それ、問題です!

引退した大学教員(広島・森田信義)のつぶやきの記録

学校の安全をどう守るのか

2018-06-21 14:52:47 | 教育

 (大きくなった庭のリンゴ)

 先日の大阪府北部地震で、小学校4年生の女児が、自分の小学校のブロック塀の下敷きになって死亡するという、信じがたい事故が発生した。
 児童、生徒を預かる学校が、安全であることは、何よりも重要な条件である。ところが、建物の建築上の不備に起因する事故は、まだまだ発生する可能性が高い。今回の事故を受けて、市町村当局、さらに具体的には教育委員会は、早速守備範囲にある学校のブロック塀のチェックに取り組み、違法な建築物であることが判明した事例が多数存在することが判明した。「地震の時には壁から離れましょう」という注意書きを壁に貼り付ける学校もあり、苦笑するしかなかった。壁から離れるといっそう危険なのではなかろうか、そもそも通学路、児童・生徒用の歩道とは何かが疑わしくなるようなその場しのぎの措置である。 今回のJ小学校の場合、塀には、明るく楽しそうなイラストが描かれており、学校の見識のなさを浮き彫りにした。学校にブロック塀を作るに際しては、少なくとも、以下のような判断や行為があったはずである。
 ・学校のプールをのぞき見されないように、目隠しを作るという企画・立案
  ・素材、構造のプラン、業者の決定
 ・完成した構造物の安全性の点検
  これらに関わった部署や人間には、安全性確認の機会がいくつもあり、責任もあったはずである。(塀の危険性を、色と形で糊塗してしまった、イラストのデザインの検討などは論外である。)
 自治体が、一括して工事を処理するような場合には、個々の塀の特性、安全性にまで目配りができず、いい加減なものを作ってお茶を濁すなどということは、大いにありうることである。発注者の頭は、費用で占められていることが多いからである。
 私の住まいするH県でも、県知事が早速「県内の小・中学校のブロック塀の安全性の点検」を指示したようだ。なぜ、ブロック塀限定か、なぜ小・中学校だけで幼稚園、保育所、高等学校、大学は除外するのか不明である。所詮は、表面上の「対策」なのであろう。
 学校の安全性や危険性に最も責任が重く、事態を細部に渡って認識しているはずの者は、当該施設(学校)の教職員であろう。そのはずであるのに、今回のような事態を予測できなかったのはなぜか。
 教職員には転勤がある。都道府県、自治体による違いはあっても、転勤のない所はないだろう。大雑把に言えば、10年も経てば、全部が入れ替わっているということになろう。勤務校への帰属意識は希薄である。自分の学校という意識の乏しい人たちにとっては、その安全性や危険性の認識、責任感も軽くならざるを得ない。つまり、長期間住み続ける場としての自宅に対するような認識、責任感を維持しにくい仕組みになっているのである。

このような仕組みは、教育機関を管理する自治体、教育委員会でも同様であろう。学校全体に対して、長期にわたる、全体的な責任体制を築きにくくなる。前任者の責任、私の責任ではないという逃げを打つことができるからである。
 昨今、国内外で多発する、銃を持って学内に侵入し、無差別に襲撃したり、刃物を振り回して児童という弱者を襲うような加害者に対応するには、家族のいる自宅のような帰属意識が大前提ではないだろうか。かつて、秋葉原の交差点での傷害事件の際に、長い旗棹を持つ若者が逃げ惑っているのを観て、なんと不甲斐ないと怒りを感じたものであるが、希薄な帰属意識は、同様の行動の原因になる。
 試験的に、小規模の私立学校や多くの大学のように、転勤のない職場を作ってみてはどうだろうか。そこでは、教職員は、勤務校の安全性についてあらゆる責任を帯びる。組織としての緊張感を担保できるはずである。組織としての健全なあり方も模索せざるを得なくなり、管理職の自覚、同僚間のコミュニケーションのあり方も真剣に考えなくてはならなくなるだろう。組織が固定すると問題が生じる(これがあの転勤制度の大きな根拠であろうが)というのなら、その種の問題は、転勤があっても生じる可能性がある。どの職場にも問題を抱えたり、発生させたりする人間は存在するのである。転勤とは別問題である。


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