8トリソミーモザイクのわが子へ

8トリソミーモザイクの子育て日記

最初は違った。。。

2020年12月28日 22時49分07秒 | 日記

息子は早9歳になりました。

現在、支援学校に元気に通っています。少し前、普通学校との交流の機会があり、事前面談でその学校の校長先生と会話したときのことです。

 

校長先生「〇〇(息子の名前)くんは何歳かな?」

息子「ごさいです!(にこにこ微笑む)」

私「((心中)そこはウケをとる場面じゃないだろ!)」

 

当時8歳になっていた息子は、わざと「ごさい」と言って、同席者のウケを狙っている様子でしたが、笑いが取れず、「シーン」という空気が流れました。

今では人の反応を先読みし、わざと羽目を自分から外して人から突っ込まれるのを待つ余裕すら出てきました。

 

翻って息子が産まれた時、私は息子の姉の時と同じく、立ち合い出産に臨んだのですが、抱き上げられた息子の顔は明らかに通常の風貌とは違っていました。

その時は、(陣痛促進剤を使いはしたものの)無事産まれてきてくれたことに素直に喜ぶ気持ちと、息子の顔を見て「どうしようか」と戸惑う気持が入り混じっていました。

 

戸惑ったのは、自分がこれまで経験したどのケースにも当てはまらないため、必死に対処法を模索しだしたためだと思います。

 

再び現在に時を戻すと、自分が変化した点を一つあげれば、何かと比較することがなくなったことです。

息子の場合は特に、周りにサンプルがない分、ゼロから作り上げてきたような気がします。

人間には一人としてだれかと同じ性質の人はいない、とよく聞きますが、あまりに違いがはっきりしていたため、もはや比較しても意味がない、とかなり早い段階で”標準”という概念を切り捨てることができた気がします。

その分、息子の心や体の状態が五感を通してかなり鋭く感じ取れるようになった気がします。