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若泉敬の自裁とfool's paradise(2)

2010-08-17 | clipping
  普天間の悲劇

谷内 激しい地上戦によって獲得し、支配下に置いた沖縄を、ベトナム戦争のあの激しいさなかに返還するなどということは、米国でなければありえなかったのではないでしょうか。
手嶋 そう思います。北方領土を巡る対ロ交渉と比べれば明らかです。
 日米同盟では、アメリカは極東や日本の安全を保障する条約上の義務を負う一方で、日本は基地を米国軍に提供することで、バランスが保たれています。民主党政権は、この非対称な同盟の本質について洞察を欠いていた。それゆえに普天間基地の移転問題で躓き、鳩山首相は辞任に追い込まれた。
 鳩山首相はかつて「常時駐留なき安保」論などを主張していたのですが、政権の座にいざ就いてみると、外交の選択肢は誠に限られたものでした。にもかかわらず、普天間の移転で、あたかも国外や県外の選択肢があるかのような幻想を抱き、いたずらに時間を浪費していきました。
「最低でも県外」という発言はまさにその典型でした。野党だから分からなかった、と彼らは釈明するのですが、それでは政権交代などできなくなってしまう。何とも論評のしようがありません。
谷内 鳩山首相は、自民党時代に作成された現行案に戻る際の説明として、「学べば学ぶほど抑止力(が必要と)の思いに至った」と述べた。しかし、抑止力という観点から必然的に現行案に行き着くとは言えないはずです。さらに言えば、抑止力について学んだということと、核密約をともかく公表するということとは矛盾しないのかと問いたい。
 これからお話しする若泉さんにとって、安全保障は生涯をかけたテーマでありました。安全保障と言うものは、究極の国家のレゾンデートル(存在意義)です。その最も重要なことについて深く理解している人に国家の指導者になっていただきたい。こんないい加減であいまいな姿勢で、この問題に取り組まれたことは、日本国民にとって極めて不幸なことだと思います。
手嶋 政治指導者は安保について細かな知識など要りません。求められているのは優れた洞察力です。鳩山政権に欠けていたまさしくそれでした。
 戦後永く米国の核の傘に身をひっそりと寄せてきたため、自立した国家としての覚悟、洞察力が摩滅し、今日のような事態を引き起こしてしまった。そうした日本の惨状が、若泉敬さんという至誠のひとを深く絶望させてしまったのだと思います。

  若泉敬はなぜ自裁したのか

手嶋 若泉敬さんは、九四年、『他策ナカリシヲ信ゼムト欲ス』を著し、沖縄返還の密約のすべてを明らかにした。九六年に英語版を仕上げて、毒杯を呷って自裁しました。このほど新装版の上梓にあたって、私は「あとがき」の執筆を依頼され、関係者にも諮って初めて自裁の事実を記しました。若泉さんの素顔を読者にご紹介ください。
谷内 私が最初に若泉さんに出会ったのは東大の学生時代です。若泉さんのもとで、アルバイトをしたこともありました。六九年に外務省に入省した際には、若泉さんのご自宅に居候させてもらってもいます。
 そのころ、「国事に奔走している」ということでお忙しくしていらっしゃいましたが、その時期にまさに、いま議論している密約の交渉をしていらしたことになります。それは、まったく知りませんでした。
 私は若泉さんを人間的にも、国際政治の理解においても大変に尊敬しているのですが、この本で密約について公表するべきだったのかどうか、また、自裁されたことについては様々な疑問を抱いています。
手嶋 この本の刊行後、若泉さんが沖縄県知事へ出した歎願状に「拙著の公刊によって沖縄県民の皆様に新たな御不安、御心痛、御憤怒を惹き起した事実を切々自覚しつつ、一九六九年日米首脳会談以来、歴史に対して負っている私の重い『結果責任』を執り、武士道の精神に則って、国立沖縄戦没者墓苑において自裁します」とあります。
谷内 沖縄の皆さんには、大変な犠牲を強いてきた。そのうえ、さらなる犠牲を強いてしまった。申し訳ない、ということだったのか。安全保障上に密約を作ったことに対して申し訳ないと思ったのか。何に対して責任を負おうとしたのか。判然としないのです。
 若泉さんは外務省の方ではないので、六〇年安保改定時に既に結んでいた密約についてご存知なかったのかもしれません。だから、自責の念を深めていかれたのでしょうか。
手嶋 その可能性は高いですね。
谷内 若泉さんは、ヨシダというコードネームでキッシンジャーと切り結んだわけですが、とはいっても交渉は常に総理なり外務大臣と話し合いながら進めている。そのうえ、サインをしたのは佐藤首相ですから、最終的な結果責任であれば佐藤首相が負うべきです。交渉の実現に向けて動かれた若泉さんが自裁するほどに責任を感じなくてもいいような気がするのです。
手嶋 密約を公表しようと筆を執ったときと、書き終えた後の心象風景はかなり違っていたはずです。書き進むうちに絶望の思いが深くなっていったのでしょう。
この大著のあとがきに「敗戦後半世紀間の日本は『戦後復興』の名の下にひたすら物質金銭万能主義に走り、その結果、変わることなき鎖国心理の中でいわば〝愚者の楽園〟と化し、精神的、道義的、文化的に〝根無し草〟に堕してしまったのではないだろうか」とあります。
至誠のひとが苛烈な状況のもとで交渉に臨み、沖縄返還を勝ち取った。それによって、日米同盟を、そして日本の安全保障を確たるものにしたいと切に願ったのでした。
 しかし、沖縄返還後の日本の現状は、〝愚者の楽園〟と呼ばなければならない惨状を呈しつつある。眼前の日本のありさまに絶望していった。「結果責任」というよりは、深い絶望が彼を自裁に誘っていったように思います。
谷内 若泉さんは、本を刊行することで社会に大きな衝撃が走り、国会から呼ばれ、マスコミも大きく取り上げ、厳しく糾弾されることを想定していたようです。そうなったら、自分はすべてを隠さず、歴史の証言台に立つんだという覚悟で書かれたようです。
 ところが、時の首相は「そのような事実はない」と密約を否定した。外務省も認めない。ほとんど反応がないわけです。この国はいったいどうなっていくのかと不安を深めたのではないかと考えられます。私も自裁は、結果責任を負ったというより、絶望に裏付けられたものではないかと思います。
若泉さんはこの本の英語版を二年後に出されているのですが、この序文からはさらに深刻度を深めている様子が窺える。国家の安全保障のために、文字通り命がけで仕事をされた方です。自分の人生を燃焼し尽くしてこの問題に取り組んだ。そうした自分の姿勢が若い人たちに何かを点火するのではないか、と期待していらしたのではないでしょうか。若泉さんが、ignite(火をつける)という言葉をよく使っていたことが思い起こされます。しかし、火がついたかどうか分からないまま、自裁されてしまう。
手嶋 若泉さんの絶望は、同盟の本質に関わっていました。その意味で鬱々たる感情として片づけるわけにはいきません。
安全保障を超大国との同盟に委ねた国家は、国際社会の秩序の創造に関わる志をいつしか喪失し、やがて衰退してしまう―。こう考えたのはフランスのドゴールでした。それゆえ、北大西洋条約機構(NATO)の軍事部門から離脱し、独自の核兵器保有を目指したのでした。
一方の日本は、後に「吉田ドクトリン」の名で呼ばれるように、軽武装、経済重視の路線をひた走り、安全保障を日米同盟に委ねることになった。かくして世界第二位の経済大国となっていった。武器を輸出することなく、経済大国となったことは誤りではなかったはずです。
一方で国際政治の大きな舵取りを超大国アメリカに委ねてしまったことで、自ら主体的に国際秩序の形成に関わる意思を磨滅させていった。これこそ、同盟につきまとう、まさしく影だったのです。若泉さんが人並みすぐれて鋭敏だったのは、同盟に密かに兆す影を自覚するその感性でした。
谷内 戦後、この国の政治家が安全保障の問題に命がけで取り組んでこなかったことは最大の問題です。憲法9条の解釈を内閣法制局に任せ、政治はあいまいなままでごまかしてきたことの責任なども極めて重い。そして、安全保障面では米国におんぶに抱っこという状態が続いた。
ビスマルクは、同盟とは騎士と馬の関係だと表現しているそうです。日米同盟でいえば、日本は馬だと思いますが、馬がいつも騎士の言うことを聞いているかといえばそうではない。馬と騎士が一体となってはじめて力を発揮するのですから、騎士は馬の意向もきかなくてはならない。現在の米国とイスラエルの同盟関係を見れば、イスラエルがどれほど大きな力を発揮しているかは一目瞭然です。マイナーパワーだからといって、常にメジャーの言いなりになるわけではありません。そこはしたたかな戦略的外交が成立する余地があると、私は思う。
若泉さんが願ったように、安全保障、防衛体制については日本もきちんと整備するべきです。国民を自国の力で守るのだという気概は必要不可欠です。その上で、どうしても足らない部分を米国に依存するという姿勢が必要なのではないでしょうか。
手嶋 若泉さんは同盟の運営にまつわる機密を曝け出してまで伝えたかったのはまさにその一点だったのでしょう。海外に在勤していた私は、若泉さんから長文の手紙を幾度もいただきましたが、愚者の楽園に安住する日本の人々をなんとか覚醒させたいという思いが綴られていました。
 確かにいまの日本もさして状況は変わっていない。しかし、この本に書かれた若泉さんの遺志は、広い意味で必ず受け継がれていくと信じています。

  誤った政治主導と新たな時代の日米同盟

手嶋 政治主導の問題を考える際に、内閣法制局のあり方は重要です。日本の政治は憲法解釈を事実上内閣法制局に委ねてきました。しかし、内閣法制局の役割は、法的には内閣総理大臣に助言するにすぎない立場です。内閣法制局に憲法の解釈権があるわけではない。民主党政権の〝政治主導〟には多くの問題がありますが、内閣法制局長官に国会答弁を委ねないのは実に正しい判断だと思います。さて、一方の国際法については、外務省条約局が解釈権を有していると言っていいですね。
谷内 外務省設置法に「条約その他の国際約束及び確立された国際法規の解釈及び実施に関すること」をつかさどるとあり、その他の設置法に類する記述がないことから、伝統的に解釈権は外務省にあることになっています。
手嶋 しかし、政治主導というなら、この強大な権限を官僚組織に委ねておくのはおかしい―民主党政治の論理ではそうなるはずです。岡田外相は「条約当局に条約の解釈権はない。政務三役こそが条約の有権解釈権を担う」と堅牢な外務省の権益に踏み入るべきです。密約の解釈も含めて条約官僚が依然として権限を握っているのは大いに問題があります。
谷内 〝政治主導〟を成功させるためには、官のプロフェッショナリズムと政治家のある種のアマチュアリズムがうまく組み合わさる必要があります。国家運営には官僚の仕事だけではだめで、国際社会の動きを展望しながら、大局的な判断で動かす政治家の判断が必要です。官僚は、国会答弁の積み重ねの上で仕事をしていますから、これを変えようとする場合には政治主導しかありえません。
手嶋 元条約局長の指摘だけに重要です。極めて複雑な国際法の解釈を政治家だけでやるのは不可能でしょう。プロフェッショナルの意見を参考にしながら政治判断をする。それが政治家の責務ですが、現実は相当にお寒いものがあります。政治主導の道遥かです。
谷内 ところで、民主党は、日米同盟の「深化」を主張しますが、これは何を意味するのか気がかりです。
対等な日米関係をさらに進めるということなら、気をつける必要がある。対等という意味は、民主党からすると米国に言いたいことを言い、同盟の負担を減らすとことかもしれませんが、米国側はもっと負担をしてほしいと考えている。双方の認識には、大きな隔たりがある。
手嶋 冷戦終結によって共通の敵を失ったのですから、日米同盟には求心力より、遠心力が働くのは当然です。それに加えて、誤った政治主導によって、いま、日米同盟の基盤が大きく揺らいでいます。
ただ、これは、永く政権党だった自民党の責任も相当に重いと言わざるをえない。冷戦終結から十数年、新たな東アジアの安全保障のあり方を誰も提示しようとしませんでした。想定を超える事態に備えておく―そんな洞察力をもって東アジアの近未来に分け入っていくリーダーを欠いてきました。
明確な敵なき時代の同盟のあり方を構想すべきでしょう。敵を旧ソ連から中国に置き換える安易な発想では、確かな解は得られません。
谷内 普天間についてのみいえば、ここまで泥沼化してしまったのですから、かつて橋本龍太郎首相がそうしたように、何度でも政府首脳が沖縄に足を運び、地元の得心ゆく答えを見つけるしかないでしょう。
手嶋 同時に沖縄の負担軽減のため、すべての日本人が同盟のコストを担う姿勢を沖縄の方々に身を以て示さなければと考えます。