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チャイメリカから米中対立へ byニーアル・ファーガソン

2009-10-06 | clipping
日本経済新聞|特集――歴史から読み解く現在、ハーバード大教授ファーガソン氏(世界を語る) 2009/10/03
http://y-sonoda.asablo.jp/blog/2009/10/05/4615600


 過去を探る学問と思われがちな歴史学。ところが米ハーバード大で経済・金融史を教えるニーアル・ファーガソン教授は、秩序安定の観点からブッシュ政権のイラク戦争開戦を支持。金融危機が起きると米政府の大規模な財政出動と大量の国債発行を批判するなど、現在と寄り添う姿勢を崩さない。英紙フィナンシャル・タイムズなどにコラムを執筆し、ときに欧米の論壇をにぎわす同教授は、大国が衰えていく21世紀の世界は「危機に直面している」と説く。

 ――歴史学者でありながらどうして現在や未来を論じるのですか。

 「未来のことはフューチャーズと複数形で話すことにしている。未来は1つではない。多くの未来からどれが起きるかは誰にも分からない。ただ歴史的な思考をすれば将来像は見えやすくなる。米国と中国は同盟関係になるかもしれないし、別れてしまうかもしれない。それぞれ過去の英米関係や英独関係になぞらえれば想像しやすくなる」

 ――中国の今後をどう予想しますか。

 「中国は現在の成長が続けば10年以内に米国に匹敵する経済大国になる。世界経済のカギを米中が握る。それがチャイメリカだ」

 ――米中が一緒に世界規模の課題に取り組む「G2」論を唱える人も増えています。

 「両国が補完関係にあるという意味では(G2と)同じだが、チャイメリカは中国の貯蓄と米国の消費が結びつくという経済の概念だ。米中双方とも相互協力を説く人が多いが、明らかに利害対立がある。10年、20年の単位で考えると、食い違いの方向に向かうだろう。その結果は米欧関係や日米関係にも影響するし、インドのような同盟国でなかった国との関係も重大な意味を持つようになる」

 ――米中対立が世界の軸になると?

 「19、20世紀と中国は暗黒の時代だった。中国は現在、『払い戻し』を求めている。上の世代は争いを望んでいないが、若い世代は自信を持ち始めている。今後の中国は独断に走るようになる」

 「中国にとって重要な教訓が日本だ。100年少し前の日本はアジアの新興国で、列強の仲間入りを目指していた。周囲との摩擦の連続で、まずロシア、次いで欧米と戦った。だが、戦争から得るものはほとんどない。特に中国の膨大な人口を考えれば、だ」

 ――欧州連合(EU)も1つの極になりますか。

 「もう少し強くなってほしいが、機能的には弱体なので、肩を並べていけるとは思わない。(大統領制導入で)単独の代表ができるのは外交面ではプラスだ。だが、何か改革しようとするたびにどこかの国の国民投票でノーとなる。強い連邦国家になることはない。それが分かっているからロシアのプーチン首相は力こぶを見せびらかすのだ」

 ――代表作「憎悪の世紀」では20世紀を「最悪の世紀」と呼んでいます。

 「20世紀は殺人兵器の効率化が最も進んだ時代だ。ただ、核兵器が登場し、20世紀の後半は大国が力を直接行使することは少なくなった。ベトナム、アンゴラなどで多くの人々が亡くなったが、米ソの直接衝突はなかった」

 ――冷戦終結で「世界はひとつになれる」と思った人もいました。

 「冷戦は終わったが戦争はなくならなかった。紛争を引き起こす3条件は変わらず存在しているからだ。1つは不安定な経済。これは以前よりも不安定さを増している。2つ目は民族対立。世界の一部、特にイスラム世界で多く見られる。3番目は(覇権国家である)帝国の衰退だ。米国ですらついに帝国としての力の限界に達した。挑もうとする勢力が増えてくる。我々は危機に直面している」

 ――20世紀が繰り返されるのですか。

 「地政学的要因は変化した。当時は中・東欧、満州(中国東北部)、韓国が主戦場だったが、現在では中近東だ。米軍がイラクからの撤収を終え、次いでアフガニスタンから引き揚げれば、紛争が起きる可能性は巨大になる。発火点になり得るのはパキスタン、イスラエルとパレスチナ、イランだ。特にイランは核武装に近づこうとしている」

 ――民族対立は永久になくならないのでは?

 「民族対立は常にあるわけではない。スコットランド人の私と日本人のあなたはDNAも異なるし、文化も異なる。しかし互いに憎しみを感じることはない」

 「100年前の中欧、例えばウィーンは多民族都市だったが、ほとんど対立はなかった。民族対立はどうして起きるのか。共存社会を壊そうとする圧力が外部からかかったときだ」

 ――金融危機は民族対立を増幅させると思いますか。

 「間違いなくそうだ。金融史を研究して分かるのは、大きな金融危機が起きると社会や政治も不安定さを増し、大きな衝撃を生み出すということだ」

 「最近、日本で政権交代があったが、国によっては平和的な政権交代ではなく、暴力の増大につながる。多民族国家ではすでに緊張が高まっている。政治対立が二極化していない国では犯罪の増加のような形で表れる」

 ――金融危機では米財政の拡大を批判しました。

 「1970年代後半から米国などでは国内総生産(GDP)に対する公的・民間セクターの債務残高比率が大幅に上昇した。今回の金融危機により自己資本をはるかに上回る投資を行うレバレッジの時代は終わった。財政赤字の拡大という従来型の短期的な手法で乗り切ろうとしても歴史の流れには逆らえない。クルーグマン=ファーガソン論争では、米財政がたどっている道筋が持続可能ではないことはクルーグマン氏も認めている」

 「金融政策としての量的緩和は有効だが、米連邦準備理事会(FRB)による米国債の大量購入は長期金利の上昇を招きかねない。住宅ローン金利も上がり、FRBの意図とは反対の影響が出る。ドルは準備通貨としての価値を失うのではないか」

 ――わざと論争して楽しんでいるようにも見えます。

 「論争の信者だ。同意よりも言い争いから真実は得られることが多い」

 ――次の研究課題は。

 「ヘンリー・キッシンジャー元米国務長官の伝記を書いている。経済危機と地政学的危機の時代である1970年代に興味があるからだ。70年代は米中関係が始まったときでもある」

 どうしたら金融危機を克服できるのか。昨年秋以降、欧米では多くの学者が論陣を張った。なかでも騒ぎを巻き起こしたのがファーガソン氏とプリンストン大のポール・クルーグマン教授の論争だ。

 日本人がノーベル経済学賞に抱く大物イメージと程遠い、クルーグマン氏の悪態をつくような語り口は欧米メディアには格好のネタ。米紙ニューヨーク・タイムズなどで頻繁に取り上げられた。相手方はどう思っているのか。それが知りたくてハーバード大に足を運んだ。

 にこやかだが、こちらもなかなか辛口だ。英国人らしい皮肉交じりの物言いで「米帝国の終末」を予言し、米国人の神経を故意に逆なでする。

 歴史的事実と異なる前提を提示し、「もし××だったらどうなっていたか」と問う手法には賛否両論がある。同僚教授に感想を聞くと「話は面白いが、必ずしも正しくはない」と顔をしかめた。

 論壇のエースか、目立ちたがり屋か。いずれにせよ、欧米歴史学界の目下の旗手であることは間違いない。日本で翻訳が1冊しか出ていないのは著書がどれも長すぎるせいか。

(ワシントン支局長大石格)

 1964年英グラスゴー生まれ。オックスフォード大を卒業後、ケンブリッジ大講師やニューヨーク大教授などを経て2004年から現職。専門は経済・金融史で、「帝国」研究で知られる。歴史資料を再構成して通説と異なる史観を示す歴史修正主義者の代表格。メディア登場に積極的で、04年には米誌タイムで「世界で最も影響力のある100人」に選ばれた。英ヘッジファンドのコンサルタントを務めたこともある。

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asahi.com|憎悪の世紀 上・下 [著]ニーアル・ファーガソン [評者]山下範久(立命館大学准教授・歴史社会学) 2008年03月02日
http://book.asahi.com/review/TKY200803040129.html


■ありえた歴史を仮想しつつ読み解く

 まずファーガソンの著作の初邦訳を喜びたい。1964年生まれの著者は、年齢的には依然「気鋭」という言葉がふさわしい歴史家であるが、なされた仕事から言えばすでに「大家」である。国際金融史からスタートし、ロスチャイルド家の研究(同家が外部の研究者に資料を提供した異例の作品である)で頭角を現したのち、近代世界史を大規模に書き換える論争的な作品を矢継ぎ早に世に問うている。そのいずれもがかなりな大著であるため、邦訳や紹介が遅れていたのである。

 ファーガソン史学の特徴は、おおきく三つある。第一は、「反事実的仮定」の手法である。俗に歴史に「もしも」はないというが、逆に歴史は決してあらかじめ決定されたものでもない。彼は実際の歴史とは異なる結果を仮想することで、歴史における偶有性(複数の文脈の重なり合いのなかでの不確実な決定)を開示するセンスに富んでいる。

 第二は、顕著な修正主義である。彼は、既存の(特にマルクス主義的な)パラダイムが前提としていることを敢(あ)えて疑うことで、新鮮な知見を引き出している。

 第三は、独自の帝国観である。彼は特に19世紀のイギリス帝国の統治を、世界の近代化の推進力として肯定的に評価する立場を打ち出している。20世紀以降に同じ役割を果たすべきアメリカが、責任感をもってその役割を果たしていないことに彼は批判的である。

 本書の主題は20世紀の戦争、特に第2次世界大戦である。それまでの戦争に比べて、文字通り、けた外れに多くの人命が犠牲になっている。なぜなのか。彼は、20世紀の戦争の構造的要因として、経済の「変動性」(さまざまな経済的指標の変動幅の大きさと変動が起こる頻度)の上昇と、帝国的秩序(前近代的な専制帝国と近代的な植民地帝国の両方)の退潮とを挙げている。彼の認識では、この二つは現在にも当てはまる条件だ。

 だが、20世紀の戦争に特に顕著なのは、敵を人間だとみなさずに殺戮(さつりく)するという行為が、大規模に制度化・組織化されたということである。20世紀のジェノサイドの経験を踏まえ、近代化した社会が自己の外部に絶対悪を措定し、他者にその絶対悪を投影することで、その表象から人間性が剥奪(はくだつ)され、暴力への歯止めが失われるメカニズムを指摘する思想的研究の蓄積はすでに厚い。本書の醍醐味(だいごみ)は、この「憎悪」の心理的メカニズムが、先に述べた構造的な経済的・政治的要因とどのように結びついていくのかが、鮮やかな筆致で歴史的に描かれているところにある。

 時事問題にも積極的に発言する著者は、03年のイラク戦争に際して開戦を支持する立場に立ち、その後アメリカの(帝国としての)コミットメントが不十分だという理由でブッシュ政権を批判している。本書を読めば、そこに「憎悪」の問題はないのかと問いたくなる。異論もまた多い書き手なのだ。しかしなお、幻術師のごとき著者の手さばきは、歴史の真理が単一ではないことに読む者の想像力をひらかせる。その意味で、彼がすぐれてポストモダンな啓蒙(けいもう)歴史家であることは確かである。

    ◇

 THE WAR OF THE WORLD : History’s Age of Hatred、仙名紀訳/Niall Ferguson 64年、英国生まれ。米・ハーバード大学教授。歴史学。原著は06年刊行。


憎悪の世紀 上巻―なぜ20世紀は世界的殺戮の場となったのか
著者:ニーアル・ファーガソン
出版社:早川書房 価格:¥ 2,940

憎悪の世紀 下巻―なぜ20世紀は世界的殺戮の場となったのか
著者:ニーアル・ファーガソン
出版社:早川書房 価格:¥ 2,940

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Amazon.co.jpカスタマーレビュー
憎悪の世紀 上巻―なぜ20世紀は世界的殺戮の場となったのか
http://www.amazon.co.jp/product-reviews/4152088834/ref=dp_top_cm_cr_acr_txt?ie=UTF8&showViewpoints=1


30 人中、21人の方が、「このレビューが参考になった」と投票しています。
看板に偽りあり-その1, 2008/1/6
By kogonil_35
20世紀を未曾有の虐殺が蔓延した世紀として、その来歴を解きほぐそうとした 歴史家の手による世界大戦の祖述。

まずは良い点から。
原著者がイギリス出身であることからか、私たちにとってお馴染みだった史実がまったく別様に紹介されていたりなど、新たな発見はいくつかあります。
また、よく言われることながら、戦争犯罪は必ずしも枢軸国側だけにあったわけで
はないことも、豊富な事例とともに紹介されています。
ホロコーストは、決して第二次大戦中のナチスによるものだけではなく、それ以前
から潜在的にも顕在的にも頻発していることが例示され、かつまた、ナチスの侵攻
をかえって歓迎してナチスの影に隠れるようにしてユダヤ人やセルビア人を殺しま
くったポーランドやクロアチアなどの事例も示され、これまで知らなかったことを
たくさん知りえたことは(少なくとも私は)、間違いないところです。
また、冷戦が終わったころ盛んに論じられつつ、最近すっかり下火な感じの「民族
問題」を大きな柱に据えており、この点でも、昨今の世界情勢を改めて「民族問題」 の視座から見直す契機を提供しているとも言えます。
総じて、とりわけ日本の読者にとって、従来常識的に把握していた史実のあれこれに、あまり馴染みのない角度からの解釈を提示されることによって、いろいろ考えるきっか けを多く与えてくれます。

しかしながら。
率直に言えば、看板に偽りあり、というところ。
「訳者あとがき」とはうらはらに、“これほど一面的で示唆に乏しい”著述も珍しい といわないわけにはいきません。

まず、20世紀全般に言及しているわけではなく、考察対象にムラがありすぎ。
朝鮮戦争、中国の大躍進政策や文化大革命、中東の混迷、ポル・ポトのカンボジア、 南米の混乱、冷戦後のバルカン半島情勢、アフリカでのそれこそ未曾有の部族間抗争 など、第二次世界大戦以降の情勢への言及が薄すぎです。第二次世界大戦に絞るとし ても、スペイン内乱やイタリアの情勢やフランスの状況についての言及が、薄いどこ ろか、ほとんど触れるだけ。
これほど大部の著述でありながら、全般的な中欧・東欧情勢を除けば、主たるプレイ ヤーはイギリス・ドイツ・ロシアだけ。
大きなテーマを掲げたわりには、考察される範囲が広げた風呂敷にまるで見合ってい ません。



8 人中、5人の方が、「このレビューが参考になった」と投票しています。
壮大な叙事詩を思わせる大作, 2008/2/18
By Nutrocker (東京都)
作者のニーアル・ファーガソンはイギリス生まれのハーバード大学歴史学教授。
2004年にはTIME誌で「世界でもっとも影響力のある100人」のひとりに選ばれたほど
注目されている若手歴史家で、著作の邦訳は初めてだそうです。

進歩の世紀であった20世紀が、同時に人類史上もっとも殺戮と暴力に溢れた世紀
(二度の世界大戦・内戦・民族浄化など)になっていく過程を、ファーガソンは多くの資料を駆使して綿密に描き出しています。
1000ページに近い大作にも関わらず、最後まで興味深く読み進めることができたのは 当時の新聞記事や著作、知識人・政治家・兵士・民間人といった多岐にわたる人々の証言を 引用した、迫力と臨場感にあふれる叙述のせいでしょうか。
20世紀という壮大なドラマに自分も立ち会っているような読書体験でした。

とりわけユダヤ人やその他の少数民族に対する迫害について多くのページが割かれ、 両大戦を通じて彼らが被った苦しみには慄然とさせられます。
第二次世界大戦は、「英米に代表される西洋の勝利」ではなく「西洋の没落」の始まりであった、 という点が従来の歴史家と異なる彼の主張のようですが、現在の世界状況を見れば この歴史観はある意味で先見的ではないでしょうか。

大作ゆえ、一度読んだだけで作者の意図を十分に把握できたとは言いませんが、
今なお世界の各地で紛争が起き、20世紀が生み出した状況とそれらが地続きであることを考慮すると、 21世紀を生きる私たちにとって、一度は目を通す価値のある力作だと思わされました。