失恋論

 忘れようと努力しても、出来なかった人に向けて書くブログ。同時に、恋をまだ一度もしたことがないという人に向けて。

失恋論短歌の枡野さん評

2006-04-16 19:30:20 | Weblog
 「かんたん短歌blog」枡野浩一さんの失恋論短歌評、読ませていただきました。
 http://masuno-tanka.cocolog-nifty.com/blog/2006/04/post_1.html#more
 以下、短歌としてではなく僕自身の失恋観から、枡野さんがあげた作品をみていきたいと思います。

 下の二作については、僕もいいと思ってあげました。
 後者は、なるほど枡野さんの言うように、逆にお題を隠した方が奥行きが出る気がします。

点滅が思ったよりも長いので 渡れたかも と思い続ける (伊勢谷小枝子)

四捨五入されるラインの境目で挑めなかったからだと思う (二坂英之)
 
 次の作品は、一般的に思い込みっていうのはそういうもんだよねっていう意味ではわかるけれど、恋の話としては、自分の中にある相手のイメージが干からびてしまうということなのか、自分の気持ちを後から客観視すると排泄物のように思えてしまうということなのか。
 僕は恋に関しては、後から冷めてしまうということもたしかにあったけど、それは成仏させるまでもないことだった気がします。

さっきまで私のなかにあったのにそこからだしてみるときたない (福々屋大福)

 次の作品は、言葉の成り立ちを別解釈するというのは頭の体操でいいのかもしれないけれど、失敗作に対応する成功作のイメージが僕の中にはない。自分の人生そのものが失敗というならまだわかる気もするけど。

失った恋ではなくて 失恋は 失敗作の恋ということ (仁尾智)

 次のは、わかる気もするけど、胴上げを誰も受け止めなかったら死んじゃうじゃん。フラれるというのは、そういう明確な悪意あってのこととはちょっと違うのではないか。
 むしろ、そこまでの悪意があった方が、自分の被害者意識に凝り固まることが出来るからむしろ気が楽……というところまで進んだ内容を読みたい。

浮かれてたあの日の気持ちにタイトルを! 「受け止めるひとのいない胴上げ」 (岡本雅哉)

 次のは、裏切ったのは相手なのか自分なのか……という視点があるのがいいですね。ただちょっと僕にはカッコ良すぎる。

信じてたことが私を刺している 違う私に私はなった(本原隆)

 次の作品は、失恋という言葉を使わないでその状態を示しているのが「失恋論短歌」だとすればなるほどと思いました。

君の恋 僕らの恋になったけど 今日からはもう僕だけの恋 (愛沢いさむ)

 次の作品は、枡野さんも評価に困っていましたが、その決め付け的な言い方に、なにか踏ん切りをつけようとしている痛みが伝わってくるような気もします。

しあわせになるためにある失恋だ ふることもない雨の真下で (はせがわゆづ)