今日は仲秋の名月が見られるといいですね。
仲秋無月では残念ですが、見えない月を心に思い描き祈ることも、
また天意にかなっているように思われます。
マロン君は午前中に八種混合のワクチンを受けに行ってきます。
朝5時過ぎの散歩で疲れたようで、今スヤスヤ眠っているのですが。
「十五夜お月さん ごきげんさん・・・・・・・
」(野口雨情作詞・本居長世作曲ですね)
今日は久々にお箏を出して弾いてみたいと思っています。
今日は敬老の日ですね。
本当は毎日が敬老の日のはずですが、
こんな日でもないとお年寄りを敬う心も持てない世の中になっているのが残念です。
お年寄りの居場所がなくなっているということは、いずれ必ず私達の居場所がなくなるということです。
認知症にかかっている人も、大病をされて病院で過ごされていたり、またお元気で過ごされている方々も、
皆精一杯この世を生き抜かれ、私達を分身としてこの世に送り出して下さった命の源そのものです。
生活の状況の違いはあっても、私達が幼い時は100%親を頼り、また守られてきましたよね。
またもし諸事情で不幸にして幼い時に親の愛情を十分に受けられなかったとしても、
親を恨み憎む心に縛られているとすれば、親から愛情を受けられなかった以上に不幸なことです。
その親が晩年を迎えて肉体的にも精神的にも衰えてきた時、この時こそ全力をあげて守りたいですよね。
母は89歳になりましたが今福岡で頑張って生きてくれています。
若い時から絵も書もまた詩も上手、手先が器用でしたので私達のお洋服はよく縫ってもらいました。
当時の国家公務員は今とは違って俸給は本当に少なく生活も大変でしたが、
母はその性格からか楽しむことを忘れませんでした。
例えば植物が大好きでしたので、人がなかなか育てられない植物も上手に育てました。
月下美人など一鉢に5~6個の大輪の花を咲かせ、私達も夜中に咲いているのを驚いて見たものでした。
母はどんな時でも自分で楽しむものを見つけていたように思います。
私が越えられないのは母かも知れません。
本当は毎日が敬老の日のはずですが、
こんな日でもないとお年寄りを敬う心も持てない世の中になっているのが残念です。
お年寄りの居場所がなくなっているということは、いずれ必ず私達の居場所がなくなるということです。
認知症にかかっている人も、大病をされて病院で過ごされていたり、またお元気で過ごされている方々も、
皆精一杯この世を生き抜かれ、私達を分身としてこの世に送り出して下さった命の源そのものです。
生活の状況の違いはあっても、私達が幼い時は100%親を頼り、また守られてきましたよね。
またもし諸事情で不幸にして幼い時に親の愛情を十分に受けられなかったとしても、
親を恨み憎む心に縛られているとすれば、親から愛情を受けられなかった以上に不幸なことです。
その親が晩年を迎えて肉体的にも精神的にも衰えてきた時、この時こそ全力をあげて守りたいですよね。
母は89歳になりましたが今福岡で頑張って生きてくれています。
若い時から絵も書もまた詩も上手、手先が器用でしたので私達のお洋服はよく縫ってもらいました。
当時の国家公務員は今とは違って俸給は本当に少なく生活も大変でしたが、
母はその性格からか楽しむことを忘れませんでした。
例えば植物が大好きでしたので、人がなかなか育てられない植物も上手に育てました。
月下美人など一鉢に5~6個の大輪の花を咲かせ、私達も夜中に咲いているのを驚いて見たものでした。
母はどんな時でも自分で楽しむものを見つけていたように思います。
私が越えられないのは母かも知れません。
御巣鷹山の日航ジャンボ機墜落事故からもう25年も経ったのですね。
今日は台風4号の接近の影響で風が強く吹いています。
昨日T.V.で当時8歳の男の子を一人乗せた母親が登拜される姿を拝見しました。
甲子園で高校野球を見に行くことを楽しみに大阪のおじさんの所に出かけたということでしたが、
どんなにか恐かったことでしょう。
T.V.では当時体の一部と片腕が見つかったと話されていました。(手のイボが手掛かりで)
母親の悲しみも癒えることはないですよね。
墓標が立てられている場所には仏像が置かれ、お菓子が沢山供えられていました。
今日は前原国土交通大臣も登拜されるとか、さすが前原大臣と思っているところです。
改めてこの520人の方々の御冥福を心から祈りたいと思います。
やはり風化させてはいけない事故ですよね。
今朝は庭木にとまっているようでミンミンゼミが思いっきり鳴いています。
昨日弟がお盆で福岡に帰りましたが、福岡の母と退院した後はじめて電話で話しました。
「お母さん、退院おめでとう!」
いつもいつも帰りを待ってくれて本当に有難いことです。
「笹の葉さらさら 軒端に揺れる お星さまきらきら 金銀すなご
五色の短冊 私が書いた お星さまきらきら 空から見てる」
七夕ですね。そして我が家のマロンくんの誕生日でもあります。
改めて子どもの頃から歌ってきました「七夕さま」の歌を口ずさんでみますと、
日本語の美しい響きや流れるような言葉の連なり、そして生み出された旋律、
日本人の心を感性豊かに培ってきたものが何であったかに気づかされます。
私達日本人は全て平等に、こんなに素晴らしい財産を受け取って来ていたということにも。
中国にルーツを持つこの行事も長い歴史の中で日本人の心になって来ていますよね。
私達自身は何も生み出すことが出来なくても、
次の世代に例えばこんな歌や織姫・彦星のような伝説を伝えるだけでも、
日本人の心を伝える幸福な役割をになったことになるのではないでしょうか?
マロンくんはお蔭さまで10歳になりました。
マロンの願いも天に届きますように短冊に書いて笹に吊るします。
(写真は今朝咲き始めたバラです。)
五色の短冊 私が書いた お星さまきらきら 空から見てる」
七夕ですね。そして我が家のマロンくんの誕生日でもあります。
改めて子どもの頃から歌ってきました「七夕さま」の歌を口ずさんでみますと、
日本語の美しい響きや流れるような言葉の連なり、そして生み出された旋律、
日本人の心を感性豊かに培ってきたものが何であったかに気づかされます。
私達日本人は全て平等に、こんなに素晴らしい財産を受け取って来ていたということにも。
中国にルーツを持つこの行事も長い歴史の中で日本人の心になって来ていますよね。
私達自身は何も生み出すことが出来なくても、
次の世代に例えばこんな歌や織姫・彦星のような伝説を伝えるだけでも、
日本人の心を伝える幸福な役割をになったことになるのではないでしょうか?
マロンくんはお蔭さまで10歳になりました。
マロンの願いも天に届きますように短冊に書いて笹に吊るします。
(写真は今朝咲き始めたバラです。)
今日は主人の妹の祥月命日です。
去年の今日の夜義妹の一人娘から電話連絡を受け、ただただショックで言葉になりませんでした。
慌てて準備をして翌13日にマロンをペットホテルに預け、
主人とともに新幹線に乗ったのですがお通夜に間に合いませんでした。
斎場に着くとそこにはまぎれもなくお棺に横たわった義妹の姿がありました。
「晴美さん、早く起きんね!」を繰り返したのを覚えています。
そして一年経ったのですね。
今日シャクヤクが一輪咲きました。
母親に似た晴美さんの何とも言えない美しさ可愛さには及びませんが、
あなたのことを思って咲いてくれたようでこの花にも心から合掌しています。
晴美さんの美しい笑顔が、そして声が聞こえてくるようです。(写真の差し替えあり)
去年の今日の夜義妹の一人娘から電話連絡を受け、ただただショックで言葉になりませんでした。
慌てて準備をして翌13日にマロンをペットホテルに預け、
主人とともに新幹線に乗ったのですがお通夜に間に合いませんでした。
斎場に着くとそこにはまぎれもなくお棺に横たわった義妹の姿がありました。
「晴美さん、早く起きんね!」を繰り返したのを覚えています。
そして一年経ったのですね。
今日シャクヤクが一輪咲きました。
母親に似た晴美さんの何とも言えない美しさ可愛さには及びませんが、
あなたのことを思って咲いてくれたようでこの花にも心から合掌しています。
晴美さんの美しい笑顔が、そして声が聞こえてくるようです。(写真の差し替えあり)
今日は母の日ですが、また私の父の月命日でもあります。
皆さんのご家庭でもきっと子どもさん達から様々なプレゼントが贈られるのでしょう。
それが肩たたきであっても嬉しいものですよね。
でも本当は毎日が父の日・母の日であり、そしてお爺ちゃんお婆ちゃんの日でないとおかしいですよね。
勿論子どもの日でも曾祖父や曾祖母の日でもあるのですが。
この厳しい時代だから一層家族がお互いを思いやり、ともに生きている人々を大切にしたいものですね。
簡単に切れるのではなく自分自身を顧ることが必要ですよね。
写真は我が家の庭のクレマチスで白の八重です。
花弁が開きかけていますが、一見するとまるで菊の花のようでしょ?
開いてしまうと全く違うのですがこの姿もまた美しいですよね。
皆さんのご家庭でもきっと子どもさん達から様々なプレゼントが贈られるのでしょう。
それが肩たたきであっても嬉しいものですよね。
でも本当は毎日が父の日・母の日であり、そしてお爺ちゃんお婆ちゃんの日でないとおかしいですよね。
勿論子どもの日でも曾祖父や曾祖母の日でもあるのですが。
この厳しい時代だから一層家族がお互いを思いやり、ともに生きている人々を大切にしたいものですね。
簡単に切れるのではなく自分自身を顧ることが必要ですよね。
写真は我が家の庭のクレマチスで白の八重です。
花弁が開きかけていますが、一見するとまるで菊の花のようでしょ?
開いてしまうと全く違うのですがこの姿もまた美しいですよね。
今日は私の妹・知子さんの誕生日です。
毎年お互いの誕生日には電話で「おめでとう」とお祝いの言葉を贈っていますが、
この先何度このHappy Birthdayの messageが贈り合えるかもまた楽しみです。
誰もがすぐ年齢を尋ねますが、私の場合は“この日に生まれたその奇跡を祝う”のが一義的な意味です。
そしてどういう縁か姉妹に生まれてきた感謝の思いでもあります。
勿論生きてきた軌跡を振り返ってみたり、年輪の重みをジワッと受け止めてみたりでもありますが、
その上でこの先をいかに生きるかが最も問われてもいるのですよね。
午後電話しますよ~!
写真は庭のチェリーセージで独特の香りがあって素敵ですよね。
毎年お互いの誕生日には電話で「おめでとう」とお祝いの言葉を贈っていますが、
この先何度このHappy Birthdayの messageが贈り合えるかもまた楽しみです。
誰もがすぐ年齢を尋ねますが、私の場合は“この日に生まれたその奇跡を祝う”のが一義的な意味です。
そしてどういう縁か姉妹に生まれてきた感謝の思いでもあります。
勿論生きてきた軌跡を振り返ってみたり、年輪の重みをジワッと受け止めてみたりでもありますが、
その上でこの先をいかに生きるかが最も問われてもいるのですよね。
午後電話しますよ~!
写真は庭のチェリーセージで独特の香りがあって素敵ですよね。
父の二十三回忌の法事も終わり昨日福岡から戻って来ました。
本当の命日は今日9日です。
飛行機の窓から、今まで見た中で一番美しい姿の富士山が見られました。
まさに“霊峰富士”の姿で、
何度も飛行機を利用しているのに皆の歓声を耳にしたのは初めてのことです。
羽田で手荷物を受け取って京急線の駅に向かいましたら、
成田行き「快特」が待っていましたので乗り換えることなく戻ることができました。
今回は二ヶ月前に法事の日が決まっていましたので、
インターネットでANAの「超割」を利用させていただきました。
ローソンで簡単な機械操作をしてお金を振り込むだけで取れます。
ご住職が遠く離れている家族のために配慮をして下さいました。
一人の思いも大切にして下さったこの心遣いが本当に有難いことでした。
滅多に会わない甥二人に会った時には本当に驚きました。
立派に大きくなって頼もしい限りです。
色んな事が少しずつ分からなくなっていく母も、最後まで頑張って参加しました。
お母さん、元気でね
本当の命日は今日9日です。
飛行機の窓から、今まで見た中で一番美しい姿の富士山が見られました。
まさに“霊峰富士”の姿で、
何度も飛行機を利用しているのに皆の歓声を耳にしたのは初めてのことです。
羽田で手荷物を受け取って京急線の駅に向かいましたら、
成田行き「快特」が待っていましたので乗り換えることなく戻ることができました。
今回は二ヶ月前に法事の日が決まっていましたので、
インターネットでANAの「超割」を利用させていただきました。
ローソンで簡単な機械操作をしてお金を振り込むだけで取れます。
ご住職が遠く離れている家族のために配慮をして下さいました。
一人の思いも大切にして下さったこの心遣いが本当に有難いことでした。
滅多に会わない甥二人に会った時には本当に驚きました。
立派に大きくなって頼もしい限りです。
色んな事が少しずつ分からなくなっていく母も、最後まで頑張って参加しました。
お母さん、元気でね

明日は「立春」、昔はこの日が一年の始まりでした。「立春年初」です。その前日が「節分」で、この日には色々な悪いもの(禍もの・まがもの)が出て来ると考えられてきました。ですから悪いものを祓うというのが根本です。昔は四季の変わり目に「節分」があったのですが、どうして一回だけになったのでしょうね。
井野の故てるさんのお宅では、コエカゴにヒイラギ・グミ・豆がらを結わえ、それに焼いたイワシの頭をさし、そのカゴを長い竹竿の先に逆さに吊るして一階の屋根に最近は(誰もしなくなって恥ずかしいからと)夕方立てかけました。朝になると「鬼」がかかっているというのです。今はこうした光景もほとんど見られなくなりましたが、以前はほとんどのお宅でショイカゴ(カヅキカゴ)やその他編み目の大きなカゴに同様の準備をし、昼ごろ軒先にたてかけました。誰も行わなくなっても、てるさん宅ではきちっと続けられました。そして自家製の大豆をフライパン(昔は焙烙・ほうろく)で炒り、一升枡に入れて神棚に供えておきますが、地域の年配者は自分の家は勿論のこと、鎮守の八社大神や愛宕様などの地域の神々を巡り豆まきをしました。
町場の家庭では、ストアで柊・豆がらのセットと豆まき用の大豆を求めて行っていますが、後で拾うのが大変とか掃除が大変という理由でまかないお宅も増えているようです。我が家では「鬼は外、福は内」ですが、「鬼は内」とか「福は内」のみを唱える所もあります。「鬼」も扱いようで「福の神」になるという考え方からです。いずれにしても、私たち現代人の生活が色々な意味で曖昧になっていることで、「まがもの」が跳梁跋扈(ちょうりょうばっこ)する世の中になっているような気がします。
我が家は思い切り豆まきをします。年の数だけの豆は食べられませんが(笑)、
「鬼は~外、福は~内」ブログもスッキリ!
井野の故てるさんのお宅では、コエカゴにヒイラギ・グミ・豆がらを結わえ、それに焼いたイワシの頭をさし、そのカゴを長い竹竿の先に逆さに吊るして一階の屋根に最近は(誰もしなくなって恥ずかしいからと)夕方立てかけました。朝になると「鬼」がかかっているというのです。今はこうした光景もほとんど見られなくなりましたが、以前はほとんどのお宅でショイカゴ(カヅキカゴ)やその他編み目の大きなカゴに同様の準備をし、昼ごろ軒先にたてかけました。誰も行わなくなっても、てるさん宅ではきちっと続けられました。そして自家製の大豆をフライパン(昔は焙烙・ほうろく)で炒り、一升枡に入れて神棚に供えておきますが、地域の年配者は自分の家は勿論のこと、鎮守の八社大神や愛宕様などの地域の神々を巡り豆まきをしました。
町場の家庭では、ストアで柊・豆がらのセットと豆まき用の大豆を求めて行っていますが、後で拾うのが大変とか掃除が大変という理由でまかないお宅も増えているようです。我が家では「鬼は外、福は内」ですが、「鬼は内」とか「福は内」のみを唱える所もあります。「鬼」も扱いようで「福の神」になるという考え方からです。いずれにしても、私たち現代人の生活が色々な意味で曖昧になっていることで、「まがもの」が跳梁跋扈(ちょうりょうばっこ)する世の中になっているような気がします。
我が家は思い切り豆まきをします。年の数だけの豆は食べられませんが(笑)、
「鬼は~外、福は~内」ブログもスッキリ!


「生かされている」ことを噛みしめることではないでしょうか?