織田信長の実弟織田有楽斎は尾張の国が生んだ大茶匠で
波乱に富んだ生涯でしたが晩年武家をすて京都に隠棲 当時荒廃していた
建仁寺塔頭正伝院を再興しそのなかに隠居所を設け如庵はそこに建てられた茶室です
如庵(じょあん)は元和4年(1618)に境内に建てられた茶室で国宝三名席のひとつです
旧正伝院書院は如庵に連なる隠居所であり重要文化財に指定されています
襖絵は長谷川等伯 京狩野の祖山楽の後継者山楽の筆です
明治以降 これらの遺構は各地を転々としましたがようやく有楽の生まれ故郷に
帰り着き安住の地を犬山に得て「有楽苑」と名付け後世にのこすことにしたそうです
(パンフレットより)
如庵は杮葺の端正な外観 二畳台目で床脇に鱗(ウロコ)板を入れ斜めの壁を
作っている事から筋違いの囲と云われています
古暦を腰貼りにした暦貼り 竹を詰め打ちにした有楽窓 躙口(にじりぐち)の位置
袖壁下地丸窓など独創的な趣向が凝らされ茶室です
如庵露地
如庵の路地は都林泉名勝図会に画かれている景を再現したものだそうです
露地の一隅にある石の井筒「元和元年九月ニ日有楽」の銘がある
有楽好み井筒「佐女牛井(さめがい)}
有楽がかつて修繕したことのある村田珠光の「佐女牛井」同じ形をしていることから
これも「佐女牛井(さめがい)」とよばれています
蹲踞(つくばい) 窯山海(ふざんかい)
加藤清正が文禄の役(1592~1593)の際窯山沖から持ち帰った物で
窯山海の銘をもっている 波に洗われて自然に出来た水穴の石を利用したもの
他には類を見ない 前石は巨大で天正七年の刻銘がある
元 庵(げんあん)
有楽は大阪に屋敷を構えていた頃住んでい天満(今の造幣局の地にあたる)の
屋敷にあった茶室を古図に基づいて復元 三畳台目の茶室内部は奥に深い
間取りで亭主床とよばれる床構えになっている
元庵の枝折れ戸
腰掛待合
弘 庵(こうあん)
四季折々 有楽苑内で催される茶会のために昭和61年に建てられた新席
弘庵蹲鋸(水琴窟)
弘庵は大寄せの茶会を目的に計画されているので小間の茶席は無く
寄付きでもお点前できるように本勝手に炉が切られています
今日はこのお席でお薄一服頂戴いたしました
菓子 銘「織部風」
茶碗 犬山焼干支茶碗
犬山城の東にある有楽苑は国宝茶室如庵 重要文化財旧正伝院書院
古図により復元された元庵 新しく建てられた弘庵があります
茶室如庵は各地を転々としましたが昭和27年に犬山城下の地に移築され
有楽苑と名付けられました
庭の有楽椿 今の時期は花はみられませんね
今日は見られませんでしたが茶花の代表的なものを選んで栽培し
茶花植物園として一般に公開しているそうです
今回の茶道の世界を極める研修旅行は東海・南信州の旅です
古田織部四百回忌記念で織部焼元屋敷跡(織部の郷公園)を訊ねたり
織部ヒルズを散策します