月乃和熊(ツキノワグマ)のささやき

歴史好きオヤジが細々と大震災、水害、雪害の復興花火や図書館の蔵書の支援を続けていまふ。

東京空襲の傷あとから

2012-02-02 23:41:39 | 歴史こぼれ話
          鳥を狙う野良にゃん

戦中の東京都の人口は、昭和15年(1940)~19年(1944)までの5年間、戦争中でありながらも、約720万人~約730万人で安定していた。
ところが、終戦の昭和20年(1945)の人口は、348万人余りにまで減少している。

1944年11月から、一番被害の大きかった1945年3月10日の東京大空襲をはじめ終戦直前まで、東京は毎日のように空襲被害を受け、疎開が進んだこともあったが、人口減少率は実に-52%!!に達した。

67年前、東京都は空襲で、焼夷弾で焼き尽くされ、確かに一度壊滅的被害を受けた。
ようやく戦中の人口に回復したのは、昭和28年(1953)。
実に7年をかけ、740万人余りにまで人口が回復した。
その後はドル高円安の追い風を受け、東京オリンピックを経て高度経済成長を遂げ、平成21年の東京都の人口は約1298万人、戦中の約1.8倍。終戦時の3.7倍である!


  表参道の山陽堂書店さん
  戦前に建てられ昭和20年5月の空襲では、大勢の人を助け炎に耐え抜いた
  国道246号線の拡幅工事で削られたそうですが、戦災の生き証人です


webで公開されている東京都内の航空写真をみると、都内はすべて焼き尽くされているように見える。
しかし、街をぶらりと歩いてみると、所々で戦災を耐え抜いた跡を見つけることもできる。

JR山手線 大塚駅のほど近くにある天祖神神社の境内には、炎に晒され半分焼け焦げたながらも、なお現在まで67年間を生き抜いている樹齢600年以上とも言われている、夫婦公孫樹(いちょう)を見ることができる。
 天祖神神社の夫婦公孫樹

 左半分が焼けた公孫樹。


そういう意味では、奇跡の一本松は塩水につかっていたために、本当に残念なことでしたが、
一人一人のシンボル、希望となってる物が必ず残っていると思います。

時間はかかるだろう。
どんな言葉にも、癒されることはないかもしれません。
小さな希望かもしれません。でも、信じて見守っています。