まあ今のところ、ドライヤーとか電気毛布とか、車中泊旅で使うのがメインになってるけど…(^^;)
震災の時に配られた長期保存水。今年の末が賞味期限なので、ぼちぼち使っていかんとね。
長期保存水って、そのまま飲むと美味しくないんだよ(>_<) わが家ではラーメンとかコーヒーとかに使ってる。
亀裂が年々深くなってきて、ワンコが警戒するし、さすがに危ないから置いとけなくなって。
地震の後、床に落ちて一面に広がった砂糖と塩の処理にウンザリしてからは、補充をケース2割ほどに留めるようになった。
2019年(令和元年)9月6日(金)。昨年起こった胆振東部地震から1年が経ちました。過ぎてみるとあっという間です。
午後6時。昨年の今頃は、 こんな風に電灯が明るく灯る事も、テレビを見る事も、エアコンがつく事もなかった。
何してたっけな。日が沈んでだんだん暗くなる部屋で、配ってもらったコンビニ惣菜を食べてドンヨリしてたっけ。
ずっと圏外のままなのでスマホを触る事もなく、静かな中で義務的に食べ物を口に入れる、そんな感じ。
水が出ないからトイレに行く気になれず、水分を摂る気にもなれず。病気の時並みにさっさと寝たっけな。
なんかもう先が見えなくて。もう一度あの大きさの揺れが来たらどうなるかな、とか色々考えながら、疲れで寝た。
私らなんて、今は全然不自由なく過ごしてるのですが。それでもずっとトラウマというか強迫観念には駆られていて。
中でも水のない暮らしの辛さ。なんで前の日にお風呂のお湯を張らなかったのか。ずーっと後悔していて。
それまでは、お風呂の残り湯を朝の洗濯で使い終わったら、浴槽を掃除して、浴室を乾燥するようにしてたけど。
あれからはとにかく浴槽に水が入っていないのが怖くて。残り湯の余りだけでも浴槽を掃除するギリギリまで使わず。
お風呂に入る夜になってから浴槽を掃除して、すぐにお湯を張って、なみなみとお湯がある事に安心する日々。
もうね、怖いのよ。浴槽を掃除してお湯を張るまでの少しの間にまた断水になったらどうしよう、って思うと。
あの日に160リットルの水があれば、数日のトイレだけでも楽になったのに。汚れた床の掃除も気兼ねなくできたのに。
給水車が来てくれても、大量の水を持ち帰る手段がなかったのよな。2リットルのペットボトルなんて何本あっても足りない。
電気は使えなくても、どうにかこうにかすれば色々と代用できるけど。水はダメなんだよ。代わりがないんだよ。
水のない生活を一度経験してしまうと、水が出なくなったらどうしよう、という不安に襲われて立ち直れません。
あとは車のガソリン。以前までは給油ランプがつくギリギリまで乗り回してから満タンにするようにしていたけど。
もう今じゃ半分減ったら怖くて。15リットルぐらいしか入らなくてもいいから早く給油しないと、という強迫観念。
満タンになると安心するのよね。いざとなって車で寝泊まりする事を考えると、半分以下のガソリンじゃ不安。
車中泊にはすっかり慣れっこなので、何かあってもとりあえず車が無事なら、しばらくは生きていける自信がある。
まあ、そんな強迫観念に駆られるようになったのも全部、あの日「当たり前の明日」が来なかったからなのよな。
「当たり前の明日が来るとは限らない」「今できる事を後に回すな」が、あの日からの教訓になっています。
そんな被災地でみんなが頑張ってきて。田んぼはすっかり黄金色。今年はたくさんの米が収穫されるといいな。
でもさ。こんな中でも全国ニュースって、北海道の地震の話なんて全然せんのよ。京急の事故とか首都直下地震の試算とか。
東京のテレビ局って本当に、自分らの生活圏ばっか大事で、地方の事なんて放置よね。1年前も思ったけど全然変わらんな。
そんな感じで、この1年間の事を色々と思い返す1日になりました。明日は「当たり前の明日」が来ますように。
災害義援金の支給が決まった、という通知書が10日ほど前に届き、今日、口座に振り込まれていました。
震災発生から9か月。本当に役立つのか半信半疑になりながら「り災証明」を発行してからは、かれこれ8か月。
…本当に役立つのね。家の修繕工事で結構な額のお金が飛んでって、正直苦しかったので。ものすごくありがたい(´д⊂)
8年前の東日本大震災の時、当時勤めていた職場で義援金を送るから、と寄付を命じられた事があって。
「本当に被災地に届くかどうかも怪しいのになぁ…」なんて疑いながら、1000円を渡したけど。
もし世の中に同じような考えを持っている人がいれば伝えたい。善意はちゃんと届いています!私たちには届きました!
義援金詐欺とかが絶対にないとは言い難いけど、私が疑いながら出した1000円もきっと誰かのためになったはず。
被災の直後は続々と届いた支援物資に助けられ、時間はかかったけど今は義援金に助けられ。
顔も見えない、名前もわからない、それでも善意を届けてくれた何処かの誰か。本当にありがとうございます<(_ _)>
家の前の道路は相変わらずあちこち地割れしたままだけど、そばに植えていた芝桜は綺麗な花を咲かせてくれました。
秋に起きた震災。冬の雪の時期を越えて、春が来て。庭ではヤエザクラがたくさん花を付けてくれています。
花が咲くようにほっこりと、たくさんの人たちの支援をありがたく感じた今日でした。
昨日、2019年2月21日(木)21時22分に起こった最大震度6弱の地震。久々の大きな揺れでかなり恐怖を感じました(-_-;)
↓本来ならこんな感じで整然と並んでいたフィギュア。
いや、今回も相当激しい揺れ方で、それなりに物が落ちたり倒れたり飛び出したりしてたのですが。
どうしても「早く元に戻さんと」って気持ちが先走って、「写真撮っとこ〜」なんてのんきな考えが頭から消えるのよな。
食器棚から聞こえるガシャガシャという食器のズレる音や、防災無線から流れる「大地震です」の機械的な声や。
そういうのを聞くとやっぱり、あの日と同じっていう恐怖感がよみがえって。つい体が縮こまってしまいます。
揺れが続いてしばらく後に停電。いやいや、この真冬にブラックアウトとかなったら生死に関わるってばΣ(゚д゚lll)
さすがにLEDランタンや懐中電灯は常備しているので、ここは冷静に灯りをつけて家の中の被害を確認。
冷蔵庫がズレたり、蓋をしているにも関わらず浴槽に張ってたお湯が脱衣所まで飛び出してきてたり。
落ちたり倒れたりした物を片付けながら、とりあえず大きな被害はなくてホッ。そして電気もすぐに復旧(^^)
しかし地震の揺れって、必ず同じ方向やな…。うちは東西方向に揺れるから、南北方向の配置はほぼ無害。
そしてハッと気づく。水やばい!断水してないか!?
急いで流し台の蛇口から水が出るか確認。おぉー、ちゃんと出るし、お湯も問題なし。よかった〜(T▽T)
前回の断水のトラウマがあったので、すっかり安心して。落ち着いたら洗い物して、お風呂に入ろう…とか思ったら。
洗面所にいた亭主ドノが「なんか水圧が弱くなってきたぞ〜」と。えぇっ!Σ(゚д゚lll)
おいおいマジかよ…と落ち込んでたら、防災無線から「一部地域で漏水検査のために水道を止めています」って。
よりによって「一部地域」に大当たりしてんのかよ…_| ̄|○ あぁ、よみがえる苦しかったあの断水地獄。
でもまぁ前回と違うのは、今回はちゃんと浴槽にたっぷりお湯がある!1日2日ならどうにかやってけるはず。
もうこちとら断水生活のプロよ。トイレのタンクの水受けだってさっさと外して、水の補給体勢は万全さ。
しかも今の時期、どうしようもなくなったら、溶ければ水になるこの雪が山のようにあるってーのよ。
飲み水も、2Lのペットボトルが前回の備蓄でまだまだ残ってるし。なくなりゃ買いに行けばいいのよ。
という事で昨夜は、洗い物もせず、風呂にも入らず、家族揃ってとっとと寝室にこもったのでした。
しかし調査のためなんか、報道のためなんか、夜の11時過ぎてんのにヘリコプターが飛び回ってうるさくて(-_-;)
朝5時過ぎに起きた時にも、ヘリのプロペラ音がずっと鳴ってるし。夜の間ずっと飛んでたんじゃないやろーね(-_-;)
もしかして水道が復旧してるかも…と微かな希望を持って蛇口を開けたけど、水は出ない(´д⊂)
ワンコたちには何事もなかったかのように過ごしてほしいので、散歩の後いつもどおりにゴハンを食べさせて。
器が洗えんでも、前回もこうして毎日ウェットティッシュで一生懸命拭いたのさ。もう慣れっこよ。
人間もお皿にラップを敷いて食事。極力洗い物を増やさない生活には慣れっこなのさ。
アタシ…強くなったわねぇ(´д⊂)
まぁおかげさまで、今回は水道が思ったよりも早く復旧してくれました\(^o^)/ 毎度痛感する水のありがたみ!!
しかし、ワンコたちの反応も三者三様で。地震の最中はみんなうろたえてたけど、一夜明ければ。
ビビりのワンコAはぴったり体をくっつけてきて、私から離れようとしない。
ワンコMは前に住んでた木造アパートで、少しの地震でも激しく揺れた事が何度もあったので。
老体のワンコPに至っては…昨夜の事すら忘れてしまってるんやろうか。
今回はライフラインに大きな問題が起こらんでよかったけど。真冬にワンコ3頭連れて避難生活とかなったら…キツいな。
落ち着いて安心した頃にやって来た、地震・停電・断水。兜の緒を締めよ、と天地のカムイに戒められた気分です(-人-)
を、発行してもらいました。個人的には、なんで「罹災」って漢字を使わなくなったのかが気になるのですが。
地震から数日後、役場の人と調査員の人が来て「り災証明の調査をするので、家の外側を見させてもらいます。」
と言われ。その頃の私は断水中で不便な生活をしてたし、体調も悪いしで、とにかくやる気がなくて。
どうせそんな証明書が出るほど壊れてないんやし、どうぞどうぞご勝手に〜、ぐらいの投げ出しようでした。
私が同行する必要は全くなく、勝手に見て写真を撮って帰っていくだけだったので、なかったもの同然の感覚。
それから数日後、亭主ドノに役場の人から連絡があり、「り災証明を出す方が良い」と言われたとの事で。
亭主ドノが改めて、被害があった箇所の画像を撮り、役場に行って書類を書き、画像を見せて申請してきてくれました。
私の中では崩れたり壊れたりはもちろん、家が傾いたとか、配管が折れたとか、建物に大きな亀裂が入ったとか。
そんな目に見えてわかる大きな被害じゃない限り、り災証明なんてわざわざ出さなくてもいいと思っていました。
そして先日。り災証明書が発行できるので手続きに来るように、とまた役場から連絡が入り。
仕事で行けない亭主ドノに代わり、私が発行手続きに行ってきました。
り災証明の発行場所にいる係の人は、他の市町村の役所から救援で来てくれた人ばかり。
足寄町、池田町、陸別町…私らが旅行でわざわざ行くような遠い所から来てくれて。ご苦労さまです(涙)
で、家の外側だけ見た時点では「一部損壊」のり災証明が出ます、という説明を受け。
「もし、外側からわからない被害があるなら、2次調査で家の中も見るけどどうする?」というような事を聞かれ。
2次調査をすれば「半壊」などにランクが上がるかも知れない。
でも被害の大きな家から調査するので、程度の軽い家では調査が何か月先になるかわからない。
東日本大震災の時は、2次調査に進んでランクが上がった割合は1割にも満たない。
2次調査に進まず、り災証明を発行すれば、その時点で2次調査を受ける事はできなくなる。
という説明を受け、亭主ドノにその旨を伝え、どうするかを検討した結果。
2次調査には進まず、「一部損壊」のり災証明を発行してもらいました。
そして別で、被災証明書も。
…なんかこうして文面に起こされると、大した事がないと思っていた被害も、大した事に思えてくる。
これを今後何かに使えるんですか?と質問すると、義援金の配布とか、民間企業での割引とか優待があるかも、と。
役立つ日が来るのかどうかはわからんけど、私たちが被災地で被災者な生活をしていた証なんやなぁ。
今日改めて、被災証明書に書かれていた被災状況や、その他の見える被害を確認してみました。
基礎に入ったクラック(亀裂)。
わが家は玄関周辺の被害が一番ひどかったので、これ以外は何もなくてまだよかったなぁ、と。
別件で役場に行った時、後ろに来たおじいちゃんが被災家屋の撤去について聞きに来ていて。
役場の人が被災状況を聞くと、おじいちゃんが「ああ、全壊。」とポツリ。
…私らは地震前とほぼ同じ生活を取り戻せてるのに、この同じ場所にいて。なんかごめん、おじいちゃん。
先週末、長い間お世話になった自衛隊の生活支援部隊の見送り式に参加して、色々思い出して号泣。
その帰り、その日で閉鎖される災害ゴミ集積所に寄り、壊れたモノを捨ててきて。
土砂にまみれたであろう家具や大型家電、ぬいぐるみなんかもあって。緩んでいた涙腺がさらに崩壊。
確かに使えずに捨てられるだけの「ゴミ」ではあるけど、これらを「ゴミ」って呼ばないでほしいよな。
自衛隊もいなくなった。集積所も閉鎖された。そのうちボランティアもいなくなる。
これからは自分たちの力で生活を再建していかないといけない。寒くなるこれからが厳しいのになぁ。
地震で断水の苦しみを味わってからは、入浴できるありがたみに感謝しながら、毎晩お風呂に入るようにしています。
今まで、どうしようもなく眠くて夕食後にうたた寝をしてしまったり、偏頭痛のせいで何をするのも億劫だったり。
そんな時は「もうお風呂入るの面倒やから寝る〜」と、1日や2日お風呂をパスする事がしょっちゅうでした(^^;)
地震の前日もシャワーだけ。湯船は明日にすればいい。「明日が来るのが当たり前」だと思っていたので。
当たり前の明日が来るとは限らない。
当たり前の日常を送れない日々が続き、地震後6日目にしてようやく、自衛隊の入浴支援でお風呂に入れた喜び。
温かいお湯がシャワーからたくさん出る。肩まで浸かって体がポカポカになる湯船がある。お風呂は心も温める。
水道が復旧して、久しぶりに家の湯船に浸かって体を伸ばした時の喜びは、どんな温泉と比べても格別やったなぁ。
本来なら9月前半に使い切ったはずのひんやりバブ。最低気温ひと桁になる中も使い続け、先日やっと使い切りました。
地震後は毎日お風呂に入るように、しかもシャワーだけで済まさず、必ず浴槽にお湯を張るようにしています。
未だに「なんで地震の前日に限って、お湯張りしとかんかったんやろー…」と悔やむ事がたびたびあって。
飲んだり食器洗いには使えずとも、拭き掃除や洗濯、何よりもトイレのタンクには相当使えたのに。
浴槽には毎回160Lのお湯を張るので、これだけあれば少なくとも、地震直後に川の水を汲みに行く手間は省けたはず。
給水車が来ない当初、トイレを流す水欲しさに川まで汲みに行ったもんな…。自分の置かれた境遇がつらかった(´д⊂)
今回の事で手に入れたポリタンクたち。灯油用の18L×4個は、亭主ドノの仕事関係の人からの寄付。ありがたかったな。
水用の20L×4個は、地震から2日後、電気が復旧してネットがつながった時にすぐ、通販で買った物。
それでも配送制限とかで届くまでに1週間以上かかって。届いた時の嬉しさと来たらそりゃもぉ…(´д⊂)
給水車まで車で水汲みに行って、重い目をして運んで、浴槽にためて。それでもこれ全部使ってやっと160L足らず。
お湯張り1回なんて、ボタンをピッと押せば30分ぐらいで終わるのに。水汲みの日々は腰に来たよなぁ_| ̄|○
わが家はエコキュートを採用しているので、浴室横の洗面所にどデカい貯湯ユニットが設置されているのですが。
ご近所では、この貯湯ユニット自体が地震の揺れでズレ動き、中の配管が曲がったり折れたりした所も多いらしく。
そんな事を教えてくれた、点検に来た設備業者さんが「全然ズレなかったんですねぇ。水道が復旧したらすぐ使えますよ。」
(↑通水したらこの辺りから水漏れしないか見て下さい、という指示で、Vサインではない。)
と、うちの配管を見て言ってくれた時に、地盤とか基礎工事がしっかりしてて良かったんかなぁ、と思っていましたが。
その数日後。ハウスメーカーさん2名による被災調査があり、貯湯ユニットの上部を見て「いやぁ、しっかり付いてる…」
と、顔を見合わせてえらく感心しきりだったのがやたら印象に残ったけど、その時は何の事かよくわからず。
昨日、自分の目で見たのがこれ。
取説によると本来、この振れ止め金具は2階以上に設置した場合に壁に固定するらしいのですが、わが家は平屋。
にも関わらず、この金具が付けられていたおかげで、あの大きな揺れにも耐えてズレ動かなかったようです。
向かいに置いている洗濯機が15cmほどズレ動いた事を考えると、金具が付いてなければこのユニットも動いたかも。
大工さんなのか、設備業者さんなのか、エコキュート販売店さんなのか。誰がこの金具を付けてくれたのか。
取説に従わず(?)、平屋のわが家にもしっかりと金具を付けてくれた誰かさん。本当にありがとうー!!
これはもう感謝してもしきれないぐらいの出来事で。ユニットがダメになってたら、お風呂に入れなかったもんね。
ってか、この取説は訂正必須でしょ?転倒だけじゃなくズレても使い物にならんなら、金具取付は標準じゃないと!
新居を建てる前、オール電化にするか、一部を灯油にするか、を悩んでいて、結局オール電化にする事になり。
エコキュートのシステムを説明してもらった時。「この中に水が残っていれば断水時に役立ちますよ。」
と言われ、「いやー、そんな場面はそうそう来ないと思うけどなー。」なんて笑って言ってたのはわずか2年前。
…こんなにすぐに「そんな場面」が来るとは思わず。そして確かに役立ってくれました。
貯湯ユニットが無事だったおかげで、断水中でもユニットに残っていた水をチョロチョロとバケツに汲み出し。
手洗いや洗顔、トイレのタンクに使う事ができました。災害大国日本、もはや一家に一台必要なのでは…?
エコキュートじゃなくても、灯油タンクが倒れたりボイラーがダメになったりで、お風呂が使えない家も多い中。
金具を付けて貯湯ユニットを守ってくれた人。地割れのひどい中で毎日水道管の復旧に励んでくれた人たち。
色んな人たちのおかげで、私は毎日お湯を使えて、お風呂にも入る事ができます。感謝、ただ感謝あるのみ。
地震に加えて、台風24号の接近に伴い、炊き出し支援が中止され、事前に大量に配られた非常食ライス。
姉たちからの救援物資にも入っていて、使うのがもったいなくて大事にとってたけど。こんだけあるなら食べなくちゃ。
なんせ、被災地支援でもらえる物資って、基本的には賞味期限が近い物がどんどん回ってくんのよね。
美味しそう〜♪と喜んでいたこの炒飯。
賞味期限が一昨日で切れてましたがな(´д⊂)
この非常食ライスのすごいのは、お湯じゃなく水でもできるという点。お湯で15分のところが1時間かかるけどね。
という事で、こちらも賞味期限まであと半年足らず、この5年保存水を使う事に。
封を開けると、スプーンと脱酸素剤が入っているので、これらを取り出して。
ペットボトルの水をそのまま、指定量注ぐ。今回は160mlだけど、やわらかく仕上がるために心持ち多めに入れる私。
それでも500mlの水を半分も使わないので、水が貴重な生活をしている時は助かります。
水を入れたら、味が片寄らないように付属のスプーンでしっかりかき混ぜる。
こんな感じでチャプチャプしとります。
で、袋のチャックをピッチリ閉じたら、1時間ほったらかすだけ。こんなんでホンマにできるんかいな?
とか疑いつつも1時間経過。オープン。
おおっ。カサカサしてた米(うるち米)やグリンピースがふっくらしてるΣ(゚д゚lll)
いただきます。
ワハハハー!(≧∇≦) ちゃんとチャーハンになってる!!しかも味がしっかりしてて美味しいし!
もっとカッチカチでよく噛んで味わって食べるようなのを想像してたのに、全然いけるじゃーん♪
分量どおりの水を入れれば、出来上がりの量が260gになるので、贅沢を言わなければ十分にお腹が満たされます(^^)
ごちそうさまでした♪
食器洗いの手間いらず、小さく畳んで捨てられるし、なんてエコロジー(人´∀`)
水と一緒に車にも積んでおけば、例えば雪の時期に身動き取れなくなったりしても、しばらくは生き延びれるはず。
すごいわー。レトルトカレーとかパックご飯とかカップラーメンとか、非常食も色々あるけど一番の優れ物かと。
ただ、ネットで値段を調べてちょっと驚き(^^;) 自分で買うには少々お高めなので、やっぱり残りは大事にとっとこ…。
2018年9月30日(日)。昨日、やっと待ちに待った水が出ましたー!!
長かったこの25日間の断水生活。同じ町内でもとっくの昔に通水して飲み水として使えるようになった地区も多く。
給水や風呂でお世話になるたびに、自衛隊の人たちに「まだ水が出ないんです〜(´д⊂)」と訴え続けた日々。
ものすごく置いてけぼり感を味わってきたけど、やっと、やっと、蛇口から水が出たこの嬉しさと来たらもう(T^T)
18Lや20Lの水入りポリタンクを何個も何度も運んだおかげで、腰痛になったりもしたし。
家のトイレを小で使うたびに「あと2回は流さずに置いておこう」なんて不衛生だとわかっていても仕方なくて。
思い切り掃除をしたくても、すぐに減る水がもったいないから、アルコール消毒でごまかすしかできなかったり。
人に会わんかったら風呂なんて5日は入らんでもなんとかやってけるさー、なんて開き直り精神が芽生えるし。
もう本当に水が出ないってだけで、数え上げたらキリがないほどの苦労とか屈辱感とかを味わってきたけれども。
そんな生活ともおサラバさ!溜めに溜め込んで浴槽やらポリタンクやらに余り余ったこの水をどうしてくれよう??
とか思ったけど、台風24号の影響でまた停電とか断水とかなったら困るし。過ぎ去るまでは残しておこう。
ってやってたら今日。2018年10月1日(月)。台風は21号の時よりも全然影響を受けずに過ぎ去ってくれたけど。
朝の防災無線で「地区内で漏水が見つかったので点検のために断水。今日は給水を利用せよ。」と…_| ̄|○
あー、水捨てずにちゃんと置いといてよかったー!!←負け惜しみ(´д⊂)
日常生活が戻ったと喜んだのも束の間。私の被災者生活はもう少し続きそうです…(o_ _)o パタッ
2018年9月12日(水)。
ここ数日で一番寝覚めが良い。風呂に入った効果だろう。ノドの腫れは声が少し出るまでには戻っていた。
エコキュートの被害状況を見に、設備業者さんが来てくれた。ほぼズレもなく、配管も曲がっていないとの事。
ご近所を何軒か回ったけど、本体がズレて配管が曲がっていた家が多いらしく、うちの被害の無さに感心していた。
水道が復旧すれば問題なく使えると思うので、念のために管からの水漏れがないかだけ注意して下さい、と。
ねー。早く水道復旧してほしいんですけどー。断水して1週間になるのに一向に復旧する気配が感じられない(´д⊂)
浄化槽の点検業者さんも来てくれた。地盤がズレた事で排水管の勾配が少し変わってるけど、問題ないとの事。
…浄化槽のバクテリアさんたちは元気なんだろうか?仕組みがよくわからんけど、浄水がなくて大丈夫なんかしら?
落ち着いたので、病院に行く。近くの道はだいぶ修復作業が進んできた。もうじき普通に通れそう。早いなぁ。
こんな時期なので、病院も恐ろしく混雑してるかと覚悟して行ったのに、むしろ普段より人が少なかった。
しかも幸いにも大人の患者ばかり。もうガキンチョの姿を見ると逃げ出したくなる自分がいる。
少しの待ち時間で診察してもらえた。ノドに水疱ができているとの事。うん、それ私も見てるから知ってる。
薬を3種類と、トローチを出してもらった。トローチって有無を言わさずノドを治してくれそうで、嬉しい。
実家の姉たちから支援物資が届いた。ずっと「ポリタンクが欲しい!」と言う私の要望に応えて買ってくれた。
使わない時はジャバラを畳めてコンパクトにできる、コック付きなので水を出しっぱなしにできる、ありがたい!!
毎日使っているので、すぐになくなってしまいそうなマスクもたっぷり。
極力水を使いたくないので、プラ製のカップやお皿。助かる〜。
こういう保存食、今後は私もちゃんと見習って備蓄しとかなアカンなぁ。
嬉しいね。愛を感じた被災地の7日目でした(´д⊂)
※9月21日(金) 記
2018年9月11日(火)。
風邪は一向に良くならない。むしろ声枯れがひどくなり、大きな声を出せなくなった。何かあった時に叫べない…。
常備している風邪薬も減ってきた。病院に行けばいいのだけど、ずっと風呂に入らず頭も洗ってないこの体では…。
仕事から帰ってきた亭主ドノが、「避難所にある自衛隊の風呂入りに行こっかー?」と誘ってくれた。
災害の時に必ずテレビで見る事のある、自衛隊が用意してくれる風呂。確か日曜日から使えるようになっていた。
体がだるくて出かけるのが面倒だったけど、「生涯の記念になるかも知れんし、行ってみよっか。」と行く事にする。
初めに向かった避難所は、ちょうど別の避難所から送迎バスで来た団体が待合にズラリ。1時間は待つと言われる。
仕方なく、無理を承知でもう一つの避難所へ。こちらは待合に誰もおらず、今ならすぐに入れると言われる。
ラッキー!と、すぐさま案内された脱衣場へ。棚に脱衣カゴがあり、足元にはスノコ。意外に広々している。
分厚い天幕で仕切られた浴場へ。シャワーが5台あり、満席。プラス1人がシャワー待ち。裸で待つのは少し寒い。
が、ここはやはり助け合いの精神。みんなが早く次に回そうという思いなのか、わりとすぐにシャワーが2台空いた。
風呂イスに腰掛け、シャワーを出す。うおおお〜、めっちゃ温かいお湯が勢いよく出てくれて超気持ちいー!!
6日間洗わなかった頭をようやく洗う。髪が山のように抜けてく。こんなに頭を洗わなかったのは自分史上最長だ。
シャンプーも全然泡立たないので二度洗い。ああー、頭皮が呼吸してる感じになってきた〜。快適〜!
体もしっかり洗う。濡れタオルで拭くだけの時とは全然違う気持ちよさ。入浴がこんなに感動的な出来事とは。
大きな湯船に入る。熱いお湯が継ぎ足しされているけど、うっすら白濁している。これはもう目をつぶるしかない。
はああ〜。湯船に浸かったのも久しぶり〜。適温で体が温まる〜。うちも早く水道復旧してくれへんかな〜。
湯冷めをしないように、素早く脱衣場に戻り、体を拭いて服を着る。暖房がついていて、ここでは湯冷めの心配ナシ。
さすがにドライヤーはなく、できるだけしっかりタオルドライをして、髪にタオルを巻いたまま外に出る。
自衛隊の隊員さんたちにものすごく感謝の気持ちを込めて「ありがとうございました」と言う…が、声が出ない。
血行が良くなった事でノドの腫れも大きくなったのか、自分でもビックリするほど声が出ない。なんてこったい。
先に出て車で待っていた亭主ドノと合流し、急いで家に帰る。ドライヤーで髪を乾かすと、久々のサラサラヘアー。
ああ気持ちいい。ずっとベタつきでのっぺりしていた頭が、久々にフンワリした。顔の肌ツヤも良くなってる。
やっぱお風呂ってすごいわー。大事だわー。お願いやから早く水道を復旧させて下さいー。
ま、周りは迷惑かも知れんけど、約1週間は風呂に入らんでも耐えられる事がわかった、被災地の6日目でした。
※9月20日(木) 記
2018年9月10日(月)。
朝起きたら、ノドが腫れていた。咳が出る。熱も少しある。…風邪ひいたぁー!!(´д⊂)
くっそー、絶対土曜の夕食時に狭い空間でガキンチョ集団と一緒に過ごしたせいや。ウイルス蔓延の坩堝め!
亭主ドノは今朝から職場復帰。ワンコたちの世話をするのは私しかいない。風邪ひいて寝てる暇なぞない。
とりあえず常備している風邪薬を飲む。うがい薬で徹底的にうがいをする。極力何もせず体を休める事に専念。
…ツラい。一人になった途端にこんな事になるなんて。体が弱ると心も弱って、食欲も一気になくなる。
薬を飲むために、無理矢理にでも食べないと…と、カップうどんをすする。普段は美味しいのにちっとも味を感じない。
薬を飲んで、夕方のお散歩時間まで寝る。ひどくならんといいけどなぁ。早く治ってくれるといいけどなぁ。
願いは届かず、起きた時には声がかすれ始めていた。ノドいてぇよー。体のふしぶしも痛くなってきたよー。
誰か代わって…と弱音を吐く事もできず、ワンコたちをお散歩に連れて行き、足を拭き、ゴハンを与える。
この5日間の被災生活、ワンコたちに今までどおりの何も変わらない生活をさせてあげられた事が唯一の救いだ。
人間たちが色々と不便を強いられている中でも、いつもと同じ時間に散歩に出て、いつもと同じゴハンをあげる。
よその家のワンコは、臆病になったとか攻撃的になったとか、色々と地震のトラウマを見せているらしいけど。
うちのワンコたちは、揺れにビビりはするものの目立った変化はなく。便秘や下痢もなく毎回快便の健康優良児。
そうだよ。おまえたちが病気になってしまうと治療費がバカにならないから、それなら私が風邪ひく方がマシだよ。
おまえたちに普段どおりの生活をさせるためなら、かーちゃんは多少弱ってたって体にムチ打ってやるさ。
マスク姿で物資をもらいに行くと、「早く治さないと!」とパックご飯やら野菜ジュースやらを大量にくれた。
病気になって初めてわかる。普段からもちろん大事だけど、被災生活ではとにかく体力が大事だ。
ウイルスに負けない体力、勝つ体力、水を汲む体力、物資を運ぶ体力、車を運転するだけでも意外と体力を要する。
被災直後はやる事だらけで、気が張ってるせいもあって、やたら体を動かすし、目が冴えてあまり眠れない。
でもちょっと落ち着いた頃に、一気に抵抗力が弱まって、ウイルスにやられてしまう。お手本のような今回の私。
風邪薬、胃腸薬、栄養ドリンク。これらは普段から常備すべきだとオススメしたい、被災地の5日目でした。
※9月20日(木) 記
2018年9月9日(日)。電気は復旧したものの、水道は相変わらず断水されたまま。不便な生活が続いている。
洗濯物が貯まってきたので、苫小牧に出る道路の状況を見に行くついでにコインランドリーに行こう、という話になる。
亭主ドノは月曜日になったら仕事に戻る。職場までの道で通行止の区間があると困るので、下見に出かける。
時間が長くなりそうなので、ワンコたちも一緒に連れて行く。地震以来、少しの揺れでも過敏に反応するようになった。
家に置いて出た間に大きな余震が来て、パニックになったり物が当たったりしたら…と考えると、置いて行けない。
自分たちの居住エリアから外に出るのは地震以来初めて。相変わらず近くの道はズレや陥没で危なく、慎重に走る。
が、苫小牧の手前まで来ると、地震なんかなかったかのように、道路は無傷に見える。何事もなく走る事ができる。
苫小牧に入るとその感覚はさらに強まり「ほぼ日常」だった。心配していたガソリンスタンドの給油制限もない。
これなら在庫も多いかも、と期待して、ポリタンクを買おうとホームセンターに入る。500mlの水がケース売りしてる。
が、2Lの水やポリタンクやカセットコンロのガスボンベなどは在庫切れで、入荷も未定との事だった。
みんな考える事は一緒か…と諦めて、帰る前に店のトイレを借りる。レバーを回せば水が当たり前のように流れた。
手を洗うために洗面台で蛇口を開ける。水が出た。しかも温かい、お湯が出た。自然と涙が出てきた。
何この違い?30kmほど離れた隣の市に来ただけなのに、なんでここは普通にトイレを流せて、蛇口からお湯が出るの?
自分の置かれている厳しい現実との温度差を感じて、涙が出た。ここにいる人は当たり前の事だと思ってるだろうけど。
何軒かのコインランドリーに寄るも、どこもフル稼働。しかもたくさんの洗濯物を抱えた人たちが待っている。
洗濯は諦めて帰る事にする。途中、亭主ドノの職場の人の家に寄り、ポリタンクとクーラーボックスを借りた。
「大変だったねぇー」と言いながら、庭の水道でポリタンクの中身をザブザブ洗い流してくれている。
いいね。私たちがチマチマとペットボトルから流して手洗いに使っている水が、こんなにも出てきてくれるなんて。
2Lの水と麦茶も持たせてくれた。至れり尽くせりでただただ頭を下げるのみ。
しばらく食べていないのでパンが食べたくなり、三星さんに寄る。材料が調達できないらしく、パンはほとんどない。
が、ケーキは10種類ほど売られていた。気晴らしになるかと思い、3つほど買う。ソフトクリームも買った。
ワンコたちはソフトクリームが大好きだ。車で待っているワンコたちに外からソフトクリームを見せると、狂喜乱舞。
ほんのひと舐めだけあげると、もっとくれ!と言わんばかりにかぶりつこうとする。太るからダメなのよ。わかって。
人間たちもソフトクリームを舐める。ああ、配給では出る事のない美味しさ。また泣きそうになった。
苫小牧を出て「被災地」の自分たちの町に戻る。ちょうど昼の配給時間で、ランチパックをもらえた。
パンが食べたい、と思っていたのに買えなかった事もあり、ものすごく嬉しかった。ランチパック超うめー!
買ってきたケーキも、缶コーヒーとともにいただく。ああ、久しぶりの生菓子。なんか癒されるなぁ。
心がいくらか暖かくなったので、適当に予想して馬券を買ってみた。セントウルSで1-3着のワイド1040円が当たる。
嬉しいなぁ。今週は馬券を買う事なんてできないと思ってたのに。スマホが使える事が本当にありがたい。
夕食の配給時間が来たので、私が一人で鍋とタッパーを持って、拠点のお宅にもらいに行く。
二人で行くとまた強制的に食べていく流れになるので。これからはそうしよう。白飯と汁物をもらって帰る。
やっぱり家で食べる方が落ち着くし、食も進む。朝に久々に体重を量ったら、2kg近く減っていた。気疲れかなぁ。
久々にパンやケーキを口にして元気が出たものの、隣町との温度差を感じてかなり落ち込んだ、被災地の4日目でした。
※9月18日(火) 記