北海道暮らし、はじめました。(旧:東京Diary)

サラブレッドと美味しいモノが集まる北海道が大好きなあまりに、
移住してしまった大阪人の送る北海道生活です。

り災証明とか被災証明とか

2018-10-17 | 胆振東部地震



を、発行してもらいました。個人的には、なんで「罹災」って漢字を使わなくなったのかが気になるのですが。

地震から数日後、役場の人と調査員の人が来て「り災証明の調査をするので、家の外側を見させてもらいます。」

と言われ。その頃の私は断水中で不便な生活をしてたし、体調も悪いしで、とにかくやる気がなくて。

どうせそんな証明書が出るほど壊れてないんやし、どうぞどうぞご勝手に〜、ぐらいの投げ出しようでした。

私が同行する必要は全くなく、勝手に見て写真を撮って帰っていくだけだったので、なかったもの同然の感覚。

それから数日後、亭主ドノに役場の人から連絡があり、「り災証明を出す方が良い」と言われたとの事で。

亭主ドノが改めて、被害があった箇所の画像を撮り、役場に行って書類を書き、画像を見せて申請してきてくれました。

私の中では崩れたり壊れたりはもちろん、家が傾いたとか、配管が折れたとか、建物に大きな亀裂が入ったとか。

そんな目に見えてわかる大きな被害じゃない限り、り災証明なんてわざわざ出さなくてもいいと思っていました。

そして先日。り災証明書が発行できるので手続きに来るように、とまた役場から連絡が入り。

仕事で行けない亭主ドノに代わり、私が発行手続きに行ってきました。

り災証明の発行場所にいる係の人は、他の市町村の役所から救援で来てくれた人ばかり。

足寄町、池田町、陸別町…私らが旅行でわざわざ行くような遠い所から来てくれて。ご苦労さまです(涙)

で、家の外側だけ見た時点では「一部損壊」のり災証明が出ます、という説明を受け。

「もし、外側からわからない被害があるなら、2次調査で家の中も見るけどどうする?」というような事を聞かれ。

2次調査をすれば「半壊」などにランクが上がるかも知れない。

でも被害の大きな家から調査するので、程度の軽い家では調査が何か月先になるかわからない。

東日本大震災の時は、2次調査に進んでランクが上がった割合は1割にも満たない。

2次調査に進まず、り災証明を発行すれば、その時点で2次調査を受ける事はできなくなる。

という説明を受け、亭主ドノにその旨を伝え、どうするかを検討した結果。



2次調査には進まず、「一部損壊」のり災証明を発行してもらいました。

そして別で、被災証明書も。



…なんかこうして文面に起こされると、大した事がないと思っていた被害も、大した事に思えてくる。

これを今後何かに使えるんですか?と質問すると、義援金の配布とか、民間企業での割引とか優待があるかも、と。

役立つ日が来るのかどうかはわからんけど、私たちが被災地で被災者な生活をしていた証なんやなぁ。

今日改めて、被災証明書に書かれていた被災状況や、その他の見える被害を確認してみました。







基礎に入ったクラック(亀裂)。





わが家は玄関周辺の被害が一番ひどかったので、これ以外は何もなくてまだよかったなぁ、と。

別件で役場に行った時、後ろに来たおじいちゃんが被災家屋の撤去について聞きに来ていて。

役場の人が被災状況を聞くと、おじいちゃんが「ああ、全壊。」とポツリ。

…私らは地震前とほぼ同じ生活を取り戻せてるのに、この同じ場所にいて。なんかごめん、おじいちゃん。

先週末、長い間お世話になった自衛隊の生活支援部隊の見送り式に参加して、色々思い出して号泣。

その帰り、その日で閉鎖される災害ゴミ集積所に寄り、壊れたモノを捨ててきて。





土砂にまみれたであろう家具や大型家電、ぬいぐるみなんかもあって。緩んでいた涙腺がさらに崩壊。

確かに使えずに捨てられるだけの「ゴミ」ではあるけど、これらを「ゴミ」って呼ばないでほしいよな。

自衛隊もいなくなった。集積所も閉鎖された。そのうちボランティアもいなくなる。

これからは自分たちの力で生活を再建していかないといけない。寒くなるこれからが厳しいのになぁ。

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