ポレポレタイムスのぽれーっとした日常

ポレポレ隊員による映画や写真、時にはよもやま話など。現在「水になった村」を広めつつ新作「バオバブの記憶」(仮)制作中!

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監督です

2009年11月16日 00時17分47秒 | 水になった村
モンベルの名古屋での上映も無事に終了しました。
写真展は引き続き行っておりますので、ぜひとも見に行っください。この後は長野県の諏訪店です。
昨日は愛媛県の山鳥坂ダムの建設予定の集落に行って参りました。
最近、こんな取材の投資ばかりで、お金が底をついてきましたので、夜行バスに乗り続けています。
そしてレンタル自転車やスクーターを借りる事が多く、いろいろ安くなったありがたさを痛感しています。そういう手段があるから、何とか現場にたどり着けるのです。僕のような取材の仕方だと、まったくスポンサーなどはつきませんから、何とか行ける方法を朝から晩まで考えている毎日なのです(笑)
山鳥坂ダムは98年から通っていますから丸11年になります。お亡くなりになられた方もいるぐらい長い付き合いになりました。
「山里にダムがくる」(山と渓谷社)という本が過去にあるのですが、その表紙の写真はこのダムの現場で、数年前に亡くなられている森ミナコさんという方なのです。
今回の国土交通省が発表した142のダムの凍結の中に、山鳥坂ダムがありました。なんとなく予想していましたが、的中でした。
僕と仲のいい夫婦がいて、そこに顔を出してきました。
「松山からスクーターかね!相変わらずだね」と。
「洋服ダンスも引っ越しの際いらないと思ったものはみんな焼いてしまったよ。でも凍結になるとはね」
心の準備はずっとしていたようでしたが、いつになったら、何も考えない普通の日が来るのかと、それが一番、この土地の方々に求められていることではないかと感じました。
もう一人、専業農家の人の家に行きました。もう87歳という高齢ですが、まだ鍬や鎌を持って仕事をしています。が、最近やや元気をなくしているようにも思います。そこでは、「とにかく大西さん!私たち被害者の気持ちを伝えてください。もうくたびれました。これ以上闘う元気もなくなってしまったし、普通に暮らしたい。」とおっしゃっていました。
きっと山鳥坂ダムは中止になるでしょう。でもその決定が長引くことはさらに村民を苦しめる事になります。早めの解決が必要だし、30年分もの時間の謝罪を早くするべきです。それだけみなさんも歳をとっています。村民は今まで、できるできないという時間を待ち続けたのですから。
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監督です(やっと帰ってきました)

2009年11月11日 01時29分46秒 | 水になった村
長旅が続いています。
来年早々に新しい本が出版されるのですが、その締め切りにも追われているのですが、何とかその撮影が終わり、隙を見てはダムの現場ばかりに通っています。
とにかく今の時代を見聞きしておかない事には、後悔すると思っているからです。
僕は絶対に現場に立っていなくては、物事が書けない人間なのです。
先日、鹿児島からの帰りに、熊本県川辺川ダム、長崎県石木ダム、福岡県小石原川ダム、岐阜県徳山ダムに立ち寄りながら、帰ってきました。
政権が交代した中、喜ばしいところもあり、そうでないところもあり、ダム反対である僕自身も心が揺らいでしまう現実があります。
とあるダムの現場では、まさに引っ越しのまっただ中。ずっとダムの事を基準に仕事をしてきたが、もうみんなは自営の仕事をやめ、街に出る決心をしていました。しかし、ダム事業は凍結と言う結果になってしまいました。
ある家族は小さな子供もいる大家族。これからどのようにして暮らして行けばいいのか、先が全くわからない状態。路頭に迷うのではないかというくらい、絶望的な話しでした。
とあるダムは、最後の一軒で、みんなは数年前に集団移転地に引っ越しています。しかし凍結。「引っ越さなくてよかった」と、昔のままの暮らしを営んでいる。
とにかく日本中が揺れに揺れています。、マスコミの話す事がすべてではなく、その見えないところは、想像をはるかに超える内容でした。
今まで10年以上付き合って来た人の顔から笑顔が消えました。あれだけ新しい暮らしに期待していたのにっと思うと、切ない気持ちになります。
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監督です(朝ズバ)

2009年10月17日 23時52分17秒 | 水になった村
昨日、長野原町の八ッ場ダムの現場に行ってきました。贅沢をして川原湯温泉の高田屋さんにお世話になりました。
TBSの朝ズバ(みのもんた氏の司会)の番組のロケでもあったのですが(本日朝に放送しました)、この時期に八ッ場に行く事に違和感を持っていたのです。僕の通常の撮影は全く何もない平日が好ましいのですが、八ッ場の場合、毎日が論争の日々で、この地域の事を知るには一番難しい時期というというのか、ほとんどの人は口を閉ざしています。
カリカリしているし、カメラを持ち歩いている事が、いやな時なんです。僕は…。
現場はカメラマンばっかり。少しいやになってしまいました。という僕もそう見られていたのかもしれませんね。
川原湯温泉のみなさんは、とにかくダムを造る造らないという議論より、この先の暮らしの見通しを明確に打診してほしいと言うことでした。たしかにその通りだと思いました。今は惰性でどちらの方向に向かっていいのか、わからない状態で調印して出て行く事も今すぐにはできないでしょうし、腹立たしいということと不安とが入り乱れている印象でした。
順序として、中止ではなく、凍結から中止に展開していけば、これほど現場に不安を残さずにすんだのではないかと思ったのです。言葉の暴力も少なからずあったのかなと思いました。
しかし僕はダムは造らない方が絶対にいいと断言します。それは未来のためにも。
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監督です

2009年10月14日 19時38分54秒 | 水になった村
明日、八ッ場ダムの現場、長野原町に行く事になりました。
TBSの仕事です。土曜日の朝に放送するらしいですが、詳しくは聞いていません。
僕は正直なところ、八ッ場ダムの事はマスコミが報じている意外の事はよくわかりません。
ですが、ダムの村を多く回っていると言う事で今回話が来ました。
最初は詳しくないしどうしようかと悩んでいましたが、八ッ場の事を案内しない条件で、話を受けました。詳しい人がもっとたくさんいらっしゃいますから。
でも僕が行ったって、何も変わる訳でもないし、村民の感情もおさまるわけでもない。生意気な事だけは言わないよう、気をつけます。
マスコミ用語だけでなく、自分が感じた事が、今一番必要なのではないかと思う訳です。
僕も最近、どうしていいのか、考え事が多くなりました。別に僕はダムの専門家でもないし、土木工学を勉強してきた訳でもない。この場所から出てゆく事、調印すると言う決意、多くの思いは村を後にした者にとって、一生引きずっていく事になると思うのです。村や居場所が変わるってことは、そんな簡単な議論ではないはずです。
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監督です(埼玉より)

2009年10月14日 00時11分09秒 | 水になった村
いろいろと大変な時代になってしまいました。
ここまで早く政権交代らしい動きがある事は想像していませんでした。想像していた事の一つは、八ッ場ダムが中止となった場合、ほかのダムの現場が休止、または凍結することでした。それは想定内でした。
先日発表になったダム工事の凍結。いろいろな知人がテレビ画面に出てきました。
今日の夕方のTBSの報道特集で山鳥坂ダムの事が報じられていました。
そこには中田さん一家が出ていました。僕の写真も使用していて、昨日東京放送から連絡がありました。
八ッ場は大変な事になってしまった訳ですが、同じ事が全国区でこれからまさに始まろうとしています。
僕はその中でも、愛媛県の山鳥坂ダム、福岡県の小石原川ダム、熊本県の川辺川ダムは特に通っている場所で、たしかに今後の見通しがついていない現場でした。
青森県の津軽ダム、先日行ったばかりの夕張シューパロダムはなんとか継続される事になっているようです。
そこに暮らしている方々もそして工事を行っている人、そしてその家族までもヒヤヒヤと毎日前原さんの発言を気にしているのではないかと思うのです。本当に恐い話です。
小石原川ダムなんて、まさに引っ越しの真っ最中なんです。先日も言ったばかりでその時は中止の雰囲気なんてもちろんありませんでした。それどころか、どんな家を建てようか、その話題の方が多かったように思います。
その現場の人の顔を思い浮かべるだけで、泣けてきます。一体どうしたいいんだろうか。
ダムで移転する事を転機に、自営業を引退した人だっています。ダムの先が見えていたならば絶対にその仕事は辞める事はなかったでしょう。一体どうしていいものか。
この話がもっと前に議論されていたならば、徳山村は村として今も存在していた事と思います。そのタイミングは村の生命を分けた形です。
今週は八ッ場ダムに行くかもしれません。そして徳山ダム、来月は川辺川ダム、小石原川ダム、山鳥坂ダムに行ってきます。
時間をつくり、長崎県の石木ダムにも足を伸ばしたいです。
しかし今は国の直轄事業の現場ばかりが指摘されています。まだ県のダムのあります。その数は凄まじいものなんです。その事が報じられ、世間の認識としてあればうれしいですが、一時のブームになっては、また今までと一緒です。
僕もややあたふたしたところはありますが、今まで十数年ダムの村に関わってきたことを’乱さずに、今まで通い続けたいと思います。また報告します。
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監督です(札幌)

2009年10月04日 21時41分30秒 | 水になった村
滋賀県の仕事を中断し、今は札幌です。今日はとても寒い一日でした。
伊達市に仕事に来ていましたが、それが終わり札幌で羽をのばしています。
とはいっても何かしているのですが。
今日は真狩村に行ってきました。真狩村は羊蹄山の麓にある村です。目の前にそびえ、蝦夷富士とも呼ばれている大きな山です。
そこにきたわけは、水になった村に出演している廣瀬司、ゆきえさん夫婦が若い頃、暮らしていた地域でどうしても見たかったからです。
司さんは真狩村生まれ。開拓団の二世で、そのまま暮らしていました。そこに徳山村門入出身のゆきえさんが嫁いだわけです。司さんの先代は徳山村門入出身。
昔話の中で必ず出てくる話でした。
あても無く車で真狩村を目指し、自力で廣瀬家のことを知っている人は居ないか探しました。
見つかったんです!
しかも廣瀬家の隣に暮らす人で、三代前に徳山から開拓に出てきた家でした。
珍しいお客さんだと、いろいろ案内して下さいました。
司さんの家の在った場所は放牧場になっていました。とても広く、そこではジャガイモのでんぷんを作っていました。確かに真狩村はべにだまという品種のジャガイモを植え、今も多くのでんぷん(片栗粉)を出荷しているところでした。
ゆきえさんと話をしていたら、必ず真狩のことが出てくるから、その距離感や羊蹄山の見え方など、僕の知識の中にどうしても植えつけておきたかったんです。
歩いた距離などは、どれほど遠かったかよくわかりました。
今日の話をゆっくりゆきえさんに聞かせたいと思います。沢山写真やビデオを撮ってきたのでそれを見せようと僕もわくわくしているのです。
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監督です

2009年09月28日 00時51分33秒 | 水になった村
今日は大阪十三での上映でした。第七芸術劇場での上映は公開時以来、2回目です。関西の方々、本当にありがとうございました。
おかげさまで、本日は満員御礼以上、補助席を設けて見るほど、大勢の方々に見ていただく事ができました。
対談相手の宮本博司さんとは今回で3回目。新聞記者も多かったですね。知人も多く。楽しい一夜でした。
やはり客層がダムに関心ある人が多く、鋭い質問が多かったのですが、やはり僕はそれに答える事なく、宮本さんがすべて答えてくれる形になりました。
僕は相変わらずのほほんと向き合っていて、ダムの事と、村の人達の事ばかりを考えている毎日。でも僕の舞台はすべて現場なのです。
ニュースだけの論争でなく、新聞紙上での論争でなく、どんな事があっても一度見てみない事には一言も話せない主義なのです。それが僕のやり方なのです。
今回、八ツ場ダムのことも話題に上がりましたが、僕は何度も行っています。
でもまだ話す事ができるほど、頭の中で整理できていないのです。
たくさんの議論が飛び交っていましたが、現場の空気ってもっともっと壮絶なものです。言葉にならないっていったらいいでしょうか。悲しいや淋しいでは語り尽くせないのです。でも表に出す人間はそれを見せていかなくてはならないのです。
ダムの論争は無限だと思います。でも現場に行った人達が自分の言葉で語る場を作っていきたいと思います。それがこれから議論につながっていく事と思います。

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監督です(滋賀県草津市より)

2009年09月25日 00時26分58秒 | 水になった村
毎朝、八ツ場ダムの報道が流れています。そして川辺川ダムの情報も同じように流れ始めました。
ダム中止が前提であるかぎり、会う事はない!という住民の怒りのような叫びは、前原氏にどのように伝わったのか。
この問題が同じように徳山ダムにあって、コメントでも問われたならば、僕はどのように答えただろうかと、いつも考える。
とても難しい。
朝のワイドショーのコメントの一つに、税金がたくさん投入されている事を住民も理解してほしいと何とも門の立つ発言をした者がいた。
57年と言う年月の長さをふまえた、住民に対する気遣いをもう少し考えてほしいものだ。税金の無駄ということは、具体的にどういう事か。自分の言葉で答えてほしかった。
57年の歳月を無駄にせず、教訓として僕は歴史に刻み込んでいきたい。
僕はダムは造らない方がいいと思っています。前原さんが言うように、長い目で見た時のことをふまえてです。
しかし住民の生活再建を具体化させることと、国の謝罪は当然の事でしょう。
それが納得いく形が見えてこそ、話しが次に進むような気がします。
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監督です(追伸)

2009年09月23日 23時38分08秒 | 水になった村
本日、東京渋谷での写真展が終わりました。
モンベル渋谷店のスタッフのみなさま本当にありがとうございました。
今度は奈良に行きます。
そして27日ですが、大阪の十三(じゅうそう)駅(阪急梅田駅の次)のすぐ近くの第七芸術劇場で水になった村の上映があります。
僕も舞台挨拶、そして宮本博司さんを迎えてのトークを行います。
ぜひともご覧ください。
そして最近ですが9月20日の埼玉新聞に僕がインタビューされた記事が掲載されています。さらに本日23日の読売新聞(愛知、岐阜、三重版)の朝刊に電話インタビューの記事が掲載されています。
僕は滋賀にいる為にまだ一誌も見ていません。
八ツ場ダムの事も気になりつつ、ファインダーをのぞく毎日です。
ガバナンス(ぎょうせい)の来月号のグラビアで八ツ場ダムのグラビアを掲載いたします。最近の記事を見ていて、住民の顔がちらほらを脳裏をかすめていきます。
みなさん!頑張って!どちらが正しいのかわかりませんが、僕は皆さんの言葉が国の力によってまたもねじ伏せられる事が心配です。
ダムになる、ならない、という議論が一番注目されていますが、何度、国の為に住民は考えを変えたか、その現実を国民は少しでも理解することは必要です。
そこから国民参加の議論が進んでいくのではないでしょうか。
国と住民のいざこざを興味本位だけで見せてゆく一部の報道は、同じ土俵に立つものとして悲しすぎます。ダムが中止になっても、その問題が解決されるまで、相当な年月がかかると想定しています。それを少しでも早めるのは、僕たちの理解の仕方にも左右されると感じています。
住民のみなさんの生き方を応援したいと思います。

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監督です(まだ滋賀県民)

2009年09月23日 23時22分01秒 | 水になった村
皆さんこんにちは。
もう滋賀県に来てから季節が変わったかのようです。それだけ、長い滞在をしているのだと感じています。
本日まで久しぶりの休みをいただきました。みなさんはどんなお休みでしたか。
僕は実家の岐阜に帰り、924メートルの池田山に登山しました。低山ブームにあやかったわけではありませんが、久しぶりに筋肉痛でした。
そして昨日、徳山村の映画にも出演している方々に逢って来ました。
そのなかで廣瀬ゆきえさんと2時間も話し込んでしまいました。
いい話しでした。
僕も田んぼの稲刈りが終わり、収穫は一反で8俵強でした。昨年よりやや少ないですが、いいできだと思っています。
そこでたんぼの話しになったんです。
徳山村ではいいとこ一反4俵だったこと。300坪で240キロの米しか採れないのです。ゆきえさんは2反半の土地をもっていたから何とか、家族をやしなっていく事ができたが、土地のない人の話しは壮絶なものでした。
600坪で家族をやしなっていくという身体に染み付いた感覚は、まさに命の話しにつながっていきました。移転して大きな家を国に建ててもらってという話しはあまりに悔しいと。養うだけの土地が欲しい、それは街の人の感覚ではなかなか理解してもらえない現実がありました。
だから山の人は土地の執着心が街の人より強いのだと感じたのでした。
その話しばかりではありません。米を作っていく苦労。米の作り方の感覚がわかった今、本来の米をまだ僕は食べていないと思いました。その話しは追々しますが、ゆっくりと聞き続けたいと思いました。90代の老人の話しは今しか聞けないのです。

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