It Breezes(そよ風吹いて)

風が変えていくもの・自然・人達をそっとのぞいてみませんか?

「おせんちゃん」

2010-01-31 07:24:59 | 追想

「狐のだんぶくろ 見つけた
山の夕だち 降りやんだ
赤いお日さま 藪(やぶ)にさす
つくつくほうしは 枝の上」

  「この歌を誰も知らないというんですけどね、でも確かに子供のころ聞いたんですよ。」せんさんとの出会いの中で伺った歌であり言葉でした。たった一人しか知らない歌・・・知らない人が大勢だと「そんな歌は無かった。」となってしまっていました。
 
 私はといえば、節まできれいに覚えておられることから何とか探して見ようと思い、暇をみては探していたのですが、或る日のこと忘れもしません、平成9年10月18日、近くの本屋さんで何気なく手にした薄い文庫本に、まさにこの歌が載っていたのです。(渋沢龍彦という方の本でした。)しかも著者もせんさん同様、「この歌を知っている人に出会ったことがない。」という内容でした。例えて言うなら“本に引き寄せられて書店に来た”といった感じでした。
 
 すぐに家に帰り、せんさんに電話でお知らせしましたら本当に喜ばれて、今もそのお声の調子が耳に残っています。せんさんはその丁度2ヶ月後の12月18日に突然永眠されました。青菅分校の“先生さん”(当時土地の方からこう呼ばれていたのだそうです。)をされた方で、毎日話さない日は無かったほど、色んな意味で心通わせ育てていただいた大切な大切な方でした。
 
 生前に生まれ育たれた本埜村の龍福寺を訪ねたときに、「おせんちゃん」と呼ばれていたと地元のお年寄りから伺いました。せんさんに伝えると、「そうなんですよ。私のことみんなそう呼んで。」と笑いながら懐かしむように話されました。またいつか「おせんちゃん」を語りたいと思っています。


井野の辻切り(2)

2010-01-27 17:21:18 | 文化遺産
お神酒をいただいて大辻に魂が入りました。
「塞神」のお札を奉じて
俄然はり切って外から悪疫などの悪いものが入って来ないように睨みをきかせ、
地面も鍬で道路を横断するかたちに掘り起こし五穀を一人一人が撒いて完全に遮断します。
写真右上に貼りつけました「塞神」のお札は小辻にもつけますが、
これは毎年オビシャの時に八千代の七百余所神社の神官が準備して来られることになっているのですよ。
そして各家の入口も横断するかたちに五穀を撒いて、万が一間違って入り込むものがあったとしても、
それぞれの敷地の入口に五穀を撒くことでシャット・アウトするためです。
私もスッカリこの組の「オッカチャン」の一人です。...

井野の「辻切り」

2010-01-25 20:01:45 | 文化遺産

今日25日は井野本村の辻切りの行事に参加して来ました。
元々人数が少ない組なのに親戚の不幸などで欠席された方が2人いて。
でも立派な大辻(おおつじ・大蛇)が完成しました。
写真は大辻(大蛇)にお神酒を飲ませているところて「宿」の主人は中央の女性の方(和子さん)です。
お神酒をいただく大辻が本当に嬉しそうに見えました。
全く一年ぶりに藁を綯(な)ったのですが、お蔭さまで無事に小辻(小さな蛇)を綯うことができました。
実は今年から簡略化して宿で食事は準備しないということになっていたのですが、
やはり色々と準備して下さって、
四方山話に花が咲きこの上ない楽しい時間を過ごさせていただきました。
私の場合一年振りに会った皆の顔なのに、本当に昨日も会ったように話せるのが有難くて。
“たぼあんちゃん”に“よしかずさん”息もピッタリで、
人数はすくないけれど、かけがえのない最高の仲間です。
家に帰って早速門の所に五穀を撒き、そばの木に結わえつけました。
塞の神の御札を奉じて悪疫が入って来ないよう睨みをきかせています。


e-taxで

2010-01-23 18:13:43 | 出来事

今日e-taxで確定申告が終わりました。
一昨年は国税庁のホームページの確定申告コーナーで作成したものをe-taxに送信する方法でしたが、
去年からe-taxのソフトを直接ダウンロードして入力してみました。むつかし~い! 
税務署に分からない箇所を問い合わせたりして完成し、2月17日に送信完了しました。
今回は今朝e-taxのソフトを最新にして、昨年を参考にしながら作成し夕方送信したのですが、
送信時に大事な暗証番号があったことを忘れていて慌てて昨年のデーターを見たり、
主人が65歳になっていますので計算が変わったことも有り、結構スリル満点でした。
一度送信した後に健康保険の合計額の誤りに気づき、慌てて打ちなおして再度送信したことも。
全くドジですね。疲れましたがどこかで結構楽しんで作成できました。
e-taxソフトで直接申告しますと、今日でも送信できますので便利ですね。
ただマロンの散歩が1回になってしまいました。(ゴメンネ、マロン!


若い「おばあちゃま」へ

2010-01-22 07:11:49 | 出来事
慌しい日々の中で気がつくと1月も20日を過ぎてしまいました。
3日前のことですが、青菅の知人のお宅に可愛らしい孫(男の子)が生まれたと伺いました。
未来の夢も希望もその小さな体に無限に秘めている赤ちゃん・・・未来からの命の訪れですものね。
心からおめでとうございます
しかも私の母と同じ誕生日の17日でした。
これも何かの御縁でしょうね。
知人はきっと大忙しでしょう、.......嬉しい悲鳴が聞こえてきそうです。
張り切りすぎてダウンしないで下さいね。
若い素敵な「おばあちゃま」へ。

『斜陽』を読んで

2010-01-19 21:29:40 | 読書

太宰治の『斜陽』を読み終わりました。
太宰治は主人の姉が卒論に選んだ人で、
親戚の檀一雄に、「自分を卒論に選べ。」と言われたと笑って話していました。
義姉は断固として太宰治にしたということでしたが。
今日『斜陽』を読み終えて、常にどの作品にも太宰自身そこに描かれていることに気がつき、
義姉が太宰の何に心ひかれたのか、ほんの少し分かったような気がしております。
その義姉も平成12年に永眠しましたが本当に大好きな義姉でした。
たまたま思い立って(今まで全く関心のなかった)太宰文学を読み始めましたが、
太宰に添うことは、可憐な美しさを秘めていた義姉に添うことでもあったような気がしています。


「生かされている」ということ

2010-01-17 07:05:39 | 暦・何の日
今日は私の母の誕生日で、お蔭さまで89歳になりました。「お母さん、おめでとうございす。」年齢とともに体が思うように動かなくなって寂しい思いもしているようですが、「母」は私達子どもの命の源であり、育てていただいたことに感謝する思いは常にあります。ただ福岡は遠いので、電話で話すのみで思うように会えないのが親不孝ですが。
今日はまた阪神大震災から15年目、あの日は丁度公民館でお話をさせていただく日でしたが、集まった皆さんで募金を募り、講座担当者が後で振り込んで下さったと記憶しています。母の誕生日と同じ日なので忘れることはありません。亡くなられた方々の無念の思いは察するに余りあります。だからこそ今生きている私達が怠惰な生き方をするのではなく、どんな小さなことでも今しなければならない事を丁寧に成し遂げていくことが大事ですよね。
 「生かされている」ことを噛みしめることではないでしょうか?

「青菅のどんどれえ」

2010-01-15 09:07:36 | 佐倉の文化財

昨日14日は青菅で夜6時から「どんどれえ」が行なわれました。(リンク先は青菅の三門農園さんです。)
一般にいう「どんど焼き」のことで、市指定無形民俗文化財になっています。
一年の五穀豊穣と無病息災を祈願して行われてきた行事です。
点火と同時に勢いよく真っ直ぐに燃え上がり、竹の爆ぜる音が夜空に響き渡りました。
立てた竹が次々と青菅側に倒れ、最後に中心にある「ドウシンボク」も青菅側に倒れました。
これでこの一年青菅は五穀豊穣です。
配られたお餅を焼いてその場でそのまま食べますが、それで1年間風邪を引かないと言われています。
一緒に行きました主人は持って行ったお松を一生懸命焼いていましたが、
「燃えさし」を持ち帰り門口にさすと、1年間「悪魔除け」や「盗難除け」になると言われています。

安政年間青菅に生まれたお年寄りが、大正生まれの孫がまだ幼い頃よく次の話しをされたのだそうです。
お祖母ちゃん:「どんどれえをしないと、おかっぱ頭の男の子と女の子が村中火をつけてまわる。」と。
孫:「だから一度もやらなかった年はなかったですよ。戦時中も目立たないよう小さく積んで日暮れ前に点火したがですよ。」
そのお孫さんは大正12年生まれで今もご健在です。“伝える”ということは本当に大切ですよね。

大勢の方々が参加されましたが、
例年より小学生の姿が多く目にとまり、“何だろう?”と思っていましたら、帰る時に分かりました。
お孫さんを連れたお年寄り夫婦にお話しを伺いましたら、
青菅小学校の校長先生が、校区の皆様に回覧を回して下さったのだそうです。
地元に根ざした生きた教育を実践して下さる先生がおられることは、
子ども達にとっても地域にとっても大切なことですし幸せなことです。
伝統行事をまずは直接見て、肌で実感すること(理屈より)が大切ですよね。
“子どもさんがどんな感想を持たれたのか聞いてみたい”・・・と心からそう思いました。


母を偲ぶつもりが

2010-01-13 15:47:31 | 出来事
今日は主人の母の祥月命日です。
朝7時前にブログを開こうとしましたら丁度メンテナンス中で開けませんでしたので、
太宰治の『ヴィヨンの妻』を読み始めすぐに読み終わりました。
気がついたのは「電髪屋」という言葉で、昭和初期にパーマネントのことを「電髪」といったようです。
太宰という人は、時代にどっぷり浸かりながら、浸かることにも疲れた人だったのでは?とフッと思いました。
読み終わっていつもどこか退廃的な虚しさが残るのが残念です。

マロンと一緒に動物病院まで、ただお薬をいただくために走りました。
行きついてビックリしたのはマロンくんで、
いつもの通り独り言をブツブツ言いながら落ち着きを失いウロウロし始めました。
お薬を受け取って一目散に病院を飛び出したのには大笑いです。
抗生物質・かゆみどめ・抗真菌薬を2週間分ですが、
支払いの時にビックリしたのは私でした。(笑)

「虚空蔵菩薩」

2010-01-12 15:15:32 | 宗教
今日は義妹の月命日、
冷たい雨の日でマロンの散歩も早々に済ませ静かな時間を過ごしています。
もう20年ほど前になりますが、たまたま調べていた仏像の記述の中で、
私の守り本尊が「虚空蔵菩薩」であることに気がつきました。
しかも昭和63年に永眠しました私の父も同じ守り本尊でした。
ただ「虚空」という言葉がピンと来ずに気になって調べてみましたら、
仏教的には大変な意味が有ることが分かり、
これまた非常に嬉しいやら何となく気が重くなるやら、でも本当に有り難いやらでした。
昨年数人で訪ねました直弥のお寺は御本尊が「虚空蔵菩薩」でした。
ふと何かに導かれたような気がしております。
(今年の3月は早いもので父の23回忌を迎えます。)