雲ノ平界隈 1日目

2011年08月24日 | 登山

 8月10日(水)

 なんとか仕事を片付けて荷造りを始めた。ダンボール箱には仕事衣装やノートパソコンなどの出張道具を詰め込み、下山前日に出張先に届くように手配した。それから山の準備に取りかかった。テントやシュラフ、シュラフマットなどをザックの底に押し込む。その上にはコッヘルやガスボンベを詰めた。1週間全て自炊するつもりなのでガスボンベは500Tと250Tの2個用意した。水入れは2Lと1Lの2個を持って行く。折立登山口に水場がないようなので取りあえず2Lの方にだけ水を入れた。それからカッパや着替えを詰め、その上に食料を押し込んだ。この時点でザックは満杯でカメラの入る余地がなかった。

 一週間という行程は70Lザックでは厳しい。冬山であったならもっと荷物が多くなる。やはり85Lのザックを購入しとくべきだったかと後悔したりする。まず交換レンズを外した。それから着替えを少々減らした。そしてカメラを詰め込み、ザックを背負い家の中を歩き回ってみる。なかなかいい感じである。ザックを背負ったままスクワットをしてみた。登れないかも、、、と不安になる。体重計に乗ってみれば自重を含めて89.5kg。これは無理と、またまた荷物を減らすことにする。山の上でどれだけの食料が要るのか分からないが、米を減らし、必需品でない酒を外した。

 前夜、前々夜と、ザックを担いで歩荷トレーニングをしていた。トレーニングというよりは、どれだけ担げるかという体力チェックの意味合いが強かった。テント、シュラフの入ったザックにペットボトルを12本入れると約30kgになる。それを担いで深夜の灯台まで往復した。担いでいるだけで汗が吹き出すけれど、平地ならば何とか歩けた。ただ、登り坂になると担げるかどうか、長時間背中が持ち堪えられるかどうかは不安である。

 しかし、不安要素を全て取り払ってしまったら登山の楽しみが減ってしまう。道に迷う可能性がある。雨が降る可能性がある。予想してしなかった鎖場が現れる。そういうのにどう対処するか知恵を絞るのも登山の楽しみである。「登山のトレーニングには登山が一番」と言う。体力が不足しているならは現地で鍛えればいい。時代は Light&Fast であるらしいが、今回は、のんびり&ゆっくり&ひもじくない、でいってみたい。

 夜8時過ぎ、JR緑の窓口で富山行きの切符を買う。
富山まで。新幹線は自由席、富山には4時28分到着の便でとお願いすると、
『新大阪と富山間は寝台でよろしいですか』と質問される。

事前に調べたYahooの路線検索やえきから時刻表では、急行きたぐにが寝台車であるとは書かれてなく、料金はごく普通の座席料金だった。

「寝台車だったんですか、座る席はないのですか」と聞いた。
『自由席はありますが、大阪の出発ですから座れるかどうかは“一発勝負”ですね』
受付のおねえさんはギャンブル系女子だった。
初っ端から“一発勝負”はしたくない。勝負するならば岩場か鎖場である。新大阪での乗り換えは1時間余裕があった。その間に新大阪から大阪駅へ移動すれば確実に座れる、などと考えていると
『どうされますか?』と、こちらの優柔不断さを見抜いたように返事を急かされる。

 登山口に到着する前から勝負したのでは先が思い遣られる。一番安い寝台でお願いしたが、5250円の予算オーバーになってしまった。

 新幹線を降りた新大阪は異様に暑かった。クーラーの排気孔の前に立っているような都会特有の暑さである。早く脱出したいが1時間待ち。駅構内のコンビニで冷たいビールを買って飲んだ。やっと来た列車に乗り込むと、寝台車は三段ベッド。サンライズ瀬戸とは雰囲気が違って、戦後間もない頃を回想させるレトロな寝台車だった。切符を確認すると7番中段。ザックを押し込もうとするも、高さ方向が狭くて入らない。それから荷物置き場を見つけてザックを置き、自分だけが中段ベッドに入った。さて寝るぞ、と衣服を脱ごうとするが、高さがないので座ることさえできない。腹筋を鍛えながら衣服を脱いで布団を被った。

 電車は京都を通過し滋賀県に入る。米原を通過した辺りでアナウンスが流れた。
「ご就寝中のお客様の妨げになりますので、直江津までアナウンスは終了します」

 富山駅に着いたかどうかは自分で判断しろという事だった。腕時計の時刻だけが頼りということである。携帯電話にアラーム機能が有ることは知っている。10歳若ければ操作を試みたであろうが面倒だった。それにゴトンゴトンと騒々しい電車の中で、携帯の目覚まし音が聞こえるかどうかは大いに疑問である。選択肢はなかった。眠らない、それだけだった。

 トイレに行った時にお隣の普通席車両を覗いてみた。乗客はまばらで、猫のように座席に丸まって寝ている人がいる。こんなことならば寝台にせず、“一発勝負”をしておくべきだった。


  黒部五郎から水晶、鷲羽



  黒部五郎カールからワリモ、鷲羽






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