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日本人は「自由」というものを知らない

2009-08-08 | clipping
Study of History|「自衛隊という軍隊は、アメリカの植民軍である」 by 酒井直樹 投稿者:ウエダ 投稿日:2009年 8月 6日(木)11時33分45秒
http://8706.teacup.com/uedam/bbs


こんにちは、皆さん、植田です。 

現在の日本人のすべてが直面している問題は、大別して2つです。
 国外問題としての対米従属と、国内問題の官僚主導です。

 このうち、前者の対米従属の話題です。
 酒井直樹氏が「対米従属」のことをもっと強烈に「植民地」と呼んでいます。
 その具体例が、自衛隊です。

 「現在進行している合衆国によるイラクの占領について今も議論されているように、当初〈独立〉は合衆国の撤収を前提にして発案されていた。にもかかわらず現在に至るまで、日本の領土内には合衆国の軍事基地が存続しているだけはなく、日本政府が経営し日本国民の兵士からなる自衛隊と呼ばれる軍隊は基本的に合衆国の司令体系に繰りこまれていて、実質的には、どう考えてみても植民軍である。それだけではない。軍事再編をへて、日本兵からなる自衛隊と称される軍隊は、合衆国の軍隊に〈縫い目なく〉統合されることになるのである。」『希望と憲法』以文社p.19

以上は酒井氏の2008年の発言です。
 オバマ政権になった今年のアメリカは、すでにアメリカ軍のイラク撤収を始めました。
 状況は動いています。

 しかし、戦後の日本の自衛隊と呼ばれる軍事勢力が置かれている状況は変わっていません。
 それを酒井氏は「植民軍」と呼びます。
 このことをしっかりと念頭に置いてみてください。5分だけで十分です。そのあと、すぐに忘れましょう。精神衛生に悪いですから。

 で、その5分の間に、今度は次の新聞記事を対比してみます。

 「戦後の経済発展を支えた〈軽武装路線〉の根幹である日米同盟を守ってきた自負からか〈機密を報告するかどうかは政治との信頼関係〉と言い切る幹部もいる。」日経新聞2009.8.5

ここに出てくる幹部とは、外務省の幹部です。
 さて、酒井氏の「植民軍」説と、この新聞記事を並べると、どうなるか。
 日本外務省の幹部は、植民軍が宗主国に忠実であったことを自負している、ということになります。

 というわけで、これが2009年の日本の対米従属の現実です。
 要するに、日本人は対米従属に自負を感じているということです。

 私などは、頭がおかしくなりそうです。
 どこかへんではないか。

 で、日本人の中の選良とも言うべき外務省のトップクラスがそのように発想し、なおかつそれを自負するという事態を私たちはどう考えたらいいのか、という疑問が出てきます。
 日本の選良たちは、どこかで大きな誤解してしまっているのではないか。
 自国の自衛隊が、いかに軍隊もどきの存在であれ、植民軍であることに自負を持つという発想はなにか?

 要するに、これが、アメリカ占領軍による日本人の心理改造だったのである、と考えるしかありません。
 で、そうすると、ポイントは、どこをどうすれば日本人の選良たちの心理をそのように「転倒」した発想で良し、と仕向けることができるのか、です。
 アメリカ軍は、日本人の心理のどこを操作したのでしょうか。

 ま、ここが「国体の護持」であるわけです。
 日本人が不比等戦略に忠実であることが、そっくりそのままアメリカ軍による日本改造計画に利用されてしまいました。

 2009年の日本人もこの構図のなかにどっぷりと浸っています。
 その中での政権交代選挙です。

 民主党政権は、この構図を変えるか。
 私の予想では、まったく期待できません。
 外交問題は、政権交代があろうとなかろうと、当分、変わりません。
 ここは、まだまだ分析することだけが私たちにできること、というのが現段階です。

 しかし、もっとアメリカの植民軍としての精度を高めよう、というのが日本国の安全保障問題と言うのですから、この国は本当にどうなってしまったのか。

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『ここで天皇陛下が、朕とともに死んでくれとおっしゃったら、みんな死ぬわね』
投稿者:ウエダ 投稿日:2009年 8月 6日(木)16時27分7秒


こんにちは、皆さん、植田です。

 高見順という作家がいました。
 文学に一生を捧げた人です。
 1907年に生まれ、1965年に死んだ人です。

 この人が残したものに、「敗戦日記」があります。
 これを初めて読んだところ、1945年8月15日にこうあります。

 「警報。情報を聞こうとすると、ラジオが、正午重大発表があるという。天皇陛下御自ら御放送をなさるという。かかることは初めてだ。かってなかったことだ。
 『何事だろう』明日、戦争終結について発表があると言ったが、天皇陛下がそのことで親しく国民にお言葉を賜るのだろうか。
 それとも、-あるいはその逆か。敵機来襲が変だった。休戦ならもう来ないだろうに・・。
 『ここで天皇陛下が、朕とともに死んでくれとおっしゃったら、みんな死ぬわね』
 と妻が言った。私もその気持ちだった。
 ドタン場になってお言葉を賜るくらいなら、どうしてもっと前にお言葉を下さらなかったのだろう。そうも思った。」『敗戦日記』文春文庫p.249

 なるほど。
 これが日本人の戦争だったのか、と私は思いました。
 天皇が「死んでくれ」と言えば死ぬ、と。

 これなら、アメリカ軍の「天皇利用」作戦が成功するはずです。
 ただ皇室を残せばいいだけのことでした。
 それで日本人はアメリカの言いなりになる、と。

 日本人は「自由」というものを知らないのだと思います。
 人々が自由を知らないところに成り立っているのが、律令システムでした。
 だから、戦後の対米従属も、官僚従属も、なんとも感じないわけです。

 考えてみれば、ヘーゲルの言う「即自精神」は、自由のない精神でした。
 自分を対象化しないために、かえって自分以外の対象に従属してしまう精神です。
 これを日本的に表現したのが、律令理性です。

 高見順の1945年の日記を見ていたら、昔そうだったような「絶望」に襲われました。
 出口なし、という気分です。

 これはアメリカに負けたから起きたもの、というより、日本人自身の精神構造の問題なのだと思います。
 日本人の「従属を従属と感じない精神」。
 アメリカの占領統治がなぜかくもうまくいったか、納得できる説明です。
 そして、今も。

いや、これがさきほどの外務省幹部の精神構造の秘密なのだろうと思います。
 自衛隊が植民軍であることを自負できる精神、です。

 そういえば、きょうは、広島に原爆が投下された日でした。
 ペリー・ショックではなく、アトミック・ショックが戦後の日本人を不能にしたのか。