見て下さい、このスイセン「テタテッタ」の花を。
16日の状態と比べてお花の賑やかなことといったら、
この寒さでも外に出しっ放しでこんなに美しく咲いています。
下の方の背の低いお花も一所懸命咲こうとしていますよ。
ますますこの花が好きになりました。
そう言えば、29日(日)のTBS.世界遺産で法隆寺の建築物や仏像などが紹介されていました。
そのお会式(おえしき)で須弥山に見立てて竹の先に型押ししたお餅をつけますが、
その型の中に極楽鳥のほかお花ではスイセンが有りました。
「何でスイセン?」と思いますよね。
スイセンの名は中国の「水仙」をそのまま音読みしたのだそうです。
仙人の姿は「天にあっては天仙、地にあっては地仙、水にあっては水仙」といわれ、
水辺に咲くその姿を仙人に例えたとか、また水中の仙人とか・・・。
中国から室町時代以前に伝わったのが、「ニホンズイセン」と言われているお花だそうです。
はて、さて、スイセンは須弥山に咲くお花なのでしょうか?
昨日も一昨日も本当に寒い一日でしたよね。
28日(土)弟夫婦と私と主人で夕方会食しました。
単身赴任で妙典にマンションを借りて5年間東京の方に勤めましたが、
無事に定年(55歳)を迎え本日午前中に荷物を出し、夕方の飛行機で福岡に帰ります。
過ぎてみればアッという間の5年間でしたが、我が弟ながら本当によく頑張ったと思っています。
佐知子さん(義妹)は仕事を午前中済ませて先週の27日に妙典に着きましたようで、
何にも片付けていない部屋の様子にガッカリしたようでした。
私の立場では両方の気持ちが良く分かりましたが、
引っ越し等になると全く佐知子さんに甘え助けられている弟です。
結婚式でよく使われますが、私から見ますと「幼い比翼の鳥」の姿で微笑ましく可愛らしく・・・。
これから気持ちを切り替えてより良い時間を重ねられるよう、
2人して力を合わせて新しいスタートをきって欲しいと心から願っています。
本当に久しぶりに4人でいい時間を過ごさせていただきました。
直君(いつまで経っても子どもの時の呼び方です)、佐知子さん、お疲れさまでしたね。
まだまだこれからが人生の最も大切な時間ですよ!一緒に頑張りましょうね
昨日は、e-taxソフトで確定申告を済ませました。
毎年この時期になりますと憂鬱ですが、面倒なことは早く済ませたいですよね。
e-taxソフトをダウンロードしての申告は今回で5回目です。
主人は肺炎球菌ワクチンを接種しましたので、
昨日初めて西部保健センターに補助金申請(65歳以上で二千円)の手続きに行きました。
インターネットで地図をダウンロードして渡しましたら、
「何だか不便そうだな。」と言いながら
「どんな所にあるのか行ってみよう。」と興味津津で出かけまして、全く子どもと一緒です。
ただ少しでも自分の足で歩いて志津の中を知ることはいいことですよね。
願わくば、体が不自由な方達がタクシーを使わないで行ける場所にあるともっといいのですが。
健常者を基準に建物が有り、お年寄りのためにも、これもまた工夫されることを願ってます。
佐倉の方は特に城下町で坂が多く、
文化財巡りにしましても「歩いて」というのは健常者を基準にしていますよね。
文化は健常者も障害者もそして老若男女も、一様に平等に享受する権利があります。
何とか工夫できないものでしょうか?
間もなく帰って来ました主人が浮かぬ顔をしていましたので、「どうしたの?」と尋ねたら、
女性が一人だけいて、必要な書類を持って行っていたにも関わらず疑われましたようで、
「不審に思うのなら、病院に直接問い合わせて下さい。」と言ってきたとか。
気分良く出て行って、憂鬱な気分で戻って来たようです。
僅か二千円のことでも、気持ちよく申請できる環境がないと、特にお年寄りは「行けなく」なりますよね。
写真は大蛇にお神酒を飲ませているところです。
大蛇を作り終えた後、皆で会食しながら話に花が咲きました。
この時間が本当に豊かで面白くて楽しくて、最後まで大笑いでした。
地域の事を語りつつ、お互いに学び合うことができる人達です。
家に牛馬がいた頃のお話も久しぶりに耳にしました。
暴れ馬といわれた馬を引き取ったらどういうわけかおとなしくなり、
5歳だったターボあんちゃんがその馬に乗って、蹄鉄を打つために井野町に行ったという話も、
「よく振り落とされなかったね。」と、みんな感嘆しながら聞きました。
馬の方がちゃんと人を見ていたのかも知れません。
一人耳が遠いお年寄りがおられますが、
突然大きな声でそれまでの話とは全く関係ない話を切り出すのでまたそれで座が賑わったりで。
自然に醸成されたこの仲間の雰囲気は、
優しさと後でジワッとくる温かさと、掛け替えのない見えない絆を感じさせてくれるものでした。
用が有って食事までで失礼しましたが最高の1日になりました。
今日は井野の辻切りでした。
朝9時前には4番組の宿につき、皆が集まるのを待ちました。
1年ぶりに会う皆さんが、何となく昨日も会った人のようでしたので本当に嬉しくて。
空気のように当たり前になってきているといいのですが。
東京の中野の方から取材に来られた方に小辻作りを勧めましたら、
最初は四苦八苦なさっていましたが、見事に頭を作り上げましたので驚きました。
胴体は縄を綯うかたちに作ります。
こちらは流石にワラが転ばず、私が教えていただいた時を思いだしました。
結局ベテランの和子さんにお願いして作っていただきました。
きっといい経験になられたことでしょうね。
ただ写真をとるだけでなく、実際に作って見ることで分かることて大きいですよね。
写真は今年の4番組の7~8mもありそうな立派な大蛇で、宿のお宅の生け垣に置いて見たところです。
今年も1年間みんなを守って下さいね。
(明日は東邦に行く日です。)
明日は井野の「辻切り」です。
私も一員にしていただいて数年が経ちますが、まだ休んだことが有りません。
一昨年と昨年、続けて顔が見られなかった明るく楽しい静子さんに今年は会えそうです。
不幸が有ると出て来られません。
「四十九日が過ぎていればいいのでは?」と言われる方もいます。
下手をすると1~2人になるかも知れないので、こんな風にお考えになる方も出てきたのですが、
難しいですよね、もともと少数の所は人数の兼ね合いが有りますから。
途中で失礼するかも知れませんが、私も行って参ります。
今総代さんをなさっている方のお母様(せんさん)は青菅分校の先生をなさった方で、
生前毎日のように昔のお話を伺わせていただきました。
時間て、本当に夢のように過ぎますよね。
「女性でこんな素晴らしい凄い方がおられた。」と、この出会いに深く感謝したものでした。
平成元年この方の御主人様の弟さんが区長の時に井野の屋号を教えていただき、
「廿日オビシャ」に参加させていただいたのがきっかけでした。
私のお財布の中には今もこの方(せんさん)の戒名が入っています。
私なりの「小辻」を作らせていただくのを楽しみに、明日も参加させていただきます。
この組では「たーぼあんちゃん」こと忠さんと吉一さんが、
従妹同士で息もピッタリで、爽やかなそして和やかないい雰囲気を醸し出してくれますよ。
桃太郎の鬼退治といえば悪さをする具体的な赤鬼・青鬼が設定されていますよね。
この「鬼」についてゆっくり考えてみられたことはありますか?
日本人の一般的な感覚の中には、悪いことをもたらすものは全て「鬼」であり、
追い払うべき存在として捉えられてきました。
この鬼には「神」という感じはありません。
果たして「鬼」とは?
『古代は生きている』(彩流社)という本には次の内容が記されています。
匈奴の天神崇拝は、卑弥呼の時代の鬼神信仰につながる。
天神と鬼神を別物にしたのは仏教である。
卑弥呼の「鬼道」は「神の道」、「鬼」は「神」の意で、先住民の「鬼神」を罵倒しなければ、
新興仏教の伸長が望めなかった。中国側があてた漢字である。
面白いですよね。
民俗行事で見ますと「鬼は内」と豆まきをする所も有り、
おご馳走を沢山作り、裃をつけて玄関から鬼を招き入れ、十分な接待で一夜を過ごしてもらいます。
その代わり翌日には「家中の悪いものを持って行って下さい。」とお願いします。
つまり「一歩も家には入れない。」というのではありません。
鬼は食べ物に弱いという考えは『記紀』にも出て来ます。
何だか人に近くて可愛らしいですよね。
裃で迎え、悪いものを全部持って行って下さるとしたら・・・「神様」のような「鬼」ですよね。
こんな風に一言で「鬼」と言いましても、色んな意味合いを込めて考えられて来ています。
各地の「鬼」を探してみますと楽しいですよ。
オビシャの的に書かれた「鬼」の意は、また違いますよね。
いずれにしましても多彩な顔を持つ豊かな「鬼」が、愉快にも日本中駆け巡っています。(笑)
今月25日は井野の辻切りです。
本村と言われる地域で昔ながらの5番組に分かれて6体の大蛇を作り、
井野原で2体の大蛇を作って村境や地域の境の道端の木に掛け、
外から悪疫が入って来るのを防ぐとともに五穀豊穣を祈願して行われます。
以前は7体でしたが井野原が2つに分かれましたので、
計8体の大蛇に守られて旧村も井野原も今年一年を過ごします。
(写真は去年の辻切りの時のものです。)
昔は病院は志津地区には一軒しかありませんでしたが、
そのお医者さんに罹ることすらなかなかできず、息を引き取る寸前に診ていただくような状態でした。
人の往来によりもたらされる伝染病などは防ぎようが無いですよね。
目に見えないものの恐さは特に大きかったと思います。
では今は沢山病院が出来たから安心だ・・・という訳にはいきませんよね。
逆にお医者様や病院に対する不安感や不信感が強くなっていたりします。
日本人は特に特に「辻」に対する昔から「この世」と「あの世」が繋がる所と考えられ、
先祖の霊も含めて良いものも悪いものも出入りする所と考えられてきました。
要するにこの世を往来する目に見えない悪いもののみならず、
あの世からも悪いものが入って来るのを防いでいます。
昔からの行事を調べてみますと、
今日の生活の中で分からなくなりました日本人の細やかなものの考え方が、
発掘された宝物のように一つ一つ見えてきます。
そしてそれは書き留めるだけでなく、どんな時代になっても見失ってはならないものも沢山含まれています。
今日は16日に罹りました近くの眼科の紹介状を持って参りまして、
初めて東邦大学佐倉病院の眼科に罹りました。
目の病気に悩まされている人の多いこと、行ってみて初めて分かりますよね。
でも私の母世代の人が娘さんや息子さん、お嫁さんに付き添われ気遣われながら、
車椅子で移動なさっているのを拝見したのは微笑ましく心も温まるものでした。
また本当に寂しそうな寡黙なお年寄りの姿も少なからず見られました。
みんな頑張って生きて来たのに、どこかで何かを間違ってしまったのでしょうか?
それとも今の日本の社会の在り方そのものに根本原因があるのでしょうか?
たとえどんな時代になろうとも、詰まる所「子の心」「人の心」です。
そして自分が親にしたことは何時かそのまま自分に帰って来るということを、
考えもしない人が余りにも多過ぎますよね。
昔読んだ「木のお皿」が出て来るお話、覚えていますか?
今日は自分の事より人の姿に考えさせられました。
時には病気になることも大切なことですね。
来週は少し厳しい治療が待っていますが、でも頑張りますよ、ねぇ、マロン!
今日17日は阪神大震災から17年目であり、私の母の誕生日でもあります。
阪神大震災は朝5:46でしたが、東北大震災は午後2:46でした。
「46」という数は何かあるのでしょうか?
それはそれとして、「お母さん、お誕生日おめでとうございます!」
母はお蔭さまで91歳になりました。
デンマークカクタスのお花が14日に一輪咲きました。
不思議ですね、14日の「どんどれえ」の日の朝でした。
以前書きましたように、シャコバサボテンが北欧で改良されたものです。
大体全ての葉に蕾がついていますが、
まだゴマ粒ほどのものから、ある程度大きくなっている蕾までさまざまです。
葉が2~3節(一節が小さくて短い)しかないのに、お花は大きいので何とも不釣り合いの妙です。
命て本当に温かいものですね。