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オディロン・ルドン ー夢の起源ー展

2013-05-26 22:00:15 | 一期一絵
日差しが強く真夏のような暑さの5月24日、新宿の損保ジャパン東郷青児美術館にて開催されている「オディロン・ルドン -夢の起源ー」展を見に行きました。



ルドンの展覧会は昨年も三菱一号館美術館で「ルドンとその周辺ー夢見る世紀末」展が開催されていて、岐阜県美術館のコレクションを東京で紹介するという内容でした。
他の同時代の画家の作品も展示されていて、時代が幻想的なものを好む傾向であったのだとわかりました。作品は特に白黒の時代のものに心惹かれました。色彩作品が少なめだったので余計白黒作品の印象が強かったのだとも思います。

今回も岐阜県美術館のコレクションが中心なので去年と同じ作品が多く、さらにフランスのボルドー美術館の作品も展示されていて、その中に個人的に一番好きな作品があり、是非とも直接見てみたいと思って行きました。
会場は人はまばらでゆっくりと見て回ることができました。
展覧会は3部形式になっています。

第1部はルドンの絵の世界が出来上がるまでの経緯が展示されました。
まずルドンの師匠の作品。絵のてほどきをしたスタニスラス・ゴラン。細胞や胞子の絵が後のルドンの幻想画を想起させる植物学者アルマン・クラヴォーの標本画。骸骨が多く登場し死を意識した題材の幻想的な銅版画を作るロドルフ・ブレスダン。
そしてルドンの作品が現れます。最初はブレスダンの影響を強く受けた銅版画でした。銅版画は小さくて細かくて、ちょっと見るのに苦労しました(汗)
それから、、樹木のデッサン、油彩による風景画。物語の1場面を表したような素描や油絵。
樹木の絵は幻想的な雰囲気がすでに立ち込めてます。そして風景画は美しい色あい、特に空の青。

第2部は「黒」の世界の絵でした。
大概は石版画(リトグラフ)による画集のなかの作品の展示で、1つの画集だけ銅版画、ときどき素描が展示されてました。
黒の世界の作品には、生首や大きな目の玉、発芽したばかりの植物、異形の生き物、ちょっとバランスが不思議な人間を組み合わせて、それが不気味であった哀しげだったりりユーモラスだったりする絵を作っていました。絵には長いタイトルがついているものが多かったです。画集にはそれぞれテーマと物語があってその挿絵のように見えました。
石版画集のなかの作品ではないけど、去年とても心惹かれて、今回再会できて嬉しかったのがこの絵

「沼の花」(1880年)パンフレットから撮影、素描
暗い沼地に咲いた顔の花。沼はよどんでいそうです。
周りに小さく飛んでいるのは鳥?小さな虫?もし鳥なら顔の花は巨大です。
その表情は沈んでいて悲しみを押し殺して無表情になっているように見えます。
去年はこの花の絵からしばらく離れられませんでした。
そんな悲しげな絵を描いたこの年ルドンは40歳にて結婚してます。

こんなお茶目な作品もあります

ポスターにもなった「蜘蛛」(1887年)木炭画をもとにした石版画
これ、ようく見ると10本足なので厳密に言うと蜘蛛みたいな生き物という感じです。
にまっといたずらっぽく笑っているお顔がユーモラスでかわいい♪
友人はこの蜘蛛っぽい子を「真っ黒クロスケ」と呼んでましたが、ぴったり(^_^)v
私はThe Whoの歌から“Boris The Spider”と呼んでます(^.^)
この絵は長男を生まれて数カ月で亡くした翌年に描かれているので、かわいい蜘蛛の表情には幼子の面影もあったのでしょうか。そう思うとしんみりしてきます。

2年後二男が生まれ、、11年後には幻想の源であった実家が売却されたそうです。

第3部は色彩画家としての作品が展示されてました。
初期の頃の風景画でも色合いが美しかったですが、これまでの白黒の世界から解き放たれたような鮮やかで美しい色彩の饗宴がとても心地よく、うっとりします。
ルドンのイマジネーションは年齢を重ねても枯渇せずますます豊かになっていくのが凄いです。
わたしが今回一番見たかったのがこの作品。

「アポロンの戦車」(1909年)69歳にしてこの瑞々しさ。
空の色に使われる青、ターコイズブルーかな?、が美しい。私はちょうど1玉だけトルコ石が入ったブレスレットを着けていたのでそのトルコ石と画面を重ねて見ました。同じ色で嬉しい♪。それからオレンジと茶色の相の子のような色、壁にある作品の説明書きにはレッドオーカー、と組み合わされてお互いが引き立って光輝くように鮮やかです。この絵はフランスのボルドー美術館から出品されています。
ずっと昔、この絵を見た記憶があります。まだ10代だったと思います。この絵を見て、ルドンという画家を知り、なんて美しい絵を描く人なんだろうと感激したのを覚えています。だから後で知った白黒の世界の絵は最初はとまどいました。不気味だしちょっとグロテスクだし・・・。わたしにとっては色彩画家だったので。でも、2年前にルドンの版画集「ヨハネ黙示録」を見て白黒の世界の幻想的な美しさと豊かさに心がはずみました。今はどちらも惹かれます。

ルドンは花瓶にさした花の絵でも有名ですが、私はやはり神話や物語を題材にした絵が好きです。とくにペガサスのシリーズ。黒の時代も色彩の時代もこの人の絵のなかに物語を感じるのが楽しい。

時代は戦争の影が覆い、1914年一人息子アリは第1次世界大戦に招集されます。
息子を案じたままルドンは2年後息を引きとります
最期にイーゼルに描きかけで残っていたのがこの作品だそうです。

聖母(1916年)パンフレットから撮影、こちらもボルドー美術館より出典
壁の説明にレッドオーカーのみで描いていると書いてました。
自分の命も長くはないと感じながら、聖母の祈る姿は息子への想いでいっぱいに感じました。どうか無事でありますように。そういえば聖母マリア様は息子に先立たれる悲しみを経験しているのですね。

絵の中だからこそ再現できる世界を自由に作るルドンに憧れます。それには表現できる技術が必要だし、なにより豊かな想像力イマジネーションがないと形にすることもできない。そして独りよがりにもならず見る私達を幻想の世界にいざなってくれます。
第1部の壁の説明に、コローが若いルドンに助言をしたと書いてました。
空想的なイメージの隣に直接取材した事物を置くように、そうすれば想像の世界も現実的になる。
歳の差があるとはいえコローとルドンは同時代に生きた人だったとは、驚きです。
その助言がルドンの絵の夢の起源・・・をさぐるてがかりに感じました









4 コメント

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きれいできたない。おそろしいのにうつくしい。 (レッド)
2013-05-27 09:48:19
この展観も観たいと思っていましたが、とりいそぎ26日までのフランシス・ベーコン展を観なければ、とblueashさんと同じ日に私は竹橋におりました(笑)。
ルドンはひとめで恋に落ちましたが、ベーコンはずっと苦手でした。
苦手だけど、ずっと惹かれていました。
正面切って見つめることが怖ろしかったのだろうと思います。
今回、やっと彼のあのこわい絵を(というか「彼」を)、ちゃんと見つめることができたと思います。
見つめてみて、やはりルドンの絵から受け取るものと同じものを感じました。
ああそうだったのか、自分が闇雲な情熱で以て愛してしまうものはみんなそういうものなのか、という気がしました。
私はblueashさんとは逆にルドンの「黒」から入って「黒」を偏愛したそののちに「色彩」だったのですが、鮮やかで美しい色彩のなかにとても不吉で不穏なもの(たとえば死とか)を感じたり、逆に禍々しい黒のなかにとても親和的なものを感じたりしていました。
しかし、昨年春に同じ会場で行われたルドンの展観で、受ける印象がずいぶん変わった気がします。今回のこれではなにを思うんでしょうか。わくわくします。最後の聖母像はほんとうに美しい。私はこの絵にこれまで逢ったことがありません。お逢いするのが楽しみです。
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表裏の向こう (blueash)
2013-05-27 23:04:13
2013-05-27 21:48:41 レッドさん☆

ベーコン展見に行かれたのですね!
同じ日にそれぞれの展覧会にいたのもおもしろいなと思います。
私はベーコンの初期の暴力的な絵が好きで、世間で良識をきどる人や美術愛好家に中指突き立てているような絵だなと思うのですが、第二次大戦後でこれまでの価値観が転換した時代はむしろ大歓迎されてしまったというのがおもしろいなと思います。イノセント(インノケンティウス)10世のパロディなんて本来なら大ヒンシュクなはず・・ですね。

>ルドンの絵から受け取るものと同じものを感じる
以前レッドさんのブログでルドンの黒の世界の絵は暗闇の中には光を内包していると書いてあるのを本当にそうだと思ったことがあります。
ルドンの絵は黒の世界の哀しげな絵にも、おっしゃる通り親和的なもの、そして生命への肯定感を感じます。この人は厭世家ではない。慎ましやかな表現だけど後年鮮やかな色彩を放つほどの生きる力を内包しているのだと思いました。
ベーコンは暴力的に変形した人物を描いたりしてますが、描きなぐった絵の具のほとばしりに生命力を感じました。受け取る私達がぞくぞくしているのもそのパワーに共鳴してるのかも。後年少し雰囲気が穏やかになり絵の具の塗りも丁寧になりますが、ゆがんだ人体はやはりグロテスク・・・なんだけど楽観的。ジョージ・ダイヤをモデルにした三副対には愛情が満ちて見えました。
きれいできたない、こわいのに美しい、表裏の向こうに生命力が光っているように感じました。

その光と影とその向こうにあるものをレッドさんの文章にも感じると思っているのですが、失礼でしたらすみませんm(__)m

追伸 先ほど書いた最後の2行を変更します。
   ルドン展が何度も開催されるのはやはり嬉しいです
   ベーコンはもしかしたらモダンアートの古典になったのかもですね
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記憶の深い所。 (レッド)
2013-05-28 09:27:04
タイトルはとある方からの引用なんですが(笑)。

ルドンもベーコンも、自分のそういう場所にあるものに直接触れてくる気がします。
中学生の頃、永井豪の描く悪魔と仏像をどちらも同等に「美しいもの」として愛していたように、相反するふたつのもの、対立しているんだけれども、どちらが欠けても成り立たないもの、そういうものにすごく惹かれます、理屈抜きで。
だから『藍宇』に病んでしまうんですし(笑)、自分が書き散らしていることも、すべてそこに辿り着くんだろうと思います。
要は「怪物」というものが好きなのかな。善でも無く悪でもなく、美でも無く醜でも無く、ただ茫漠とした世界にぽつんと存在して、ときどき吼えたりしているもの。
ルドンやベーコンもそういうものだったのではないかという気がしますし、私自身、そういうものになりたいのかも知れません。

>この人は厭世家ではない。

はい、ルドンからもベーコンからも、そういうものはまったく感じません。世を拗ねた絵ではぜんぜん無いです。いま自分がいる世界から、自分のまなざしひとつで何かを掴み取ろうとする純粋でまっすぐな情熱だけを感じます。

うっかりしてましたが、今回のルドン展の会場は前回とは違うとこでしたね、すみません。また『グラン・ブーケ』が観られる!と舞い上がってしまいました(笑)。明日都内へ納品に行きますので、その帰りに立ち寄ろうと思ってます。
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記憶に入ってるのは (blueash)
2013-05-29 11:50:50
先日の日曜美術館のベーコン展の特集で、ベーコンのアトリエで下着姿で椅子に座り足を組んでポーズをとっているジョージ・ダイヤの写真が写しだされてましたが、たまたま手元の30年前のパンフにその写真から描いた絵が載っていて、ついでに自分の自画像も同じ画面に小さく描き込んでいてニマッとしました。たしか今年も展示されていたと思います。だけどその絵はジョージ・ダイヤが亡くなった後に描いていて、他にも何枚も描いていて、10年後も描いてました。ベーコンの深い喪失感を感じました。
30年前はそこまで意味深な絵だとは全く知りませんでしたが、ベーコンが捍東でジョージ・ダイヤが藍宇に見えてしまいました。

ルドンの絵は私にとって心地よい絵なんだと思います。黒の時代には自分の想いを絵にあてはめて共鳴する楽しさがあり、色彩の時代は題材のロマンテックさにときめき、色の美しさに官能的な快感を感じます。そうやって考えると黒の時代と色彩の時代では受け取り感じる場所が違うようです。
でもどちらかだけではこんなに魅力を持ち得なかったでしょう。

相反するものが実はお互いを補っているのをルドンの絵はとてもシンプルに見せてくれているように思います。その心地よさに日常をふっと忘れ浸るそんな楽しさを感じます。

「藍宇」も物語の良さもありますし、胡軍と劉の組み合わせの妙に心地よさを感じます。理屈では割り切れないところに“好き”が存在している気がします。
記憶の深い所に存在しているものとはそういうものかしら・・・なんて思います。

今回の展覧会も楽しかったです♪
でも人により感想はばらばらでいいと思ってます。
レッドさんの感想が楽しみです(^_-)-☆
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