8月12日(金)
4時半に起きた。昨夕、体つきから予想した通りに、お隣テントのにいちゃんの鼾がうるさかった。テント紐に掛けていたTシャツやタオルはぐっしょり濡れていて、絞ると洗濯直後のように水がしたたり落ちた。夜露の量にびっくりである。ツエルトなしのビバークが如何に辛いかを理解した。濡れたテントをビニール袋に入れ、ザックの底に押し込もうとしたが昨日の状態には復元できず外に括り付けた。
5時40分に出発した。テント場から木道のある高台まで来ると、これから向かう黒部五郎岳が見えた。三俣蓮華の左にはちょこんと槍の穂先が出ている。しかし、太郎平小屋に着く頃には水蒸気で霞んでしまった。小屋のベンチ周辺には大勢の登山者がいて、小屋泊まりが盛況だったことが窺い知れた。
太郎平小屋から木道を50mほど南へ向かうと薬師沢と黒部五郎岳への分岐があり右へと進んだ。ばあ様になったチングルマが朝日を受けて光り輝いている。自分以外にもチングルマを写している人がいて、なかなか前へ進めませんね、などと話をする。これで撮影お終いとカメラをザックに仕舞うも、少し進んではまた引っ張り出してしまう。本当になかなか前へ進めない。
太郎山山頂の標識は何処にあったか判らずに通過した。池塘があり、コバイケイソウの群落の向こうには北ノ俣岳が控えている。標高差200mと少しだろうか。木道に沿っていったん下り緩やかに登り返す。30分ほど前から左の肩だけが痛くて、都度ショルダーベルトなどを調整してみたが改善しなかった。昨日から食料が軽くなったが、濡れたテントや洗濯物があるし、水は昨日より多く持ち歩いている。いずれにしても昨日と同程度の重さであって、痛さの原因は、ザックの後ろに括り付けているテントが後ろに引っ張るからではないかと思った。ザックの荷物を全て引っ張り出してパッキングし直した。どうにかテントをザックの中に収めると、肩の痛みが減ったような気がした。
その間に、次々と追い越されていった。昨夜、隣の隣にテント泊した女性たちにも、お先にと追い越された。この子たちをペースメーカーにしようと思ったが、ザックを背負って歩きだした時には見えなくなっていた。人とくっついて歩くのは苦手であるが、100m程度離れた視界の届く範囲に追いかける目標があるといい。しばしば林に隠れたり、凸部で見えなくなることがあるが、10分後には見つけて、いたいたと安心する。そんなターゲットがいれば、たらたらと歩いたりむやみに休憩することが少なくなりそうだ。後ろを振り返ればペースメーカーにはしたくないオッサンがいた。オッサン同士で話しながら登ったが、軽荷の人だったので先に行ってもらった。
やっと登り詰めたピークは北ノ俣岳の肩だった。本当の北ノ俣岳は雪田の向こう側、約700m先に見える。その左には今日の目的地の黒部五郎岳が在り槍ヶ岳も見えている。太陽の方向にある水晶岳や鷲羽岳はシルエットとしてしか見えなかったが、昨日は雲の中にあった薬師岳が姿を現していた。
花畑の道を通り、8時30分に北ノ俣岳に到着した。別名上ノ岳である。厳冬期の上ノ岳の小屋に加藤文太郎が3日間滞在している。神岡新道の方向に避難小屋はあるけれど随分と遠いはず。80年前にはこの近辺に小屋があったのだろうか。有峰湖の南西にあるはずの大多和峠は見えなかった。此処へ来るまでのアプローチもさぞかし大変だっただろう。上ノ岳の小屋で加藤文太郎が見据えていた先は遠い烏帽子岳。夏でも4日間かかってしまうか。
北ノ俣岳へ向かう
北ノ俣岳へ向かう
正面に黒部五郎岳、左に槍ヶ岳、右に笠ヶ岳
水晶岳 ~ 槍ヶ岳
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