失恋論

 忘れようと努力しても、出来なかった人に向けて書くブログ。同時に、恋をまだ一度もしたことがないという人に向けて。

心が裸になる

2006-04-18 10:25:14 | Weblog
※週刊朝日のいま出ている号の「週刊図書館」で『失恋論』著者インタビュー、出ています。よろしかったらご一読を!


 恋をした状態を「夢を見ているようだ」と言う人がいます。
  <夢>というと、つまり架空のことであり、「夢見がちな人」というと、それは現実を直視していない人、ということになるでしょう。しかし、恋が夢だと言うのは、妄想としての妄想を楽しんでいる、ということとは違うと思います。

    夜、寝ながら夢を見ているときには、起きているときの自分よりも正直になっている、ということはよくあるのではないでしょうか。
   起きているときは理性でセーブしたり、あるいはそこに向き合うのが怖くて考えないようにしていたことが夢に出てくることがある。夢に出てくることによって「ああ、自分はこんなことにこだわってたんだ」とわかるということが、僕にはあります。

   <本音と建前>という言葉があります。
   でも人間は、常に自分の<本音>を自覚しているのでしょうか?
   人は、他人の前だけでなく、自分自身に対してさえ取り繕う、というのが実際の姿だと思います。
   「いまさらこんなことにこだわるほど子どもじゃないよ」「あの人と自分が合うわけがないじゃないか」などと言い聞かせて。
   しかも普段は、そうやって取り繕っていることさえ意識しません。あまりにも日常の属性になっているからです。

   恋をすると、心が裸になる。
   普段の自分を覆っていたたてまえが取り払われる状態になります。
   それは夢と似ています。

   だからそれは、一般的に言う「夢見がちな」体験ではなく、自分自身を丸ごとそこに持っていってしまう体験なのです。