北海道暮らし、はじめました。(旧:東京Diary)

サラブレッドと美味しいモノが集まる北海道が大好きなあまりに、
移住してしまった大阪人の送る北海道生活です。

胆振東部地震から1年

2019-09-06 | 胆振東部地震



2019年(令和元年)9月6日(金)。昨年起こった胆振東部地震から1年が経ちました。過ぎてみるとあっという間です。

午後6時。昨年の今頃は、 こんな風に電灯が明るく灯る事も、テレビを見る事も、エアコンがつく事もなかった。



何してたっけな。日が沈んでだんだん暗くなる部屋で、配ってもらったコンビニ惣菜を食べてドンヨリしてたっけ。

ずっと圏外のままなのでスマホを触る事もなく、静かな中で義務的に食べ物を口に入れる、そんな感じ。

水が出ないからトイレに行く気になれず、水分を摂る気にもなれず。病気の時並みにさっさと寝たっけな。

なんかもう先が見えなくて。もう一度あの大きさの揺れが来たらどうなるかな、とか色々考えながら、疲れで寝た。

私らなんて、今は全然不自由なく過ごしてるのですが。それでもずっとトラウマというか強迫観念には駆られていて。

中でも水のない暮らしの辛さ。なんで前の日にお風呂のお湯を張らなかったのか。ずーっと後悔していて。

それまでは、お風呂の残り湯を朝の洗濯で使い終わったら、浴槽を掃除して、浴室を乾燥するようにしてたけど。

あれからはとにかく浴槽に水が入っていないのが怖くて。残り湯の余りだけでも浴槽を掃除するギリギリまで使わず。



お風呂に入る夜になってから浴槽を掃除して、すぐにお湯を張って、なみなみとお湯がある事に安心する日々。

もうね、怖いのよ。浴槽を掃除してお湯を張るまでの少しの間にまた断水になったらどうしよう、って思うと。

あの日に160リットルの水があれば、数日のトイレだけでも楽になったのに。汚れた床の掃除も気兼ねなくできたのに。

給水車が来てくれても、大量の水を持ち帰る手段がなかったのよな。2リットルのペットボトルなんて何本あっても足りない。

電気は使えなくても、どうにかこうにかすれば色々と代用できるけど。水はダメなんだよ。代わりがないんだよ。

水のない生活を一度経験してしまうと、水が出なくなったらどうしよう、という不安に襲われて立ち直れません。

あとは車のガソリン。以前までは給油ランプがつくギリギリまで乗り回してから満タンにするようにしていたけど。

もう今じゃ半分減ったら怖くて。15リットルぐらいしか入らなくてもいいから早く給油しないと、という強迫観念。



満タンになると安心するのよね。いざとなって車で寝泊まりする事を考えると、半分以下のガソリンじゃ不安。



車中泊にはすっかり慣れっこなので、何かあってもとりあえず車が無事なら、しばらくは生きていける自信がある。

まあ、そんな強迫観念に駆られるようになったのも全部、あの日「当たり前の明日」が来なかったからなのよな。

「当たり前の明日が来るとは限らない」「今できる事を後に回すな」が、あの日からの教訓になっています。

そんな被災地でみんなが頑張ってきて。田んぼはすっかり黄金色。今年はたくさんの米が収穫されるといいな。



でもさ。こんな中でも全国ニュースって、北海道の地震の話なんて全然せんのよ。京急の事故とか首都直下地震の試算とか。

東京のテレビ局って本当に、自分らの生活圏ばっか大事で、地方の事なんて放置よね。1年前も思ったけど全然変わらんな。

そんな感じで、この1年間の事を色々と思い返す1日になりました。明日は「当たり前の明日」が来ますように。


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