黄金色の日々(書庫)

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流浪の王へ

2018-12-26 01:11:29 | アメコミ映画

ソーに関しては事前にちょっとネタバレを見てしまい、ファンがショックを受けてる太鼓腹でだらしないソーってどんな姿かと思いつつ見たんですが。
私は心締め付けられたよ。笑うのは単なるリアクションに過ぎなかった。
アメコミヒーローは見た目の良さと強さとカッコ良さが必須。しかも最後となれば颯爽とした姿で別れを告げてほしい。
そう思う人の気持ちもわかるけれど。

ソーは目の前で大事な人が死んでいくのを、実は一番多く見ている。「バトルロイヤル(ラグナログ)」でアズガルドが崩壊した際、生き残りの民を連れて脱出してからわずか数日。サノスにその民の半分を殺された。
ヘイムダルも、そしてロキも。
ガーディアンズに救出されて、彼らとのやり取りは笑わせてくれたけど、実際かなり危うい精神状態の境目にあった。ロケットはそれを見抜いてた。あの時のクリヘムの演技、すごいんだよ。自分を鼓舞するために無理に躁状態にあるので言動は面白く感じるけど、ふとした瞬間の目が虚無だった。

IWで命がけで新たな武器を作り出し、地上に舞い立った雷神。あの無双さはどこから来たかといえば、復讐心だけでなく人々を守りたい心からだった。
ロキや民の復讐はもちろん絶対的。でも彼は残ったアズガルドの民に責任がある。サノスの指パッチンは宇宙全体に作用し、当然彼の民たちもさらに半減されてしまう。
アベンジャーズとして地球の人々も救おうという気持ちはあっても、まずは彼は自分の星の人々を守りたかったはず。
でもできなかった。

複雑に多様化し人口も莫大な地球と違い、アズガルドは神話の国で国民の数はさほど多くなさそう。それでも一つの星の統治者というのは重い。
姉のためにまず多くの民が失われ、長い付き合いのウォーリアーズが殺され、故郷そのものが消え、片目も無くなった。相棒と言っていいムジョルニアは破壊された。
残された民とヘイムダルとヴァルキュリー、そして取り戻した弟と、新しい天地を探すつもりだったのに。

半減された民を取り戻す希望で心を保ち、サノスを追った。
何にもならないとわかった後に、サノスの首を飛ばしてしまったけど、あれはソーらしくなかった。戦う意思がない相手を殺したので、ただ怒りをぶつけただけになってしまった。その瞬間にソーの糸はプツリと切れた。あの後ろ姿がつらかった。
今まであれほど不屈で頑強だったソーが、あんなキャラになる要素があったかという意見、あるよ!!

どんな人間だって、神様扱いのアズガーディアンだって、ポッキリ折れる時がある。
ソーは千年単位で生きているけれど、それはアズガルド時間の中でであり、地球時間で言えばやはりまだ若いんですよ。
戦闘の場数は数え切れないくらいであっても、地球に来るまでは、「ソーさまとなかまたちのだいぼうけん」でしかなかった。自分の傲慢さを知り、ロキに気持ちをぶつけられ、ジェーン達、アベンジャーズの面々とのつながりで彼は大きく変化した。
はるかな悠久の時を統治してきたオーディンとフリッガの後を引き受けた若き王。どんなに気楽にふざけて見えても、ソーの心には守れなかった罪悪感で満ちてたはず。
大事な人たちを知り、守るべきものたちを得た後にすべて失ったからこそ、ソーは壊れたんです。

ヴァルキュリーが生きていたことに驚いたけど、ソーのお尻を叩いて無理に引きずり出さないのは、彼の受けた傷の深さを理解してるから。彼女もかつて、仲間すべてを失って酒におぼれてた。
バナーは君に救われたって言ってくれた。
ロケットは彼をひっぱたき、世話を焼いてくれた。
そしてその日に死ぬ運命の美しい母は、変わり果てて見える未来の息子を受け止めてくれた。

あれだけ自分しか持てないとこだわってたムジョルニアをキャップがもった瞬間に、「知ってたぜ!」と笑うソー。
友を認める素直さは失われてない。そんな彼だからこそ、手を差し伸べてくれる人たちがいる。
その中で少しづつ殻を破っていく彼に、心揺さぶられた。
ムジョルニア(過去)、ストームブレイカー(現在)を両手に掴んでサノスに向かい、最後はブレイカーだけをつかむソーは、今を選んだんだよ。

トニーも両親が死んだあと、武器商人として享楽的な時代があった。
スティーブも、世間が望むヒーロー像を捨てても親友を守る選択をした。
誰もが惑い、悩み、立ち止まる時がある。
地球時間で生きても5年。これからも長い年月を生きるのであろうソーにとって、この時間は必要だったと思う。

ラスト、王を放棄してヴァルキリーに託しガーディアンズと旅立つ。たぶん彼らともいずれは別れ、一人で旅をするんだと思う。
いずれまた彼はおのれの中の太陽を取り戻し、戻ってくると思ってる。
あるべき姿ではなく、ありのままの姿でいなさいと言ってくれたフリッガ。ありのままのソーこそ、あるべき王になるだろう。

ムキムキで精悍なソーを期待してたファンは落胆しただろうが、あれだけの喪失を受けても変わらず元気で前向きだけの姿でいたら、私は単なる筋脳キャラに戻ったなと思ったろう。
私には、無様に見える姿をさらしても、最後には全身でぶつかっていくソーがカッコ良くて愛おしかった。
ソーにこの姿を割り当てた監督たちの英断と、クリス・ヘムズワーズの力演は素晴らしいよ。

ネタバレ見た際、ラグナログで作り上げたソー像を崩されまくるのかな、ワイティティ監督はどう感じてるのかと思ったけど、見たら監督、引き籠りソーとゲームして一緒にいるじゃないですか。私服と騒がれてるシャツで(笑) 監督たちの間でも、ちゃんと了承は取れてるんだろう。
これはTwitterで見たんだけど、ソーの側にはコーグ(ワイティティ監督)、セラピー会ではキャップと共に告白する男(ジョー・ルッソ監督)、そしてトニーではなく娘のモーガンに葬式後に寄り添うのがハッピー(ジョン・ファヴロー監督)。
それぞれ「ソー/バトルロイヤル」、「キャプテン・アメリカ/ウィンター・ソルジャー」「シビル・ウォー」、「アイアンマン1」「アイアンマン2」の監督。本当にやられました(笑)

トニーの死、スティーブの晩年、ソーの旅立ち。ビックスリー三様のヒーローとしての終幕を確かに見届けました。


ようやく2回目を見てきました。その前に書いといたんだけど、付け足すことあるかなと思ってあげなかった。
特にない(笑) 2回目の方がよく味わえました。
中国のプレミアで、監督が質問に答えるコーナーで色々話したようですね。読んでないんだけど。
ルッソズのことだから、「ここはこういう意味です」なんて言ってないだろうけど、映画情報記事には断定的に書いてるものもある。そういうのは鵜呑みにしないこと。
見た人それぞれの解釈がある。たとえクリエイターが「こうだ」と言ったとしても、それが絶対じゃない。一つの受け取り方しか正解じゃないと言う制作者がいたら、そいつはアホや。そんな奴の作る映画は見ねえぞ(笑) 沢山のファンの意見や考察は感心しつつ読んだ。楽しいしためになったわ。

あとダルダルな体形になってもサノスとガンガン戦えるのかよという点は、そりゃ筋肉はあった方がいいでしょうが、雷パワーを使ってますからね。マーベル姉御もパワー中心でしょ。それに5年戦わなくても千年生きてるソーが戦い方を忘れるはずがない。
いかずちが宿った際のソー、カッコ良かった!


次回、各キャラについてざっと述べて、終わります。

 

☆2019年に鑑賞して書いた記事です
キャップブログ(閉鎖)からの転載

 


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