失恋論

 忘れようと努力しても、出来なかった人に向けて書くブログ。同時に、恋をまだ一度もしたことがないという人に向けて。

思い出のアルバムのように

2006-11-04 13:24:19 | Weblog
   『失恋論』出して8カ月になりますが、読んだ方から新刊当時と変わらずメールやメッセージをいただきます。
  
  ご自分の失恋を本と一緒になって考えてくださっているご感想は、切実です。
  本を読むことで、つらい失恋だったけど、楽しいときの思い出だけがアルバムのようによみがえってくるようになったという方がいらっしゃいました。
  
  相手が自分にとって大切だからこそ、その相手への気持ちを「成仏」させたい、ただの恨み言では終わりたくないという気持ち、僕にはありました。
 でもそれも、ひとつの挫折した支配欲だったのかもしれない。
 そこから解き放たれたとき、「楽しい想い出」だけが眺められる、そんな瞬間が来るのはとても素敵ですね。

 僕はあの本に書いた相手との交際期間がなかったので、思い出があるのはとても羨ましく思います。

恋が大人のものである理由

2006-11-02 10:39:45 | Weblog
 『失恋論』は僕自身の失恋体験から書かれています。
そこで一番伝えたかったものは、失恋すると、その部分だけではなく、自分の世界までが丸ごと崩れてしまうような気がするのはなぜなのか、ということでした。
 
  ある人が言いました。
 恋愛とは自己承認である、と。
 誰かと恋仲になるということは、自分を認めてくれたということ。
 自分を強く必要とされ「自分の存在がこんなにも求められたことはない」と実感し、そのことで、逆に自分で自分を承認することが出来るようになるということ。
 つまり、自分への愛を発見するとともに相手への愛を見い出すことになる。
 それは自分自身の可能性であるのにも関わらず、ふだんはまったく眠っていて、相手の存在がなければ目覚めることがない。
 自分は自分で認めればいいと思って生きてきた成人男性や女性が、恋によって、埋め込まれた可能性を開かれる。

 だから恋が破れると、自分が相手によって認めることのできた、いま立っている場所までが根こそぎなくなってしまう。世界は色を失ってしまう。
 その恐怖とはつまり、自分が承認されない、という恐怖なのでしょう。

 そう考えると、恋愛とは子どもの感情でもなければ、若い頃だけの過剰なものでもないということがわかります。
 子ども時代は親の庇護にあり、親によって自分が承認されているという実感があります。
 大人になってから、人は自分という島宇宙で独立して、自分で自分を奮い立たせて生きていく。
 だからこそ、一緒に生きていけるパートナーが必要なのです。

 親の愛に恵まれないと感じている人に、恋愛に早熟な人がよくいるのも、同じ理由だと思います。早くから自立心を持っているからこそ、恋によって、愛されるべき自分を再発見していくのではないでしょうか。

思い出の青空

2006-11-01 13:07:36 | Weblog
   思い出、それは失うもの。
  失っているから思い出になり得る。
  過去に向き合って、未来を見つめることができたら、どんなにいいだろう。

  若い頃が一番感受性が強く、恋を感じることが出来るという人がいる。
  その瞬間は、二度と戻らない、とも。

  そういう言い方に反発した時期もあった。
  けれど、そこまで強烈な一時期があったからこそ、それは未来を描くときの青空のように、どこまでも澄んでいて、どこにでも行けるような気持ちにさせてくれるのではないだろうか。

  過去を悔やむ自分を許しながら、過去を否定するのではなく、あの青空に向かって歩みはじめることが出来るといい。
  そう思っています。