月乃和熊(ツキノワグマ)のささやき

歴史好きオヤジが細々と大震災、水害、雪害の復興花火や図書館の蔵書の支援を続けていまふ。

スカイツリーと弁天堂

2012-11-30 18:00:00 | 祈願(神社仏閣)
こんにちは、月乃和熊(ツキノワグマ)です!

【お詫び】
先日、blogramに2回以上ご訪問いただいた方を栞らせていただきました。
さらに、せっかく月乃和熊(ツキノワグマ)を栞っていただいたにもかかわらず、何人かの方を月乃和熊(ツキノワグマ)は、スマホの操作ミスで、間違えて登録を消してしまいました。
大変申し訳ありませんでした。

もし許していただけるなら、再び栞っていただければ幸いです。
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  3.11東日本大震災 忘れない!風化させない!!
  
  月乃和熊(ツキノワグマ)も賛同しております
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スカイツリーと弁天堂

上野の山でツタンカーメン展の待ち時間、2時間!との宣託を受けて、ぶらぶらと辺りを散策することに。
この日の早朝は、泣き出しそうな空だったので、念のため折り畳み傘まで持参したのだが、待っている間にだんだん青空になった。
すると、ツタンカーメン展に並ぶ列から東京スカイツリーがキレイに見えたので思わず、冒頭の写真を撮影。

不忍池には、20年ほど前に行っただけなので、まあちょっと行ってみると、参道の途中にめがねの碑なるものを見つけた。

戦国時代にメガネ、や望遠鏡すなわちレンズが伝来。
透明度の高いレンズの作成は難しく、最初は水晶などを用いた高級品だった。
明治時代の日露戦争では士官、将官はスイス制の双眼鏡を用いた。
精密作業が得意な日本人は、徐々に力をつけてメガネの伝来から実に四百数十年後、ついにカメラや内視鏡、天体望遠鏡などに用い成功した。

不忍の池の一面には蓮があって、夏はさぞかしきれいなのだろう。
その池の中の参道を通って弁天堂へ
3連休の最中だから、なかなか賑やかだ。

寛永2年(1625)、江戸に結界を張るために黒衣の宰相こと天海僧正が、比叡山延暦寺を模して上野の山に東叡山延暦寺を開いた際、不忍の池を琵琶湖にみたて、竹生島(ちくぶじま)にみたたて中之島を創り、弁天堂を建立したという。

当初は小舟で弁天堂を行き来していたが、寛文年間(1661~72年)に石橋が架けられ、以降一般人も自由に詣でることができるようになった。
今は、観光でごった返す上野の山も、明治維新から近代にかけての産みの苦しみを経験し、さらに昭和20年(1945)の空襲でほとんどが焼失した。
弁天堂が再建されたのは、実に戦後13年も経った昭和33年のことであった。

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