weblog

【写真:ペトロパブロフスク要塞にて。(28/06)】

 ミハイロフスキー城側から夏の庭園に入り、メインストリートを歩いていくとネヴァ川に出る。最寄りの橋であるトロイツキー橋を渡ると、大ネヴァ川と小ネヴァ川に囲まれたアプチェカルスキー島という島に入る。
 ここでは、Bの案内で「ピョートル大帝の小さな家」の前とトロイツカヤ広場を散策。ペテルブルク発祥の地でもあるペトロパブロフスク要塞にも、この島から行くことが出来る。
 ペトロパブロフスク要塞に着いたのは20時過ぎ。博物館などは既に閉まっていたが、要塞の中を散歩することは可能。
 私は初めて見つけたのだが、要塞の一角にはピョートル大帝のマスクをもとに作ったというブロンズ製の銅像がある。Bによると、このピョートルの指を握ると願い事がかなうそうである。
 私達が要塞に入った頃にはだんだん雲行きが怪しくなり、雨もぱらつき始めた。この時期は急な雨に備えて傘は必携。幸いBと私は折り畳み傘を持ってきていたが、強く降り出してきたので門の下でしばし雨宿り。
この要塞が起工されたのは1703年5月16日。ここからペテルブルクの建設が始まった。新暦で5月27日にあたるこの日には、ペテルブルクの誕生日として盛大なお祭りが催される(この様子は後日掲載予定)。この要塞は、いうまでもなくスウェーデンとの戦いに備えたものだったが、結局一度も軍事的用途に用いられることはなく、後に政治犯の収容所として使われることになった。謀反の疑いをかけられたピョートル大帝の息子が殺害されたのも、デカブリストの乱の首謀者らが処刑されたのもこの場所。
今日は既に閉館していて見ることが出来なかったが、この要塞の中心にある大聖堂には、ピョートル大帝はじめ、18世紀以降の皇帝の棺が収められている。

 この時期の雨は降ったり止んだり。雨の上がった頃を見はからって要塞を出た。
 
 


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