ふらっと風流記

自分の考えを深堀りしてみたり、意味のない事をあえて残してみたり。
自分の人生を生き続ける為の道しるべを綴ったり。

楽しい毎日を送る為に社会全体としての問題提起と自分自身の心がけ

2022-10-18 18:44:00 | 日記
世間と自分自身の感覚のズレが生まれやすいと時代だと思う。
今の40代50代くらいまでの人を見ていると、頭の回転が速くて、素晴らしい実績を残される方がたくさんおられる。

織田信長が人生50年と言っていた時代から400年以上の時が経ち、人生80年くらいは生きられる時代になっている。

健康寿命自体も伸びているわけで。
世間的には、若者というと20代中盤くらいまでのイメージな訳だけども。

これからはもっと上の世代も巻き込んだ世の中のつくりかたを設計していく事も大切な事である。

今の世の中の仕組みと個々人が感じる人生の設計に軋轢がある様に思うのだ。

今の社会の仕組みだと、楽しい事の大半が学生時代までにつめこまれている状況だ。
後の60年程、どーしたら良いのよ??
ってね。

そこで初めて気づくわけ。
あぁ。これまでは、「楽しい」を誰かが与えてくれたけど、本来、これは自分でつくる努力が必要なものなのね!?と。

本来は学校教育の段階でそれを教えるべきだと思う。

「楽しい事は、本来他人から与えてもらえるものじゃありません」
「もし誰かが与えてくれたなら、感謝の気持ちをきちんと伝えましょう」
教師は、本来、その為のサポートをするのがあるべき姿であろう。

80歳までに楽しめる社会的なイベントももっともっと必要である。

できるなら、子どもや孫、ひ孫を含めて楽しめるイベントがたくさんあった方が良い。

そこに対する素晴らしい!という価値観が生まれてくる様な社会体系の構築が急務だ。

僕も個人として
「楽しむ心」を忘れない様に心がけている。
ちょっとした事で面白がる好奇心こそが自分自身の人生を彩ると思うからだ。

アントニオ猪木という限りないメッセージ④

2022-10-15 18:40:00 | 日記
猪木
「みんな毎回は来れないから。ご飯を1人で食べるのが寂しい」
あの強い漢の言葉とは思えない。

そこには残り時間を感覚的に理解した、人間そのものの姿があると思った。

人の強さって何だろう?
少なくとも物理的な部分は大した意味を持たないのだと思う。

アントニオ猪木を強さの象徴と考えるなら、きっと答えはこうだ。

味方も。時には敵も。すべての人たちを慈しむ心・心意気。
それが「人としての本当の強さ」
なのではなかろうか。

猪木が感じた、「1人で食べるご飯の寂しさ」
僕たちもこれからそれに似た感覚を時々感じる事になるだろう。
「アントニオ猪木がいないこの世界の寂しさ」を。

ご冥福をお祈りいたします。


アントニオ猪木という限りないメッセージ③

2022-10-14 18:21:00 | 日記
猪木
「こんな姿になっても、『猪木さん、あとは自分がやるんで大丈夫です!』なんてみんな言ってくれないんだよな。そういう意味では敵だらけ。でも敵がいるからこそ戦える。」

何か人間に対する深く慈しむ様な表情をしていた。
少し昔のマンガにはなるが、北斗の拳では、「強敵」と書いて「とも」と読む。
そんな事が頭の中に浮かんだ。

猪木にとっての人間愛は、敵も味方もなくて。ノーサイドなんだと思う。

敵がいるからこそ頑張れる。
それがなくなったと思えたから。
もしくは全てを慈しんでしまったがゆえに今世に区切りをつけたのかも知れない。

アントニオ猪木という限りないメッセージ②

2022-10-13 18:06:00 | 日記
元気ですか〜
元気があれば何でもできる

不可能を可能にし続けた漢の重いメッセージだ。
元気でありさえすれば何でもできるのだ。

彼のYouTubeでのメッセージ動画をみた。
亡くなる1週間前の姿は、かつてあれほどの強さと勇気や希望を与えてくれた漢と同一人物だと信じられないほどであった。

猪木
「いや〜なんか欲が湧かないんだよね。金も女も」
彼のかつての原動力は間違いなく欲であったはずだ。
それでなければ、僕の頭の中ではつじつまが合わない。
強欲だからこそ戦い続ける事ができて。
強欲だからこそ成功を手にしてきたんだと思う。

そういう人間に欲がなくなってしまったら。
僕はゾッとした。
それは、自分の生すらも達観した様に見えたからだ。

アントニオ猪木という限りないメッセージ①

2022-10-13 17:52:00 | 日記
30代後半から60歳くらいまでの日本人にとって彼は英雄だった。

当時はやらせだという偏見や疑いの対象でもあったプロレス。
そんな人たちに「プロレスラーってこんなに強いんだぜ!」っていう圧倒的なメッセージを発信し続けたのが彼だった。

異種格闘技において、打撃・関節・投げ技、全てを備えたプロレスという格闘技は人々を惹きつけた。

日本人でこんなに強い人がいるんだ!
って思わせてもらったし、彼のビンタには本当にご利益がある様に思えた。

「燃える闘魂」
戦う為の魂を燃やし尽くした侍は、昭和から平成の一時代を築いた。

「ストロングスタイル」
いつ何時、誰の挑戦でも受けるという彼の強さへの渇望こそが、強くなりたいという日本男児の究極の完成系に思われた。

そこには熱狂があり、ある種、宗教的な盲目さをはらんだカリスマだった。