失恋論

 忘れようと努力しても、出来なかった人に向けて書くブログ。同時に、恋をまだ一度もしたことがないという人に向けて。

「いまは」それでかまわない

2006-04-23 09:09:07 | Weblog
    そして僕は、あることに気づいた。
   失恋している人間は、必ずしも物語の中で失恋している登場人物に感情移入するわけではないことを。
   感情移入するのは、恋することの深みに対してなのだ。                    (『失恋論』p.31)

  たとえば『冬のソナタ』で、ユジンにフラれるサンヒョクはとてもかわいそうで、見ている間は主人公二人より彼に感情移入することが多かった。
  サンヒョクの態度で他人とは思えなかったのは、はじめはユジンの態度をなじるものの、彼が色んな点で譲歩しようとするところだ。
  君が僕を好きでなくてもかまわない。君と恋人同士でなくてもかまわない。
  でも、彼のそうした言葉には必ず「いまは」という三文字が頭に付くはずだ。
  それを、彼自身きっと自覚していない。
  
  愛する人が他の人をより好きでも構わない……そう思ったことが僕自身ある。
  だがそれはあくまで「いまは」という留保付きであって、いつかは自分が一番になってほしいという願いが込められていて、しかも自分ではそこに気づいていないのだ。

  だからサンヒョクの気持ちは痛いほどよくわかった。

  なのに……『失恋論』の「失恋図書館」を読み返してみたら、サンヒョクのことに一言も触れていない。
  
  おかしい。『失恋論』ならサンヒョクの気持ちにこそ焦点を当てるべきではないのか。

  自分でも疑問に思ったが、おそらく答えはこうだ。

  サンヒョクはあまりにも「被害者」でありすぎるのだ。
  十年も愛を育んできた、誰もが認める婚約者を、町ですれ違った、高校時代に好きだった男に似ているというだけの男によって奪われてしまう。
  その男が、実は死んだと思われていた男と同一人物であったとしても、サンヒョク本人にまったくいわれのないことであることには違いはない。
  もしこれが現実に起こったことで、周囲の人間が噂を聞いたとしたら、十人が十人、サンヒョクに同情するだろう。
  彼は、立場として正しすぎるのだ。

  それよりは、双方の親が揃う婚約式の当日に、町ですれ違っただけの男を見てパニックになって彷徨し、時間を大幅に遅れて会場に着いたとたん倒れてしまうという、誰が見ても異常行動に出てしまうユジンの不安定さ。そして、その男が高校時代のあの彼だということもわからない段階なのに揺さぶられてしまい、そんな自分の気持ちに戸惑いながらも抗えない前半十話の展開、そこにこそ僕の気持ちは一緒に揺さぶられてしまったのだ。

  僕はきっと、自分自身の不可解さ、理不尽さに向き合ってしまうことの方に揺さぶられてしまう。