きさらさら日記

日々のいろいろ雑記帳 by:kisarasara

ただいま

2008年09月25日 16時18分02秒 | 徒然
帰ってきました~
まちミューでは古いレコード掘り返して
聞いていて、島倉千代子が気に入っちゃったので
そればっかり。
これからは島での宴会もこわくないわ!?

あしたから居ないよう&【祝島の大事なこと】

2008年09月10日 19時32分40秒 | 祝島
まちミューが始まるので
明日から東京を離れます。

来てくれる人は向こうでお会いしましょ。
台風来るらしいけど、それもまたよきかな。


祝島のこと
気にしてくれている方は
この隙に(?)
下記読んでみてね。



■映画「祝の島」監督のあやちんブログhttp://holynoshima.blog60.fc2.com/

■祝島ホームページhttp://www.iwaishima.jp/


それから大事なこと。

ブログではまだ触れていなかったけれど
祝島は上関原子力発電所の
予定地のすぐそばの島です。
知ってる方もいるかもしれませんが
26年前から島の人たちは
反対し続けています。

いちばん大きな理由は
原発をつくることによって
海を埋め立てたり
水温が変わることで
島の人たちがいちばん大切にしている
漁場でもある
海が死んでしまうから。

漁ができなくなったら
いま島で暮している人たちも
島を出ざるを得ないことになるでしょう。

そうしたらあの人たちの
すごく気持ちのいい笑顔や
つながりあって生きている構図は
どこへいっちゃうのよ。


抗議行動の映像を見ると
いつもは優しい顔をした
島のおっちゃんやおばちゃんたちが、
信じられないくらい
おんなじ人とは思えないくらい
こわい顔をしているんだよ。

それを見ると私は
いてもたってもいられない気持ちになる。

あの人たちが、あんな顔するのは、やだ。


祝島日記その6【あだ名】

2008年09月08日 23時36分25秒 | 祝島
島の人たちが
みんな仲良しだな~
と思うのには、
あだ名効果がけっこうあるんでないかな、と思う
島の人たちには
ロケ隊が行く時に
お家を借りることから
船に乗せてもらったり、
いろんなもの貸してもらったり、
言い尽くせないほど全てにおいてお世話になっている。
のだけれど、
そのみんながあだ名で呼び合っている。

ひさちゃん
のぶちゃん
としぼう
よしぼう
のりちゃん
よっちゃん・・・・

これがなんともよくて。
きっとこどもの時から
おなじように呼び合ってきたんだろうな。

集まって飲んでると
こどもの時から
それぞれの役割がや関係性が
変わってないんじゃないかと思って、
いや、変わってたとしても、
それがずっと地続きな感じがあって
なんかおかしい。
おっちゃんの集団が
少年の集団に見えてくるんだよ。

ふしぎよ。

んで、わたしも、ちゃっかりあだ名で呼ばせてもらってる。
だって、ここだけの話、あだ名ばっかで呼び合うから
本名が!・・・ちょっぴりあやしいってぇわけよ。


↓飲み会風景。
 神舞で大分から来た里楽師さんたちも混じってわいわい。
 島の家にはレーザーディスクのカラオケの機械が完備されとるのです。
 曲数かなり充実。演歌ばっかりだけど。

祝島日記その5【島の人たち】

2008年09月08日 15時46分46秒 | 祝島
7月と8月、あわせて10日くらいしか
島に滞在していない私だけれど、
人口530人の島ではあっという間に顔見知りが増える。

海沿いの軽トラがすれ違えるくらいの道を歩いていると、
あっちにもこっちにも知ってる顔。

だいたい島の若手と言われる人は50代、60代で
その人たちの動向がわかると
島でおもになにが動いているかわかる。

神舞に関わることはもちろん
島での生活の端々までに、知ってる顔がある。

商店の商品を船で街から運んでくるのは、あの人。
みんなが出したゴミを運んで行くのは、あの人。
停電の夜、たぶん夜中に奔走していたのは、あの人。
今日の消防の当番は、あの人とあの人。

だんだんわかってくると
買い物をする時も、ゴミを出す時も、
なんだか背筋が伸びる。
その先にいる人の顔が見えるから。

東京にいるとそんなことはないな。
お隣さんの顔もわかんないもん。
ゴミ持って行ってくれる人なんて全く知らない。

たった10日の私がこんなんなのだから
ずっと島で暮している人たちは
どれだけのつながりを感じてるんだろう。
島は大きい家で、その家族が530人いる。
そんな感じ。

「自治体」っていうものに
自分が所属していると思ったことはないけど
祝島に行ってはじめて
「自治体」という言葉の意味が分かった。

きれいごとじゃなく自然に
みんなが力を出し合って
あるものを分けっこしあって
暮している。

そこにはなんともいえない
ひとの輪があって、
私はそんな関係に
すごいあこがれちゃう。な。



「まち」がミュージアム!2008

2008年09月02日 12時06分11秒 | まち
今年も9月がやってきた。
わたしの9月といえばここ8年
「まちミュー」に終始しているのです。

わたしの育った富士吉田のまちは
富士登山の入口、
富士山が壁のようにそびえ立っている場所です。


昔は富士登山と織物で栄えていたらしく
まちのメインストリートを挟んで
東側が織物屋さんエリア
西側が飲み屋エリア。

一時は人口に対して
飲み屋が日本一多い街だったそうな。
自慢するよな事実じゃあないけれど、
なんかおかしくてわたしは気に入ってる。

その飲み屋街も今やってない店が多くなり
ごちゃごちゃとした路地はそのままに
空き店舗の方が多くなってしまったくらい。


「まち」がミュージアム!は
2000年に富士吉田市制50周年の記念に
市民から催し物の企画を公募する
というときにひとりのおっさんが
思いつきで応募したのが始まり。
市の公募の審議からはあっさり外れ
こりゃ実現しないか、
とおもいきや、
市役所の若手職員氏が
なにを思ったか拾って推薦。
まんまと実現の運びとなったのでした。


【見る聞く歩く新発見 アートによる「まち」再生美的主義】
という副題がついているのだけれど
まあそんなに格好いいものでもなく。

ただ、作品を見るという名目で
普段ぶらりと歩くことのなくなっちゃった
「まち」を歩いてみる。
そこでいつもと違うものに出会うかもね。
というもの。
空き店舗のうち数件を借りて
現代美術作品を展示。


なんだかわからない現代美術作品たちを見ると
自分の目がいつもと違うスイッチに切り替わって
まちもなんかいつもと違う風に見えてくる。
そうすると脳みそも違うスイッチに
切り替わるような気がしてくる。
そんなことを毎年9月のまちミューになると思うわけです。
まあ、あくまでも、私は、ですけどね。


まちおこしをしよう、
というのが目的の企画じゃないので
わかりにくいなあ、
と思う人もいるだろうけれど。

まちは起こそうとして起きるもんじゃない。
せっかく寝た子は起こさんでいい。
などどあまのじゃくなことを言うおっさんが
中心人物なのでよけい混乱する人もいるだろうけれど。

たしかに8年経って思うことは
たいして状況は変わるもんじゃない。

でも関わってきた人のおなかの中には
なんかちっちゃい種が植えられて
それは発芽するのかしないのか、
そんなことはどっちでもいいんだよな~
とおもいつつ、
でも確かに種は植えられたのよ。
幸か不幸か私のおなかにも。

****************

そんなことはさておき、
9月の山梨はすずしくて気持ちがいいよ。
昭和レトロ流行も食傷気味かもしれないけれど
吉田のまちは昭和そのまんま。
たまには散歩もたのしいですよ。
ヘンな人もちょいちょい集まってておかしいですよ。

今年は9月13(土)~21(日)

出展者は、
9回目の今回まで無欠勤の猛者3人

■関西からやってくる嵐、とんでもなくパワフルやんちゃおっさんグループ
 堀尾貞治+現場芸術集団「空気」


■美しさの裏に隠れた見えない積み重ね。矢部史朗氏。


■静かにしてるけどいちばん変。な関口国雄氏。


その他に写真家のおふたり
中里和人さん (言わずと知れたまち歩きのスペシャリスト!)
■白石ちえ子さん (初写真集出版したばかり。中野の冬青社ギャラリーでも展示中)


そのほか
昭和なスター小研究
「力道山」
「月光仮面」
「春日八郎」
(わたしはこのためにこのまえの休日には
力道山の建てたマンションとお墓をめぐりました。)





関連企画として
■前夜祭 友川カズキLIVE@西裏
 9月12日(土)19:30OPEN/20:00~ at:ギャラリー野ばら
 
■俺たちの西裏思ひ出酔夢譚 スライド+トークショウ
 9月14日(日)19:00OPEN/20:00~ at:JAZZ BAR NOW

■玉井康成 ミリオン通りDE夕暮れダンス
 9月15日(月祝)17:30~ atミリオン通り

■富士山学講座 「御師の町・上吉田」
 9月18日(木)18:30OPEN/19:00~ at:御師 旧外川家住宅

■詩の朗読会 
 9月20日(土)20:00OPEN/20:30~ at:シアンクレール


その他、まちミュー期間のみ営業の
☆ミュージアムショップ
☆まちミュー古書店
☆立ち飲みBar
もあります。

去年のまちミューでチャレンジショップとして営業した
ネパールカレー屋「リンカ」が実店舗としてオープン。
地元の女の子とチベット系ネパール人の旦那さんがやってます。


この前ちらっと書いたバートタンなども。


ちなみに、「まち」がミュージアム!は、
10回でこのかたちは終わりにして
また別なことをやろうよ、
ということになっています。

あとで泣いても知らないからね。
なんつって。

ぶらりと散歩においでませ。

祝島日記その4【入船】

2008年09月01日 23時53分55秒 | 祝島
まずは最初に伊美の船が打ち上げられたという
三浦湾に神様船がやってくる。
高台から撮影。




お迎えする櫂伝馬と漁船たち。


その櫂伝馬には、約20人の漕ぎ手と
サイヘイとケンガイと呼ばれる
舞い手が乗っている。
朝からメイク。





やってきた神様の船は
三浦での神事の後、集落のある港のほうへ回り、
お迎えの漁船、櫂伝馬と1列になって
ぐるぐると大きく3周まわる、
入船神事のハイライト。

笹栗さんとわたしは
1周目を防波堤で
2周目を高台で
3周目を港の目の前の旅館の2階で
それぞれ撮影するため
なんだか分刻みスケジュール!

高台から。
船がぐるり輪になってるの、
見えるかな。


港に入る櫂伝馬


迎える人々。。。。
2周目くらいからぽつりぽつりと降ってきて
かなりの雨に。




雨とともに神様が島に上陸。
待ってました!とばかりに迎え入れる
群衆が印象深い入船でした。

そろそろ書き疲れてきたので
つづきはまた!

祝島日記その3【神舞とは】

2008年09月01日 23時04分49秒 | 祝島
4年に一度、オリンピックの年にやってくる神舞(かんまい)。

その昔、大分の伊美の人たちが
京都の石清水八幡宮から、
分霊を乗せて帰る途中、
嵐にあって祝島にうち上げられ
そこに暮していた人たちに助けられたそうな。

島の人たちは厳しい自然環境の中
生活に苦しんでいたのを
それをきっかけに農耕が始まり
暮しがよくなっていったそうな。

そのお礼に年に一度
伊美別宮社(石清水八幡宮の別宮)へ
「おたねもどし」といって
島でできた作物を奉納するそうな。

そうして交流が始まり、
4年に1度は伊美別宮社から
宮司さん、里楽師さんが島へやってきて
お祭りをおこなう、というわけ。

神舞の年、島の人たちは半年以上前から
準備に取りかかり、神舞が始まるまでが祭り、
始まったら島に帰ってくる親戚たちのもてなしに
徹する、と。

その“島の人たちの祭り”である準備風景を撮るため、
あやちゃんたちは1週間前から島に来ていたのでした。
準備についてはここをぜひ見てね。

で、お祭りの1日目は「入船神事」
その名のとおり、
神様が船でやってくる。
島の3隻の漁船が
伊美まで神様を迎えに行き、
島では櫂伝馬や漁船たちがそれをお迎えする。

あやちゃん、大久保さんは海の上チーム。
普段は2人の撮影隊、
今回は特別に大久保さんの所属する
KBC映像の笹栗社長が自らカメラをまわしてくださることに!

そんなわけで
笹栗さんとわたしが陸上チーム。
高台から船がくる様子などを撮影するため、
軽トラで島をちょこまか行ったり来たり。
わたくしはもっぱら運転手ということで。

祝島日記その2【停電】

2008年09月01日 22時19分07秒 | 祝島
書き始めると調子に乗ってくるのに
なかなか始められないのはどうしてかな。
わるいクセじゃ。

んなわけで続き。

島での宿泊は民宿ではなく、
空いているお家を貸していただいて自炊の合宿状態。
15日は次の日に備え
撮影場所の下見などして
早めに休もう。。。

と思っていたらなんと!
島じゅうが停電になっちゃった
いつもより格段に人口が増えて
電気の使いすぎかしら?
ちいとも復旧しないので
暗闇の中でヘッドライトの灯りで
打ち合わせして、あとは
カメラのバッテリー充電ができず
焦る、が、どうしようもないのでそのまんま。
深夜3時すぎ、復旧したようで
起きたら充電完了しててひと安心。

祝島日記その1【島到着!】

2008年09月01日 18時02分23秒 | 祝島
8月の15日から1週間、祝島に行ってきました。
事務局をやっている映画「祝の島」のロケ手伝いのため。
広島空港からバスで広島駅、
そこから山陽本線で柳井港の駅。
そんで祝島行きの船へ乗るわけです。

最近は新幹線で行くよりも
飛行機の1泊つきパックとかのほうが安かったりするのよね~
でも大荷物で飛行機のるのは
預けて受け取ってがけっこうめんどくさいなあ。
安さには代えられんけど。

今回は4年に1度の神舞(かんまい)というお祭りのため、
普段530人の人口の島に
里帰りもふくめ3000人(と、どっかのテレビ局で言ってた)
の人たちがつめかけ、
島の人たちも大忙し、
商店への商品の入荷が数日ないと聞いていたので
食いしんぼぞろいのロケ隊(総勢7名)のたべものを確保するため
広島駅で買い物いろいろ。
豚肉1kg、鶏肉1kg、ひき肉500g
ソーセージ、納豆、なすびにきゅうり…
とにかくもろもろ氷とともにダンボールに詰め、
ごろごろカートで引きながら。


柳井港からの船は、
島に行く人たちで満員電車のよう。
いつもは10人ちょっと乗ってるかな~?
くらいの船なのに。
船に立ち乗りするのは初めてでした。
船の中では久しぶりの再会がすでにそこここであるようで
「○○さんちの○○ちゃん?」
「久しぶりやねえ!」
なんて会話が飛び交っており。
私はといえば
監督のあやちゃんがたまたま会って
スカウトしたポレポレ坐のお客さん、
K姉弟と合流。
K姉がお客さんとして
ポレポレ坐にチベットの展示を見にきたとき
たまたま店に来ていたあやちゃんに、
島の話、熱弁ふるわれ、
なんかおもろそう、と、
弟くんを連れて
ぶらり手伝いにきてくれた
ありがたい人たち!
すばらしいフットワークに拍手。

島の船着き場はお迎えの人でいっぱい。
もちろん私たちも先に到着しているあやちゃんたちに
お迎えにきてもらっていたわけなのですが、
そうだった、
「船が着くとこ撮影するから
カメラに写るから手とか振らないように。」
と言われてたんだった。
なので他人のフリ、他人のフリ。
して素通り。


しばらくして
監督のあやちゃん、
カメラマン大久保さん、
大久保さんの上司の笹栗さん
プロデューサー本橋さんと合流。
これで今回のロケ隊が全員揃い。

翌16日は早くもお祭りの始まり、
入船神事の日。

つづく!