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戦後日本問題の核心と日本の「戦後喜劇」

2010-10-12 | clipping
Study of History|尖閣諸島衝突事件と、近代ナショナリズムの関係 投稿者:ウエダ 投稿日:2010年10月11日(月)15時19分9秒
http://8706.teacup.com/uedam/bbs/9026


 こんにちは、皆さん、植田です。

 佐藤優氏は2.26事件の青年将校のメンタリティーと同じである、と私は思うのですが、これが意味あることかどうか、まだわかりません。

 それよりも、次の認識には、私は疑問を覚えました。
 佐藤氏が、中国は今、近代ナショナリズムの途上にある、と指摘しました。
 それに対して、日本は終了した、と。

 この認識がどういう意味を持つか、といえば、今の中国と日本の関係は、あたかもポーランドがドイツに対して、アイルランドがイギリスに対してもつ関係と同じものとして扱う必要がある、という認識になります。

 評論家、あるいは学者がこういう認識を持つ分には、政治的にはあまり実効性があるわけではないですが、外務省の官僚がこういう認識をもったらどうなるか。

 それは別にして、私の疑問は2つ。
 まず、日本が「近代ナショナリズム」を終了したのか?
 もしそうなら戦後の日本国の「国家主権」の場所のあいまいさは何か?

 そして近代ナショナリズムの定義そのものに疑問があります。
 佐藤氏は、ゲーレンとアンダーソンの名前を上げて、近代ナショナリズムがいかに西洋諸国家の間で誕生したかを説明します。
 それは、敵対国を見つけることによって。
 具体的には、該当国と戦争をすることによって。
 決定的なことは、敗北したことの共通体験を持つことにより(敗北感情)、そこに「近代ナショナリズムが誕生する、と。いや、正確には、「近代国家としてのアイデンティティー」が成立する、と。

 これは別にゲーレンやアンダーソンでなくても、ヘーゲルの弁証法のプロセスでも同じです。
 人間が自分を自己認識するのは、対他関係の中でだ、と。つまり、互いに自己承認をめぐっての闘争をするプロセスを経て、誰もが自己認識を獲得していく、と。
 そのようにして、チェコという民族・国民はドイツに対してアイデンティティーを確立し、今、中国が日本に対して、近代中国人としてのアイデンティティーを確立しつつある、と。

 この説自体は間違っていません。
 しかし、では、〈近代国家としてのアイデンティティー〉という場合の、近代とは何か、です。
 もし、戦争を通して、国家としてのアイデンティティーが確立される、というのであれば、ペルシア戦争を通して、確かに古代ギリシア人たちは自分を「ヘレネスの民族」だとして一体感を形成しました。

 戦争は一体感を生む、と定義すれば、これはその通りでしょう。
 では、その一体感に「近代」という冠詞がつくと、どうなるか。
 「近代的一体感」とは何か?
 そしてそれは、古代ギリシア人の「ヘレネスの民としての一体感」と、どう違うか?

 そこで、西洋史において国家単位の局面で「近代」がいかに形成されてきたかを振り返ると、原点は、フランスとイギリスで行われた百年戦争です。それ以前は、イギリスもフランスも、貴族たちはごちゃまぜでした。つまり、国家意識はありませんでした。
 貴族たちは地元の農民よりも、ドーバー海峡を隔てたところにいる相手領土の貴族に、より親近感を持っていました。

 これが、百年戦争を通して、「私はフランス人だ」「私はイギリス人だ」という意識が形成されていきます。
 決定的なのは、ジャンヌ・ダルクの登場です。
 フランス人にとっての民族的アイデンティティーの創始者です。あるいは、近代的フランス国家のアイデンティティーがここからスタートします。
 この場合は、フランス国家が王政であっても、共和制であっても、そこが問題なのではなく、イギリス人が一つの国家を形成するように、フランス人もイギリス人の集合体とは異なる一つの国家を形成する、という国家意識の誕生ということです。

 フランス国家が王政か、共和制か、はフランス人の自由です。
 これは、現在、中国が一党独裁を選択しているのは中国人の自由であることと同じです。

 さて、そこで問題は、イギリスとフランスはまさに戦争を通して近代国家の意識を形成したわけですが、それだけで近代国家が形成されるのに十分なのか、です。
 もしそうであれば、なぜ古代ギリシア国家は、ペルシア戦争に勝利した後、「近代国家」とはならなかったのか?

 答え。
 ヘーゲルの弁証法にもありますが、闘争は、あくまでもプロセスです。
 最後は、自分自身の精神による自己認識に到達します。
 すなわち、自己意識の問題になります。
 古代ギリシア人と近代人の自己認識のあり方は、異なっています。

 さて、そうすると、ここで問われるのが、戦後日本人の自己意識です。
 この場合は、日本国家としての、戦後の日本人が各人の意識に置いてもつ自己意識です。
 これはどうなっているのか? 自分は、何をもって日本人と自己認識するのか?
 はたして戦後の日本は、佐藤氏が言うように、近代国家としてのナショナリズムの形成を終了し、「近代国家性」を確立したのか?

 私の疑問は、律令理性では、それは不可能である、ということです。
 その結果が、佐藤氏も糾弾する尖閣諸島事件の処置の拙劣さ、です。
 戦後の日本国家は、国家としてのアイデンティティーに関して、国民の間に統一的なアイデンティティーがない、と。

 これが戦後の日本問題の要点であり、核心です。

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Study of History|佐藤・鈴木の両氏が浮き彫りにした日本の「戦後喜劇」 投稿者:ウエダ 投稿日:2010年10月11日(月)23時47分26秒
http://8706.teacup.com/uedam/bbs/9027


 こんばんは、皆さん、植田です。

 佐藤・鈴木動画の一日の締めくくりです。

 朝、動画を見たら、その内容がきょう一日、頭にこびりついて、脳内でぶんぶんと旋回していました。
 そしたら、どうも両人の議論が粗いなあ、という感想が出てきました。
 どこが粗いか?

 1 1950年代の北方領土問題。
 ソビエトと北方領土の返還交渉をするために、日本外務省は「4島一括返還」を主張しました。これは、佐藤氏が説明したように、あくまでも「領土問題は存在しない」と主張するソビエト政府を交渉の席につかせるための戦術でした。
 外務省の本音は、2島返還で良い、ということでした。

 で、戦術は見事に成功。
 シュワルナゼが乗ってきて、日ソ間には領土問題があると認めました。

 そこで日本側は本音作戦に入ります。
 つまり、ソビエトと2島返還交渉の開始です。

 ここに出てきたのがジョン・フォスター・ダレス。
 ロンドンで重光外相を呼びつけ、「もし2島返還でよし、という交渉をするなら、アメリカは沖縄を日本に返さない」と。
 アメリカはあくまでも4島返還交渉をせよ、と日本政府に要求しました。
 これをもって、佐藤氏は、「ダレスは重光外相を恫喝した」と表現しました。

 確かに、恫喝のようにも見えます。
 が、はたしてそうなのか。
 一日、そのことが私の頭の中で旋回していたのですが、夕方になって、この表現はバカバカしいではないか、という結論になりました。
 ダレスは、アメリカの国家戦略として外交をしているだけ、と。
 それを恫喝と解釈するのは、日本側の幼稚さでしかない、と。

 すなわち、幕末のイギリス公使のハリー・パークスの演技をダレスもしただけのことではないか。
 東洋人は、一般に、脅せば言うことを聞く、と。

 重光外相は、ダレスが何と言おうと、自分の主張をそこですればよかっただけのこと。
 それだけではないか。

 で、重光外相が、ダレスの言いなりになるしかなく、その理由が日本国の安全保障がアメリカに依存していることにあるのなら、そのことをはっきり言え、と。
 なんなら、手を切ってもいいんだぜ、と。

 ここになって戦後日本の真実が浮上するわけです。
 手を切りたいのに、切れない。
 だから対米従属になるしかない、と。
 なぜか。
 昭和天皇が「アカ」は絶対にいやだ、と主張するから。「アカ」と戦争をするアメリカの方がいい、と。

 だから、一連の論理の連鎖を考えると、結局のところ、ダレスの恫喝を呼び込んでいるのは、日本側ではないか、ということになります。
 結論的には、佐藤氏の「ダレス恫喝」論は、問題の連鎖の思考を最後までしっかりと煮詰めていない、と。

 2 尖閣諸島事件。
 佐藤氏によれば、「アメリカ軍が沖縄に駐留していることは、抑止力となっていると説明されるが、本当にそうなら、今度の事件のようなことが起きるはずがない。だから、現在の米軍は抑止力になっていない。」ということです。

 さて、この場合の真相は何か?
 というと、領土問題では、アメリカは中国も支持しないし、日本も支持しない。中立を保つ、と国家戦略で決めている、というのが正解でした。
 これは複数のアメリカの高官が明言しました。

 だから、中国政府は、安心して不法操業をすることができたというわけです。
 憲法9条国家の日本に何が出来る! とばかりに。

 佐藤氏が、ここでも、「日本は中国になめられている」と強調しましたが、当たり前のことです。
 他人に守ってもらっていて、しかも自分では自国を防衛する意志は、なし。
 これでは、どうぞなめてください、と中国を誘惑しているようなものです。
 で、中国は、その通り、経済大国になり、軍事大国になりつつある今、誘惑されました。

 3 その尖閣諸島問題ですが、1978年の小平・大平会談での暗黙の合意を、今回、民主党が破った、と佐藤・鈴木両氏が指摘しました。
 小平は、二国間の間で、尖閣諸島には領土問題はないかのようにつきあおう、と提案。
 これが今日まで日中の尖閣諸島に対する暗黙の合意だった。
 だから、小泉政権時代に不法操業があったとき、中国人をいったんは逮捕したものの、すぐに強制帰国させた。つまり、両国には何も問題はないことにした、と。
 これぞ、大人の外交である。
 ところが、今回は、民主党が幼稚な外交を展開してしまった。

 と佐藤氏が主張しました。
 が、はたしてそうなのか。

 いや、私は、小平時代の戦略と決別を告げたのが今回の事件だった、と見ます。
 だから、小平・大平会談での「尖閣諸島・棚上げ」戦略という日中間の「大人の態度」は、今回の中国の不法操業によって放棄されたと見るべきだ、と私は思います。

 以上、3点、佐藤・鈴木動画を見て浮かんできた両氏の議論の「粗さ」でした。

 そもそも安保体制の中で、日本国の強さを主張せよ、などという議論は、ダンテの「人間喜劇」ならぬ、日本の「戦後喜劇」です。
 だから、中国になめられるな、と主張できる佐藤氏の心理が私には理解できません。
 自分でなめられるような状況を設定しておいて、なめられるな、もないだろう、と。

 そう主張するのであれば、集団的自衛権の行使を外務省は認めよ。
 そして国会は憲法9条を改正せよ。
 こちらをするほうが先だろう。
 これをしないで、何が「なめられるな」だ。

 といいたくなるわけですが、外務省にあこがれて入った人には、戦後の日本が置かれている大局など、見えないのだなあ、と私は思います。
 その場、その場の状況のなかでの、強さだの、恫喝だの、と。

 いや、佐藤氏が実に熱心で、真面目な人であることが動画を見るとよくわかるだけに、かえって、「戦後喜劇」となります。

 で、佐藤氏に批判されている外務省の現職の官僚たちは、何なのか。
 まあ、機密費で、競馬をやる人たち、と。
 アメリカが日本の外交権を実質的に握っているのだから、外交官なんて、やってられないよ、と。
 だからワインを退蔵しようぜ、と。これぞ、日本人外交官が享受できる外交特権である。

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Study of History|現代日本の外交を担う人々の生態 投稿者:ウエダ 投稿日:2010年10月12日(火)08時23分43秒
http://8706.teacup.com/uedam/bbs/9028


おはようございます、皆さん、植田です。

 鈴木・佐藤シンポの話題の続きです。
 今度は、人物篇。

 外務省を退職して、現在評論家として活躍中の孫崎氏。
 佐藤氏によると、国際情報局長時代のこと、機密情報を、まだ解除されていないのに、勝手に外部にもらした。橋本龍太郎氏に。
 時は、小渕政権時代。橋本氏はもう首相ではない。なんで孫崎氏は、機密が解除されていない情報を、もう首相ではない橋本氏に提供したのか。「議員に覚えをよくしてもらうため」。これが孫崎氏の官僚としての行動形態だった、と。

 で、孫崎氏、衝突事件でメディアに解説者として呼ばれていました。
 孫崎氏の意見は、「民主党は、小平・大平会談にある〈大人の態度〉を採るべきだった。」というものでした。
 これは何か、と言えば、中国政府の海軍発展計画がここにきてステップアップしてきたことを認識していない、と。

 で、孫崎氏の言う「日米安保の正体」。
 2000年代に日米安保は変質した、というもの。宮台真司氏が絶賛する孫崎情報ですが、米軍は、沖縄軍を日本の安全保障のためではなく、そこからイスラム圏へ出撃するために使っている、という指摘。だから、日米安保は変質した、と。

 確かにそうでしょう。
 モノゴトは、いかなる視点からでも、論を立てることが出来ます。
 しかし、技術が日々、進歩している時代に、そのような区別に意味があるか、私には疑わしいです。
 1950年代の軍事技術と2000年代の技術を比較せよ。
 日米安保当時には、沖縄を中心に半径500キロmの行動範囲だった軍事展開能力が、2000年代には5000キロになったとします。アメリカ軍の行動半径は半径にして10倍の拡大です。
 その行動範囲の中には自然とイスラム圏が入ってしまう、となったとしましょう。
 その時、日米安保は変質した、ということになるか?

 孫崎氏の問題は、むしろ、NHKテレビに出演した時、桜井よし子さんに指摘されていたことが正論だ、と私は思います。
 「孫崎さん、あなたは外交官として、また防衛大学教授として、なぜ憲法9条の改正が必要だと説かなかったのですか。それこそ、やるべきことだったのではないのですか。」

 その通り。
 私は、佐藤氏の体験談により、外務省時代の孫崎氏の様子をはじめて知ったのですが、「いいですか、外務省の国際情報局長たるものが、機密解除になっていない情報を、もう首相でもない橋本氏に漏らしていたということ。これはなんですか。絶対にあってはならないことです。」
 というわけで、孫崎氏の言論はどこまで信頼性があるのか?
 目下、メディアで活躍中です。

 もう一人。
 前原誠司外相。

 前原氏がまだ国交大臣時代に尖閣諸島での衝突事故が発生。
 で、前原氏は、現地に赴き、海保の隊員たちを激励。
 ここまでは担当大臣が部下を激励するという、前原氏の上司としての模範的態度です。

 で、菅直人氏が代表選に勝つと、外相に就任。
 この時、船長が釈放される。
 前原外相は、これを容認。

 佐藤氏が言います、
 「いいですか。国交大臣としては海保を激励したのに、外相になると、簡単に船長を釈放してしまう。これはなんですか?」

 答え。
 だから、前原氏は、2006年の第164回通常国会での「永田メール」事件なのですよ。
 深く考えもせずに、どんどん問題を処理していく、と。
 この人は、この「軽さ」によって同年齢層の支持を受けているのでしょう。「あいつはものわかりがいいやつだ」と。

 菅直人首相と並んで、前原外相、そのうちに大活躍する事件が起きると私は予想します。その前に外相を辞めておくのが、本人のためだと思います。首相を目指しているのなら。

 しかし、以上のように、現在の日本国の外交を担当している人たちの生態をあれこれ論じても、しょせん、戦後の日本は対米従属国です。だから、誰が、どの役割をやっても、同じではないか、となるでしょう。
 こういう時は、時の権力に取り入る能力のある人の勝ち、と。
 対外的には、アメリカに覚えがいい日本人が、権力者となる、と。

 したがって、戦後日本国の基本的な問題は何か、という、人物論の範疇を越えた一般的な体制論が必要です。
 つまり、何が戦後の日本を対米従属国家たらしめているのか?

 答え。
 安保条約を吉田茂に指示した昭和天皇。
 この人が、対米従属で良し、としたことで、戦後の日本の形が決定。
 そしてアメリカ側は、冷戦を遂行するのに、昭和天皇の姿勢は大歓迎だった、と。
 日米合作で、戦後日本の対米従属構造が完成。

 そこで問題です。
 冷戦が終わったら、どうなるのか。
 そして、冷戦が終了した時、国内では昭和天皇が死にました。
 だから、国際政治的に見れば、ベルリンの壁の崩壊と、昭和天皇の死は、まったく同等の政治的事件です。
 日本は、冷戦と天皇の縛りから解放された、と。

 ところが、以後も日本人は、まったくこういう画期的な出来事など、なかったかのようにこの20年を過しています。
 だから、経済問題だけではなく、政治問題でも「失われた20年」問題が、歴然として存在します。

 私が思うには、これが現在の「対米従属」の根幹です。
 冷戦時代と以後では、日本側の選択の自由度が極度に変わったというのに、何もなかったかのように生きている日本人、と。
 この点では、脳死しているのは菅政権だけではなかったわけです。

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Study of History|ソ連の代わりに北朝鮮が準備された 投稿者:新井信介 投稿日:2010年10月12日(火)11時41分55秒
http://8706.teacup.com/uedam/bbs/9029
 
・・・ソ連がなくなったら、早速、北朝鮮との国交交渉に動いたのが、金丸信と田辺誠。
  両方とも奥さんが、北朝鮮系の方でした。
  アメリカがこの両者をつぶしに掛かりました。
  90年代、それまで、出てこなかった拉致問題が政治問題化しました。
  なぜ、それまで出てこなく、これ以後、出てきたのか?

  そして、2010年の今年、金正恩への権力継承が発表されました。
  同じ「対米従属」でも、新しい意味と戦略的位置づけを探らないといけません。

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Study of History|20世紀という世界史の時代はアメリカ合衆国の軍事力がつくった 投稿者:ウエダ 投稿日:2010年10月13日(水)08時38分45秒


・・・さて、昨日は新井氏が北朝鮮要因の話題を書いてくれました。
 冷戦が終わったあとは、ソビエトに代わって北が出てきたが、そうしたのはアメリカである、という問題です。

 晩になって、新井氏のこの指摘は、このホームページを立ち上げてからしばらく続けていた話題を思い出させてくれました。「ボーンズ」問題です。
 律令理性論に集中するようになってから、あえて封印した問題でした。
 2004年の夏に会員制度を始めてから2008年8月までの書き込みを今、封印していますが、ここを開けると、その話題が出てきます。

 で、ざっと振り返ってみると、そもそも20世紀の初め、ロシア革命を起こしたのは誰か、という問題があります。
 そしてヒットラーを作ったのは誰か。
 冷戦終了後に北朝鮮問題が浮上したことも、この一連の「アメリカ要因」問題の流れの一環として見ることが出来る、ということになるでしょう。

 で、佐藤優氏によると、ゲルナー、アンダーソンなどのナショナリズム論を援用して、近代ナショナリズムは敵対国を設定することで形成される、ということです。近代主権国家の形成です。
 ポーランドはロシアに対して、チェコはドイツに対して、中国は日本に対して、などなど。

 佐藤氏が説明する「敵対関係が国家を形成する」説は、スカル・アンド・ボーンズになると、別の形に変容します。
 該当地域にあえて敵対関係を作りだし、その状況を自分の都合のいいように利用する、と。これがアメリカ帝国主義の外交戦略を通したヘーゲル哲学の解釈である、と。ボーンズの存在を最初に公表したアンソニー・サットンの説です。

 この見方を今回の尖閣諸島事件に応用すれば、事件を起こした首謀者はアメリカである、となります。
 アメリカは極東地域の支配権を自分の手にキープするために、大国化した中国をあえて挑発して日本と敵対関係に入らせ、ここに日中間で牽制しあう状況を現出させる、と。
 これは、1950年代にダレスが北方領土で行った外交とまったく同じ。
 4島一括返還を要求せよ、とダレスが日本側に恫喝した(佐藤氏の表現)ことの真意は、最初から無理なことを要求することで、日ソ間に永久的に敵対関係を設定する、と。

 今回の日中・尖閣クラッシュが以上のようなシナリオで発生したのであれば、日本政府の対応としては、あくまでも中国とは友好関係をキープせよ、ということになるでしょう。アメリカのシナリオには乗るな。
 だから、逮捕すべきではなかった、と。見逃せ。

 一方、中国には主権国家としての独立意志があるとしたら、どうか。
 ここがアメリカのヘーゲル外交戦略手法がいつも起こす問題です。
 フランケンシュタインを作ったのはいいものの、人造人間は怪物になってしまう、と。
 そのようにしてロシア革命は、スターリンという怪物を生み出し、ドイツ兵の伍長は、ドイツ総統になってしまった、と。

 今、ジョンウン氏は、そのうちに怪物化するか、という外交問題が出てきました。
 それとも、アメリカはどこまでも北朝鮮を管理できるのか。
 北朝鮮の軍事化は、この程度までは容認できる、という許容ラインをどこに設定しているのか。核兵器の5発までか。

 で、以上は、アメリカの帝国主義国家としての外交手法です。
 該当地域にあえて敵対関係を生みだし、その状況を自分の都合のいいように利用する、と。
 ヘーゲル弁証法の解釈としては、哲学的にはとんでもない解釈ですが、そこが武力をもつ国家の強みです。解釈の正誤は、軍事力によって判定される、と。残念ながら、木田氏の勤勉な勉強会ではない、と。
 というわけで、20世紀の国際社会の「現実」を作ったのは、アメリカ合衆国という現代のローマ帝国だった、となります。

 さて、このアメリカ帝国の属国として戦後をずっと生きてきたのが日本です。
 自立したことは一度もないのですから、その発想がチマチマしたものになるのは当然でしょう。

 しかし、それが私たち戦後日本人の現実ですから、いやでもこの現実と付き合うしかありません。