北海道暮らし、はじめました。(旧:東京Diary)

サラブレッドと美味しいモノが集まる北海道が大好きなあまりに、
移住してしまった大阪人の送る北海道生活です。

被災地の1日目

2018-09-06 | 胆振東部地震



かつて経験した事のない激しい揺れで、電池が飛んでった時計は、地震の起きた時刻で止まっていました。

2018年9月6日(木)午前3時8分。

二人と二頭が寝ていたダブルベッドは、相当な重量があるはずなのに縦横にずれ。

隣の台所からは、ガシャーン!ガシャーン!と食器の割れ落ちる音がいつまでも響き。

動いていた扇風機や空気清浄機から発するLEDのわずかな光も停電で消え、一瞬にして真っ暗闇の中。

これでもかと揺さぶり続けられたのはほんの1分間だったようですが、死ぬかも知れないと生まれて初めて思いました。

揺れが治まり、枕元に常備している非常用のLEDライトを照らしながら、そろそろと歩いて家の中の様子を見回ると。

寝室では鏡台、ウォークインクローゼットでは洋服タンス、客間では本棚が倒れ。

ちょっとやそっとじゃ動かない冷蔵庫や洗濯機などの重量級家電はずれ動き。

耐震ラッチが効くはずの台所や洗面所の棚からは、ありとあらゆる物が飛び出して床一面に散乱していました。

玄関扉が開く事を確認し、とりあえずは夜明けまでじっとしておこうと寝室に戻り。

異常事態に落ち着かないワンコたちをなだめながら、何か情報を…とスマホを見たものの、全く電波が入っていない。

亭主ドノが携帯ラジオを見つけてくれて、聞いていると「震源地は胆振中東部、最大震度6強」の言葉が。

…つい先日、亭主ドノと車で走っていて「去年は何回もこの辺で揺れてたのに、最近地震来てないよねー。」

と、震源地付近で話してたばっかやのに。なんだよこの「噂をすればなんとやら」な感じ。

5時前に外が明るくなってきたので、少し早い朝のお散歩がてら、ご近所さんたちの安否確認をしよう…と外に出ると。

駐車スペースのアスファルトに大きな亀裂が。



玄関先の階段下にも、亀裂や陥没でできたスキマが。



ずれたアスファルト、倒れかけの電柱、ひっくり返った灯油タンクや薪置場などなど…ご近所もひどい状況。

ふと見ると、隣のオヤジさんがスマホで会話をしている。えっ?私らの相変わらず圏外やのになんで??

auユーザーは普通に使えるとの事。私らが利用中のdocomoと、SoftBankは使えないらしい。なんだよこの差。

ワンコを散歩させながら、一軒一軒に挨拶して様子を伺うと、薪ストーブのある家はほぼみんな、管が折れたと言う。

薪ストーブにしろ、灯油タンクにしろ、使わない時期だったのが幸い。冬場なら新たに色んな被害が出たかも…。

ずっと歩いて行くと、実家の父からのSMSが入った!おぅっ、なんかわからんけど微かに電波が入ってる!

家族全員無事の報告を送信した後、すぐに電波が途切れました。いやー、奇跡的な一瞬やった。

その後も他の皆さんの無事を確認しつつ、情報を入手。苫小牧や千歳につながる道路が陥没して寸断されてるとか。

…陸の孤島になるのか?ヘリで救助を待たなアカンような事になってたらどうしよう?どこがどうなってるの??

家に帰って、とりあえずワンコたちには平常心を保ってもらうためにも、いつもどおりにゴハンを与えて。

情報を入手する手段がラジオしかないのに、外国語講座だのラジオ体操だのが始まる。ねぇ、それ今必要!?

苛立ちながらも、寝室から外までの動線を確保するために、台所、リビング、玄関の片付けを始める。

後になってから「画像を撮っとけばよかった」と思ったけど、当時はそんな事を考える余裕が全くないのよな。

食器棚から飛び出した割れた食器と、冷蔵庫から飛び出した玉子パックや紅生姜やヨーグルトの汁たちに辟易。

地震保険が適用されるかどうかわからんけど、証拠のために置いている割れた食器は、大きめの紙袋2つ分。



20年近くずっと大事に使っていた、わが愛しのスペシャルウィークのマグカップも、残念ながら持ち手が…。



液晶テレビは壁掛けにしていたので問題なかったけど、AV機器類を置き入れていたテレビ台は1mずれていて。

玄関横のドッグバススペースも、ありとあらゆる物が落ちて、足の踏み場もないぐらい。

玄関はわりと無傷。靴箱の上に置いていた物が落ちたぐらいで、まあまあなんとか。

外に置いている物置は、何が何やらわからんほどにグッチャグチャ。片付ける気が全く起きない崩れっぷり。



今回の地震は、東西方向に横揺れしたのですが、わが家はほとんどの家具を東西方向に配置していたので。

何もかもが揺れに耐え切れず、ずれ動き、飛び出し、倒れてしまいました。

夫婦共々、大阪で阪神大震災、東京で東日本大震災を経験したけど、家具が倒れた事は今まで全くなくて。

東京の揺れでも倒れんかったし〜、と油断が生じて、転倒防止の対策を全くしていなかった事を悔やみました。

ある程度時間が過ぎて、役場の職員さんが安否確認と避難所の案内に来てくれて。

ここよりも状況がひどい地区に人員を集中させるので、あまり面倒見れずにすみません、と謝られる。

うちの周辺はどこも建屋自体はしっかり建っていたので、そりゃ家屋倒壊とか土砂崩れとかしてる方が優先よな。

とりあえず、案内された避難所に歩いて行ってみる。そちこち崩落してるので、車で行くには厳しい道のり。

避難所の近くに来ると、スマホが一気に色んな音を立ててけたたましく鳴る。おっ、ここまで来れば連絡取れるのね。

見知らぬ番号からの電話に出てみる。最近は年賀状でしかやり取りをしていなかった、幼稚園からの幼なじみで驚き。

「あぁ〜よかった!やっとつながった!生きててよかったぁ〜!大変な事になってるやん!元気?ケガない?」

まさか一番最初に話す相手が、10年以上声を聞いた事がなかった幼なじみとは。それだけ大騒ぎになってるって事か。

地震発生から7時間、完全に外界と遮断されてたので、懐しい声を聞くだけで涙が出る。ありがとう、大丈夫。

避難所でトイレを借りる。照明もつくし、水も流れる。蛇口から水も出る。なんだこの何事もない感じは?

貯水槽があるので、しばらくは水が使えるらしい。って事はいずれ限界が来るから、早めに確保しないと!

急いで家に戻り、ありったけのペットボトルの水をバケツや水筒に移し替え、空っぽにして再び避難所へ。

2Lと500mlのペットボトルを全部合わせて12Lほどキープ。今日明日をなんとか乗り切れる量とはいえ心もとない。

電波の入らないわが家に帰る前に、スマホを確認。SMSは入るのに、LINEはつながらない。なんだこの違い。

高校の友達、元職場の同僚、親戚…たくさんの人が心配してくれてる。無事と電波が入らない事の返信でせいいっぱい。

家に帰り、亭主ドノが「自力発電が使える」という事に気づく。お金はかかったけど積んでてよかった太陽光発電!

太陽光で発電してる時間限定とはいえ、電気が使えるなんて!散乱した物置から電源コードリールを引っ張り出して。

早速、冷蔵庫と扇風機と掃除機とLEDランタンにつなぐ。扇風機動いた〜。涼しい〜。冷蔵庫がひんやりしてる〜。

幸い天気がよかったので、この日は17時半頃まで発電してくれて。冷凍冷蔵食品がダメにならずに済んだのは助かる。

夕方、ワンコとお散歩がてら避難所へ。給水制限がかかり、トイレも流せなくなっていて、災害用簡易トイレ登場。

家に帰ると、ご近所さんが軽トラで食べ物と簡易トイレを配りに来てくれた。コンビニ惣菜がありがたい。

周囲は庭にテントを張ってる家が多く、まるでオートキャンプ場。子供のいる家は、屋内を怖がって過ごせないらしい。

余震が怖いから、と車中泊をする人たちも。うちはどうする?と亭主ドノと話し合い、家で過ごす事にする。

日が沈み、太陽光での自力発電ができなくなったので、窓を開けて風を入れる。夜になると涼しくなるので助かる。

外から子供たちのはしゃぐ声が聞こえる。キャンプ気分で楽しんでるならいいね。食事をしながらラジオを聞く。

土砂崩れ、家屋倒壊、液状化現象、交通網寸断、停電、断水…ため息の出る話ばかり。ネットもできず、何もしたくない。

真っ暗でする事ないから寝るかー。と、21時前には就寝。小さな余震が何度も来て、なかなか眠れない長い夜。

ふと思う。昨日のブログで「自然に叱られる」って書いたばっかやのに、まさか自分がここまでの目に遭うとは。

土砂崩れとか液状化とか、他人事のように思ってたのに。そんな事を書いたから私が自然に叱られたんじゃないのか?

各地で災害が起こるたび、「明日は我が身」と思ってたけど、それでもどこかで「自分は大丈夫」って思ってたな。

まさかここまで「被災地」のど真ん中にいる事になるとは。自分の置かれた状況を信じたくない、被災地の1日目でした。

※9月14日(金) 記

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