「明けましておめでとうございます。」
今、早くもお屠蘇をいただいたところです。
ピリッと心が改まるのが不思議ですね。
年神様やご先祖様からのエネルギーをいただいて、
疲弊していた魂の蘇りを感謝と歓喜をもってで受けとめております。
皆様に幸多い一年になりますように
マロンくんは今はまだ眠そうです。
大晦日の夕方の散歩では、マロンはまっすぐに洋品店に向かいました。
これには私が驚きました。
いつになくお二人に飛びついて何かを伝えようとしていました。
マロンなりにご夫婦に一年間のお礼を言いたかったのかも知れません。
マロンは沢山の人に可愛がられて本当に幸せな子です。
個人的には義妹が5月に突然永眠したことが私達夫婦の最大の悲しみでした。
でも数えきれない程の喜び(些細な喜びですが)もありました。
2009年という年がこれら全てを飲み込んで終わろうとしているのですよね。
来る年が皆様や私達にとりまして悲しみや苦しみの少ない年でありますように、
そして少し幸せな年でありますようにと心から祈りたいと思います。
世の中の皆様とともに生きる希望も勇気も見出せる年になりますように・・・と。
親から子に命が受け継がれるように、
“時”のバトンもまた“生まれいずる時”に受け継がれようとしています。
除夜の鐘に清められうながされて。
(テンプレートをお正月や春の香が届く「うぐいす」に変えました。)
昨日は終日雨で鬱陶しさもあり、
クリスマスまでと思いましてテンプレートを「リース」に変えてみました。
母へのお歳暮も、これからも何度も贈らせてもらうことを願いながら心をこめて贈ってきました。
皆がそれぞれの思いの中で年の暮を迎えようとしています。
大文字草「緋の舞」のその後ですが、
やはり白が強くなり、しかも形も大きくなって今年はこんな感じです。
自然交配の結果ですから仕方ないですね。
昭和61年や平成7年の頃の様子とは様変わりして、昨年も今年も男性が多く参加され小鼓を叩くのもコヨリを数えるのも男性でした。以前はおばあちゃん中心の行事でしたが、こんな風にこの行事が受け継がれていることに感動し、何だかとても新鮮にしかも力強く感じているのは私だけではなかったようです。参加したお年寄りも「あれだけ男性がでておられるのは素晴らしいですね。」と感想を漏らされました。
(今日初めて来訪者が1万人を超えました。何気なく置いたカウンターでしたが、自分でも驚いています。ちょっとした記念日になりました。)


IOC会場(コペンハーゲン)での日本代表のプレゼンテーションを聞きました。
鳩山総理も必死でしたが、最初の15歳の女の子のにこやかな挨拶が良かったですね。
日本人はもう少しくだけた挨拶が出来ると最高にアピール出来ると思うのですが。
結果はもうすぐ出ます。
3日は十五夜ですが、お天気が心配です。


ただ満月は4日だそうですよ。今のところ4日は晴れの予報です。
夜にはススキを飾り、お琴を出して「十五夜お月さん」ほか奏でてみたいと思っています。
投票所に出かけると今までにない大勢の人々で列ができ、変わることへの期待に満ち満ちていました。
日本そのものに生まれ変わろうとする底力がまだまだ残っています。
高齢者の問題・教育・医療・派遣・少子化・就職難・首切り等々、
ここまで来ないと国民の側も身にしみて受け止めることが出来ないのですね。
「自民党なら何となく安心」という人も多かったのかも知れません。
政治は政治家のためではなく国民のためにあるというこの基本的なことを、
忘れることはなくても長く携わっていると薄れてしまうのでしょうね。
政治そのものが国民生活から乖離してしまい国の形が崩れてしまいます。
これからが本当の意味で民主党が試される時です。
まず官僚のしてきたことをいいことも悪いことも全て表に出して下さい。
そして私達この国に生まれた一人一人が、人として尊重される国に立て直して下さい。
選挙の帰りにマロンの友達のジョンちゃんのお母さんに会い、ジョンちゃんが突然が亡くなったことを聞きました。
あなたの優しい目と人懐こいしぐさ、沢山の癒しと安らぎと喜びをいただきました。
天国からマロンも見守って下さいね。
ジョンちゃん、ありがとう。天国で楽しくね。

今日は衆議院解散の日ですね。
長く政権を執り続けると、どうしても淀んでしまいます。
流れを作る以外に淀んだ水をきれいにする方法はありませんよね。
つる性のデプラデニアの花が咲きました。
キョウチクトウ科の花で、お花の感じがどこか似ていますね。
つる性の植物は育てるのが下手で求めないことにしていたのですが、
去年咲いているお花に心ひかれて購入してしまいました。
今改めて「よし、頑張ろう!」と思っているところです。
花言葉は「優美」「気品」だそうです。
ほとんど色のないお花が咲き始めました。
遺伝子の中にもともとあった色なのでしょう。
濃いピンクのお花の中にあって、とても涼やかな清楚な感じです。
東京の方は福岡よりお盆が一月早い分お中元も同様なのですが、
母に気持ばかりの品を送りましたら、昨日母からお茶(星野茶)が届きました。
「お盆や正月など皆が集まる時にはいつもいないから。」と、20年近く前から必ず母からも送られて来ます。
遠くにいるということは寂しくもあり、また母の心遣いが嬉しくもあり・・・です。
子どもの日で暦は立夏です。
でも今日の最高気温は18度位とか、体調を崩さないように気をつけないといけません。
子どもの頃公務員宿舎の柱に鉛筆で兄から弟まで背の高さを柱に記したものでした。
まさに歌の通りです。
母がよく「この頃身長が1センチ縮んで。(笑)」と話していましたが、
年をとると姿勢が変わる(背が丸くなったり)からでしょうね縮んだように感じるのは。
こんな些細な何気ない会話も本当にあたたかく懐かしい今日この頃です。
シャクヤクは昨日撮ったものですが写真のように咲きました。
まだ黄色のボタンが大きな蕾に膨らんだ状態で、
濃いピンクのシャクヤクはもう少し時間がかかりそうです。
目の前でじっと見つめるだけで心が優しくなりますね。
今日はお釈迦様の誕生日ですね。
以前に山折哲雄さんの講演で「わが子を捨てたブッダ」を聞いたことがあります。
ブッダは最初のわが子に「ラーフラ(悪魔)」と命名しました。
この名をつけたことで山折さんは、「生まれたばかりのわが子を決定的に捨てた。」と言われました。
「肉欲の果実としての呪われた子ども」という意識を釈迦がもったのではないかといわれるのです。
そして釈迦は勝手に城を出て行きます。
「一方的に妻と子を捨てて。」と山折さんは言われます。
その結果ラーフラは父親から二度捨てられたことになると。
ところがこのラーフラはいずれ仏弟子(「ラゴラ」という名で)になります。それも9番目の弟子に。
釈迦は生れて7日後に母親と死別したのだそうです。
釈迦は以上の生き方の中で家族も地位も捨てて悟った悟りとは・・・。
今の時代は親が子を捨て、子が親を捨てると。
まさか釈迦はこんな時代を求めたのではないでしょう。
「捨てる」意味が違うという人もおられるかも知れません。
果たして本当にそうでしょうか・・・?
10番目の弟子にアナンという人がいます。
この弟子は「多聞第一(たもんだいいち)」で、人の話を十分に聞いた人だそうです。
ラゴラはアナンの導きで仏弟子になったと言われます。
臨終に臨み釈迦はアナンに次のことを託します。
第一に「もし汝が必要とするならば、最後の力を振り絞ってでも生き続けたい。」
しかもこれを三度も言われたのだそうです。でもアナンは何も答えませんでした。
第二に「死んだら葬儀にこだわるな。遺骨をどうこうしようとしてはいけない。」と。
でもこの時もアナンはただ聞くだけで何も答えなかったのだそうです。
そして葬儀は盛大に行われ、遺骨は8つに分けられたということです。
山折さんはキリストに対するペテロのように、アナンは釈迦を2度裏切ったと言われます。
勿論悪意があったとかいうのではなく、ただ「気がつかなかった。」と言うのです。
ここで山折さんは「聞く」ということの凄さと危うさを説かれます。
次に思いますことは、釈迦の求めたもののことです。
もしかしたらアナンによって釈迦の根源的な願いは変えられた、
ある意味捨てられた・・・と言いましたら、山折さんは何と答えられるでしょうね。
(写真は椿で大輪八重です。玄関そばで生き生きと咲いています。下の方に少し見えているのはアジサイ「七段花」でどんどん成長しています。)