今日はこのキーワードが頭に浮かびました。
とても壮大な話しのように思われるかもしれませんが、人体が小宇宙と言われることがあるように、
ごくごく身近な話題に触れたいと思います。
最近はいろんなノイズに振り回されることなく、少しずつですが、この先のことが素直に見れるようになってきた気がします。
以前から「宇宙の法則」という言葉をいろいろな本で目にしてきたつもりですが、いまいち実感が湧きませんでした。
最近になってようやく、何か目に見えないけれど、身近で起こることやたまに沸き起こるインスピレーションなどに、ある秩序が働いている気がすることがあります。
今最も興味のある言葉として、二項対立(もしくは正負の法則と言ったりします)というキーワードが気になっています。
思い返せば、息子が生まれてから楽観的な私でも、負の部分に注目していた気がします。
しかし、同時に必ずそれと同じくらい正の事象が起こっています。しかし、心を解放しないと(見ようとして見ないと)それが認識できません。
人は、見たいものを見たいように見る、という方がいますが、今になってやっとそれを理解できる気がします。
今日、妻から保育所での最近息子に起こったエピソードを紹介されました。
「**ちゃん(私の息子)の絵を描いてあげる!」(お迎えに行った義母に同級生の女の子が言ったセリフ)
書いてくれた絵をよく見ると、
息子の隣に普段とても仲良くしてもらっている同じクラスの別の女の子が描かれていたそうです。
その話を聞いたとき、その情景がありありと脳裏に浮かび、目には見えないけれど何だか宇宙を感じてしまいました。
とても壮大な話しのように思われるかもしれませんが、人体が小宇宙と言われることがあるように、
ごくごく身近な話題に触れたいと思います。
最近はいろんなノイズに振り回されることなく、少しずつですが、この先のことが素直に見れるようになってきた気がします。
以前から「宇宙の法則」という言葉をいろいろな本で目にしてきたつもりですが、いまいち実感が湧きませんでした。
最近になってようやく、何か目に見えないけれど、身近で起こることやたまに沸き起こるインスピレーションなどに、ある秩序が働いている気がすることがあります。
今最も興味のある言葉として、二項対立(もしくは正負の法則と言ったりします)というキーワードが気になっています。
思い返せば、息子が生まれてから楽観的な私でも、負の部分に注目していた気がします。
しかし、同時に必ずそれと同じくらい正の事象が起こっています。しかし、心を解放しないと(見ようとして見ないと)それが認識できません。
人は、見たいものを見たいように見る、という方がいますが、今になってやっとそれを理解できる気がします。
今日、妻から保育所での最近息子に起こったエピソードを紹介されました。
「**ちゃん(私の息子)の絵を描いてあげる!」(お迎えに行った義母に同級生の女の子が言ったセリフ)
書いてくれた絵をよく見ると、
息子の隣に普段とても仲良くしてもらっている同じクラスの別の女の子が描かれていたそうです。
その話を聞いたとき、その情景がありありと脳裏に浮かび、目には見えないけれど何だか宇宙を感じてしまいました。